互いに背負うもの
皇女様いわく、馬小屋で開かれた会談は有益なものであった。
クロエの作るビーフシチューは美食家のヴェロニカを満足させるものだった。
また娘との会話も彼女の食欲を刺激したらしく、ふたりは楽しげに会話をし、シチューとパンを交互に口に運んでいた。
娘は尋ねる。
「ヴェロニカさんはノイエ・ミラディン帝国のお姫様なんですよね?」
「いかにも」
偉そうに答えるヴェロニカ。
「いいなー、わたし、お姫様になってみたかったんです」
「女の子の夢のひとつだな」
「そうですね、女の子の夢ベストスリーは、いつも時代も、お姫様、お嫁さん、お店屋さんですからね」
と、クロエは追従する。
「まあ、お嫁さんとお店屋さんは父親のがんばり次第でどうにでもなるが、お姫様だけは無理だからな。王様の家に生まれれば放っておいてもなれるのだけど」
俺がそんな一般論を述べると、ヴェロニカは否定する。
「そんなことはない。あとからお姫様になることもできる」
「どうやってなるんですか?」
星のように目を輝かせる我が娘。
年頃の少女だけはあり、お姫様という単語に目がないようだ。
「簡単だ。きみの父上、カイト殿が王になればいい。さすればきみは自動的にお姫様だ」
「なるほど」
と、得心する娘。
じいっと俺を見つめてくる。
「お父さん、お父さんは王様になる予定はないの?」
「王様はそう簡単になれないんだよ」
「たしかにそうだね」
と、無邪気に笑う娘。お姫様になりたい、とは半分冗談なのであろう。
少女ならば誰しもが憧れる夢であるが、大人になっていく過程で皆諦める夢でもある。
我が娘はこの年にしてかなりのしっかりものであるから、そのような選択肢はとっくの昔に放棄していたのだろう。
しかし、ヴェロニカという皇女はあっさりとその選択肢を復活させる。
「きみの父上、カイト殿が我が婿になってくれれば、きみもお姫様になれるのだが」
「ほんとですか?」
再び目を輝かせる娘。
「本当だとも。我は皇女だからな。将来、帝位を継げば義理の娘であるきみは自動的にお姫様になる」
じい……、
っと、再び俺を見つめてくる娘。
フィオナはそれほどまでにお姫様になりたいのであろうか。
そこまでなりたいのであれば、娘のため、この皇女様を妻とするのも悪くないが。
そう考えていると、フィオナは耳打ちしてくる。
「お父さん、わたし、お父さんの結婚には反対しないけど、わたしをお姫様にしたいとか不純な理由で大事な奥さんを選ばないでね」
そう釘を刺してくる。
どうやらフィオナは俺がヴェロニカに懐柔されないか心配らしい。
その光景を見てクロエはくすくすと笑う。
「これではどちらが大人か分かりませんね」
「違いない。まあ、忠告通り、女帝の旦那の座に目がくらんで結婚しないようにするよ」
俺がそう言うとヴェロニカは明らかに表情を暗くし、肩を落とす。
どうやらまじで俺に惚れているらしい。
「こんな研究馬鹿のどこがいいんですか」
俺がそう漏らすと、娘がフォローする。
俺ではなく、ヴェロニカの方を。
「ヴェロニカさん、勘違いしないでくださいね。ヴォロニカさんが駄目とかそういうんじゃなくて、ただ、お父さんがわたしのためにお嫁さんを選ぶのがよくないと思っただけなんです」
フィオナはあたふたとフォローを入れる。
お父さんのお嫁さんはわたし!
と、昔みたいに宣言してくれないのは少し寂しいが、娘が俺を思う気持ちは嬉しい。
娘は俺が伴侶を選ぶ基準に自分という存在を加味せず、自由にして欲しい、そう言っているだけであった。
父親としては嬉しい気持ちである。
ただし、皇女様としては困る展開であった。
いわく、俺を夫とするため、このような辺境の地まできたのだそうだから。
皇女はそれでもフィオナを懐柔しようとするが、いったん、その話は横に置く。容易に決着がつく話ではないし、そもそもこの皇女様と出会ってまだ半日も経っていない。
クロエいわく、「恋に落ちるのに適正時間はない」そうであるが、結婚を決めるのにはそれなりに時間が必要であろう。
そういった論法で皇女様を説得すると、本題に移ることにした。
まずはフィオナを見つめる。
相変わらず可愛らしい。
聖女のように清らかで、天女のような愛らしさがある。このままずっと鑑賞していたいが、これから皇女と話す内容を娘の耳には入れたくない。
俺はクロエに軽く目配せし、席を外させる。
クロエは「あうん」の呼吸でわずかにうなずくと、
「フィオナさま、ヴェロニカ様にお出しするデザートを作る手伝いをしていただけませんか」
と、フィオナを台所に誘った。
「デザート?」
可愛く首をかしげる娘。
「はい。ヴェロニカ様は遠路はるばる帝国からいらしたのです。公都の名物デザートを召し上がってもらおうかと」
「名物ってミルフィーユ?」
「そうです。お手伝い願えればさいわいです」
フィオナがクロエの頼み事を断ることなどない。娘は素直にクロエの後ろについて行く。
途中、軽く振り返り、あふれんばかりの笑顔で、
「お父さん、それにヴェロニカさん、待っていてくださいね。とても美味しいミルフィーユを焼いてきますから」
と宣言した。
その仕草や声にとろけてしまいそうになるが、かろうじて踏みとどまり
、
「楽しみにしているよ」
と、娘を送り出す。
フィオナが居間からいなくなると、ヴェロニカはこう言った。
「可愛らしい娘さんだ」
「それには同意です」
「是非、義理の娘にしたいところだが」
「そのやりとりは済ませたでしょう」
「だな。しかし、諦めたわけではないからな。彼女は、「お嫁さんを決めるときわたしのことなど気にせず決めて」と言ったが、我が駄目だとは言っていない」
「まあ、たしかに。ですが、やはりその話はまた今度。今はもっと重要な話がしたい」
「そのとおり。互いに背負っているものがある」
「ですね。俺は娘というこの星よりも重い命を背負っています」
「我は帝国臣民数千万の命を背負っている」
「背負うにしては重すぎますね。互いに」
「たしかに」
双方、苦笑を浮かべると、千年賢者と皇女は腹を割って話し合うことにした。