第二話
あの日から数週間。
俺は理解した。
──新宿駅は、競技場である。
平日朝。
スタート地点は改札。
ゴールは歩く歩道の先。
ルールはシンプル。
ぶつかったら負け。止まっても負け。
そして俺には、明確な目標があった。
(あの黒い影……絶対抜く)
仕事?
……ああ、あれは副業だ。
今の俺の本業は──
通勤ランナー。
この数週間、俺は徹底的に研究した。
人の流れ。
歩幅。
加速タイミング。
そして──“危険地帯”。
新宿駅には、明確な“ゾーン”が存在する。
・横並び三人組ゾーン(難易度:S)
・歩きスマホゾーン(挙動:ランダム)
・観光客ゾーン(予測不能イベント多発)
さらに最上位。
・ベビーカー(通称:移動要塞)
(あれは正面突破不可……回避一択だ)
最初は何度もやられた。
肩がぶつかり、舌打ちされ、時には怒鳴られた。
一度、雨の日に滑って盛大にコケたこともある。
駅のど真ん中で。
大の大人が。
スライディング気味に。
(……あれは忘れよう)
だが、俺は諦めなかった。
なぜなら──
(俺は世界一速い男になるからだ!!)
帰宅後。
スクワット、腕立て、腹筋。
それぞれ十回を十セット。
休みの日はランニング。
信号? 無視はしない。だがタイミングは読む。
完全に仕上がってきている。
そして毎朝。
俺は改札で待つ。
──黒い影を。
人混みの中。
あいつは必ず現れる。
サッ、と。
そして消える。
(今日こそ……捉える!)
改札前。
ざわざわとした空気。
人の流れ。
その中で俺は静かに構える。
すると。
──来た。
(いた……!)
黒い影。
今日もブレないスピード。
無駄のない動き。
そしてなぜか手にはコンビニ袋。
(なんであの速度で買い物してんだよ)
ツッコミどころは多い。
だが今はそれどころじゃない。
俺はSuicaを構える。
タイミングを測る。
(今だ)
──ピッ!!
(スタート!!)
地面を蹴る。
初動は完璧。
加速もいい。
(よし……いける!!)
前方、最初の難関。
横並び二人組。
(まだ甘いな……)
右から回り込み、スムーズに突破。
次。
歩きスマホ。
(動きが読めない……だがパターンはある!)
一瞬の揺れを見逃さず、左へフェイント、右抜け。
完璧だ。
(見えてきた……流れが……!)
その時。
横を、風が抜けた。
──黒い影。
(速っ!?)
一瞬で抜かれる。
いや、違う。
最初から“別次元”だ。
(くそ……! でも、距離は縮まってる!)
以前より、確実に近い。
俺は食らいつく。
人の間を縫う。
流れに乗る。
無駄な動きを削る。
(いける……いけるぞ……!!)
だが。
交番手前。
最も混雑するエリア。
そこに差し掛かった瞬間──
黒い影が、消えた。
(またかよ!!)
完全に見失う。
視界から消える。
人混みに紛れる。
(なんなんだよあいつ……!!)
立ち止まる。
肩で息をする。
悔しさが込み上げる。
だが同時に。
(……楽しい)
笑ってしまう。
意味が分からない。
通勤だぞ、これ。
なのに。
めちゃくちゃ楽しい。
だから俺は、決めた。
明日こそ。
必ず。
「抜く」
そのために。
もっと速くなる。
もっと読み切る。
もっと極める。
新宿駅を。
完全攻略する。
(待ってろよ……黒い影)




