小さな火種
火が、小さく揺れていた。
森の中。見つかりにくい場所を選んで、二人は腰を下ろしていた。
少し前までは、こんなふうに落ち着く余裕なんてなかった。
でも今は違う。
火を起こして、食べられるものを探して、夜を越える。
そんな時間が、少しずつ当たり前になり始めていた。
サクは木の枝をくべる。
ぱち、と音が鳴る。
チヨは拾ってきた木の実を手に、静かに座っていた。
言葉は少ない。
それでも、空気は悪くなかった。
その時——
サクの手が止まる。
耳を澄ます。
「……今、何か」
チヨも顔を上げる。
遠く。
風に乗って、かすかな音が聞こえた。
叫び声のような、何か。
気のせいかもしれない。
でも——
サクは立ち上がった。
チヨと目が合う。
一瞬だけ、迷う。
「……行こう」
チヨが言った。
迷いはなかった。
サクは頷く。
二人は音の方へ走った。
木々の間を抜ける。
近づくほど、音ははっきりしていく。
叫び声。
怒鳴り声。
そして——金属のぶつかる音。
開けた場所に出た。
そこには、小さな集まりがあった。
人間たちだ。
荷を持ち、移動していたのだろう。
そして——
それを囲む影。
角のある者たち。
鬼だった。
だが——
チヨの村で見た者たちとは違う。
動きは荒い。
統制がない。
笑いながら振り回される武器は、どれも雑で、粗暴だった。
「逃げろ!!」
人間の叫び。
倒れる音。
血の匂いが、風に乗る。
サクの足が止まる。
目の前の光景に、思考が追いつかない。
でも——
すぐに、それは消えた。
考える余裕なんてなかった。
「……行く」
それだけ言って、踏み出す。
体が先に動いていた。
一人の鬼が、振り下ろした刃。
その前に、サクが飛び込む。
弾く。
腕に衝撃が走る。
「……っ!」
鬼が振り向く。
「なんだぁ?」
笑っている。
その目に、理性はなかった。
サクは言葉を返さない。
ただ、構える。
横から、別の鬼が迫る。
その瞬間——
風が走る。
チヨだった。
動きは速い。
無駄がない。
相手の腕を弾き、そのまま体勢を崩す。
倒れる。
でも、追い打ちはしない。
あくまで、動きを止めるだけ。
「サク、こっち!」
声が飛ぶ。
サクは頷く。
二人で動く。
連携というほどじゃない。
でも、互いの動きが分かる。
守る。
それだけを考える。
時間は、長く感じた。
けれど実際は短かった。
やがて——
鬼たちは舌打ちをして、散っていった。
「ちっ……面倒くせぇな」
「今日は引くぞ」
森の奥へ消えていく。
静寂が戻る。
残ったのは——
荒れた地面と、倒れた人間たち。
息をしている者もいる。
動かない者もいる。
サクは肩で息をしながら、その場に立っていた。
チヨも、少し離れた場所で立っている。
視線が、人間の方へ向く。
一人が、ゆっくりと起き上がる。
震えている。
恐怖が、まだ抜けていない。
その目が——
チヨを捉えた。
角。
一瞬、空気が凍る。
チヨは動かない。
武器も向けない。
ただ、そこに立っている。
サクが一歩前に出た。
間に入るように。
視線を受け止める。
人間は、何も言えなかった。
恐怖。
でも、それだけじゃない。
混乱している。
助けられた。
でも、相手は鬼。
理解が追いつかない。
「……大丈夫か」
サクが言う。
短く。
それ以上は言わない。
人間は、小さく頷いた。
まだ完全には信用していない。
でも——拒絶もしない。
そのまま、仲間の方へ向かっていく。
サクは、ゆっくりと息を吐いた。
チヨを見る。
チヨも、こちらを見ていた。
何も言わない。
ただ、目が合う。
少しだけ、安心したような顔だった。
それでも——
周りは変わらない。
壊れた跡。
残った痛み。
これが、消えるわけじゃない。
サクは視線を落とす。
助けた。
確かに、助けた。
でも——
これで何かが変わるわけじゃない。
風が吹く。
火の残りが、小さく揺れた。
もう、止められない気がした。




