ハーモニアのクッキー
フィオナたちの作るフォーチュン・クッキーはただのフォーチュン・クッキーではない。
ただのフォーチュン・クッキーならば、公都の既成の店でいくらでも購入できたし、そんなものを売っても面白くない。
なにせこのリーングラードは魔術学院。お菓子学校ではないのだ。ただのクッキーを売っても学院はなんら評価してくれないだろう。
ゆえにフィオナはただのフォーチュン・クッキーではなく、薬効のあるフォーチュン・クッキーを売ることにしたようだ。
えっへん、と自慢してくる。
娘は緑の丸薬を見せると、それをクッキーの生地に包み、オーブンに入れる。
学院にある調理実習室は、フォーチュン・クッキーを作るグループの生徒たちが10人近く集まっても狭さを感じさせない。
公都のちょっとした料理屋よりも広くて立派な設備だった。
そんな立派な設備で焼き上がるクッキー。
中には緑色の丸薬を入れてあったが、あれはなんであったのだろうか。
娘に尋ねたが、「ないしょだよ」と、はぐらかされるだけであった。
「先生、食べてみてください」
とは、他の女性との声だった。素直にそれに従う。
クッキーを口に運ぶと、それを口に放り込む。まさか毒薬や劇物ではないだろうから、そのまま咀嚼し、嚥下する。
緑の丸薬を口に中でつぶすと、ほのかな苦みが広がったが、クッキーの生地に趣向を凝らしているらしく、それほど不味いとは思わなかった。旨いとも思わないが。
あるいは娘の作ったクッキーがどれか分かっていれば、その評価は数十倍に跳ね上がったことだろうが、残念ながらこの数の中から娘が作ったクッキーを見つけることは不可能である。
そんなことを思いながらクッキーを胃に流し込むと、俺の身体が緑色のオーラに包まれる。
身体が軽くなり、血液の循環がよくなっているような気がする。
「なるほど、緑の丸薬は回復薬だな」
「当たりだよ。色々な薬効の丸薬を作ってそれをランダムに入れるの。薬効は食べてみてからのお楽しみ」
「面白いな。おみくじを入れるよりも何倍もいい。このアイデアを考えたのはフィオナか?」
「うん、原案を出しただけだけどね」
「さすがは我が娘だ。天才だな。さっそく魔術協会に報告するか。特許を取っておけば特許収入になるかもしれない」
「クラスみんなで考えたんだからおひつじ組って書いてね」
「うむ、そうしよう」
と言うと、フィオナは赤い丸薬と青い丸薬を持ってきた。
「この赤い丸薬は攻撃力をアップするの。青いのは素早さを強化するの。体内のマナを活性化させて、魔法が使えない人でも強化の恩恵を得られるんだよ」
「よく考えついたな」
「ただ強化ポーションを固形化しただけだよ。そのポーションもハーモニアが作ったものだし」
ハーモニアの方に視線をやる。彼女は丸薬作りに精を出していた。
俺と視線が合うとにこりと微笑む。
そしてこちらの方へやってくると、こう言った。
「フィオナ、丸薬作りは一段落したから、私も生地作りに参加していい?」
なんの邪気もない笑顔で言い放つハーモニア。
その笑顔を見て引きつる親子。
ハーモニアは善い娘である。数々の美点に恵まれ、娘の友人としてかけがえのない少女であったが、彼女の欠点をひとつだけあげるとするならば、それは料理が下手だということだろうか。
いや、下手などというレベルではない。
ハーモニアの料理はもはや劇物であった。
それを証拠に温厚にして寛容な我が娘フィオナの目が泳いでいる。
俺と視線が合うと、「お父さん、助けて」という視線を送ってきた。
娘にそんな視線を送られて助けなければ親の名がすたるであろう。
それに俺はおひつじ組の教師である。この組から犯罪者は出したくない。
もしもハーモニアの料理が一般人の口に入れば、万が一、ということもある。
俺はやんわり彼女の参加を断った。
「ハーモニアは料理よりも丸薬作りに精を出して欲しい」
そう頼んだが、彼女は俺たち親子の様子を見て、気がついてしまったようだ。雨に濡れて震える子犬のような瞳で尋ねてきた。
「……あ、あの、前々から思っていたのですが、もしかして私の料理って不味いですか?」
なかなか勘の鋭い娘だ。
ここで不味いと言えればことは丸く収まるのであるが、残念ながらそんな根性はない。
逆にフィオナに助けを求めてしまう。
フィオナはわたしに振られても困るー! 的な表情をしている。困っている様はとても可愛らしい。
ただ、聡明な我が娘はただ困っているだけでなく、ハーモニアを傷つけない配慮も持っていた。
フィオナはしばらく考え込むと、ハーモニアにフォーチュン・クッキーの生地作りを頼んだ。
それを見ていた俺は娘に尋ねる。
「いいのか? もしもハーモニアの作ったクーキーを食べれば悶絶するものがでるぞ」
「でも、ハーモニアだけのけ者にするのはかわいそうだよ」
それに、と続ける。
「ハーモニアに作ってもらうのはハズレのフォーチュン・クッキーにするから大丈夫」
「ハズレのフォーチュン・クッキー?」
「フォーチュン・クッキーにははずれが付きものでしょう? ハーモニアの作った生地には弱化の丸薬を入れておくの。そうすればハズレを引いたお客さんも納得すると思うの」
「なるほど、弱体化効果のハズレクッキーならば不味くても苦情はでにくいかもな」
さすがは我が娘だ。機転が利いている。
娘の聡明さに改めて驚かされると、鼻歌交じりに生地をこね始めているハーモニアを見つめる。
「まあ、それにちょっと心配しすぎかな。同じ生地を使うのだから、どんなに下手くそでもそこまで不味いものができあがるはずはないか」
そう感想を漏らすと、ハーモニアはとんでもないことを始める。
「普通に作ったのでは面白くないから、アレンジしましょう」
と、勝手に生地に何かを練り込み始めた。
瓶から真っ黒な液体を取り出す。
「そ、それはなんのなの……?」
と尋ねる我が娘。
にこやかに答えるハーモニア。
「これはタコの墨よ」
「た、タコさんの墨!?
」
「そうよ」
「イカさんの墨じゃなくて、タコさんなの?」
「そう、オクトパスの方」
「…………」
あまりのことに沈黙する娘に変わって尋ねる。
「イカスミをパスタソースにしたり、リゾットに使うのは聞いたことがあるが、タコスミは聞いたことがないぞ」
「聞いたことがないから試すんじゃないですか」
うふふ、と笑うハーモニア。彼女は得意げに言う。
「イカの足は10本、タコの足は8本、足が少ない分、その分、墨の方に栄養が向かっているとは思いませんか?」
思いません。なぜ、そのような思考になるのでしょうか?
成績表の備考欄に、ハーモニアさんは少々思い込みが激しいような気がします、と書き込みたくなったが、成績表を書くのはまだ先の話。
代わりに俺は、彼女にそのタコスミを練り込んだクッキーを食べてもらうことにした。
「もちろん、先生の頼みを断る理由はありません」
と、笑顔で了承するハーモニア。
――数十分後、オーブンで焼き上がるクッキー。
ハーモニアは真っ先に真っ黒なクッキーを口に入れると、
「うん、美味しいです」
と、笑顔を漏らした。
「お、お父さん……」
と、俺の袖を引っ張る娘。フィオナは「気をつけてね」という言葉と「もしかしたら美味しいのかも」という言葉を口にしたいようだ。
どちらにしても食べなければことは収まらないだろう。
そう思った俺は、
「ままよ」
と、ハーモニアのクッキーを口に放り込んだ。
もしゃもしゃ、と咀嚼し、味を確かめる。
「…………」
沈黙する俺。ああ、やはりハーモニアは天才だ。娘たちが丹念に練り上げたクッキーの生地をこんなにも不味く作り変えるのだから。
ある意味、天賦の才であるが俺は気がついた。
料理の下手な人間の8割は味見をしないことによるいい加減さが不味さに直結するが、ハーモニアは残り2割の料理下手に含まれるようだ。
彼女は生来の味音痴のようで、自分の焼いたタコスミクッキーを美味しそうに頬張っている。
美味しそうにタコスミ・クッキーを食し、それを周囲に勧める姿を見ていると、とても君の料理は不味い、と教えることはできない。
ここは娘の作戦通り、ハーモニアの焼いたクッキーは外れとし、弱化の丸薬を混ぜ込むとしよう。
それが本人も傷つけず、またおひつじ組の名誉も守れる唯一の方法であった。




