旅の終わりに
1
塔に入ると、中は螺旋階段があるだけの吹き抜けになっていた。階段は無限とも見える弧を描き、上へと伸びている。
鈴音は迷うことなく、その階段の一段目にゆっくりと足を掛けた。と、何かのイメージが頭の中を擦り抜けていく。
それは闇だった、単に暗いというのではない。完全なる無による闇、いや、闇そのものすらない虚無である。
二段目には光があり、陰があった。
三段目になって陸が見えた。五段階に分かれ、決して交わることのない平行線を維持する五つの大陸が。
四段目、大陸は徐々に膨張し、その中に宇宙を生み出した。
五、六、七、宇宙の中に星が生まれ、星に陸と海ができ、植物が現れる。
ここまで来たところで、鈴音は理解した。このイメージが世界創造のハイライトであることを。鈴音は続きを見たくて足を早めた。
星々に動く物、動物が現れ、やがて人に進化していく。
人は火を発見し、牙の代わりに石斧を、爪の代りに矢を作り、水と土、そして火によって器を造る術を知った。
やがて獣を追うだけだった人は、作物を自ら育てることを覚え、その作物を、そして作るための土地を奪い合うようになる。
自分たちが作り出した牙を用いて。
戦いは激しさだけを増していく。人は争いの中で、より強力な兵器を探し求め、他の動物には決してない力を手に入れた。
それは『科学』であり『魔法』だった。
それぞれの宇宙で発生した人は、その力を高め更なる力を得ようとした。そして、幾つかの星が滅びた。自らの愚かさによって・・・。
滅びた星は、元の闇に戻った。だが、この闇には宇宙を形成していただけのエネルギーが残っており、そのエネルギーが新たなる世界の誕生を助けた。
かつての失敗を繰り返さぬよう、新しい世界に宇宙はなくなっていた。
一つはエネルギーの塊が浮き沈みするだけの無色透明な世界。一つは多彩なエネルギーがひしめき、自らの動きに制約を作る世界、一つは制約された動き、役割に準じて行動し時に軌道を外れるものの世界。
そして、それらの世界に滅びをもたらすことを願う憎悪の世界。
これら四世界は、ただ一つ進化が遅れたために宇宙を破壊していない世界から漏れる思念を糧に形を得、やがてまったく異なる進化を遂げていく。
そう、それが天界、精霊界、妖精界、地界の成り立ち。
そして、その世界に生まれた意志ある命は本能につき動かされ、それぞれに与えられた使命を全うしようと動き始めるのだ。
天界が世界の安定を作り、精霊界が守り、妖精界が見守る。そして地界は世界を混沌に戻そうと全力を尽くす。
その均衡ある戦いがあってこそ、世界は存在し続けていられたのだ。
だが、この均衡ある戦いは唯一宇宙を残す人間界で、一つの魔法文明が滅んだとき、重大な岐路に立たされた。
文明が滅んだときのエネルギーの余波が、地界の奥底で眠り続けていた『オルゲス』を目覚めさせてしまったのだ。
それは、滅びの申し子だった。戦ってばかりの地界の民とは比較にもならない破壊神だった。これは戦い壊すのではなく、消滅させる力を持っていた。いわば世界を食い荒らす白蟻である。
その白蟻の王『魔蟲ウォルヅァル』、神々すら越える力を持った破滅の王はあと一歩のところで世界を滅ぼすところであった。が、すんでのところで天、精、妖、人、地の連合軍の前に破れ、引き千切られた。
天界の神々は、地界そのものも封印してしまおうと地界と人間界の間に地上界なる世界を作り出す。
その後、一度は共通の敵のために協力もした地界と他の世界に再び均衡ある戦いが戻り、千年周期で魔王が現れ地上界に攻め上り、天界が選んだ勇者によって打破された。
五度目には、それまでの四魔王が融合した大魔王サンディムーアが現れ、それが封印されたあと、さらに四度魔王が現れるが全て封印された。
そして、三年前大魔王サンディムーアと、それら四魔王が復活し最大規模の戦いが繰り広げられた。
勇者たちは多大な犠牲を払いつつもこれらの封印に成功、行き残った勇者たちは、この不毛な戦いを終わらせる方法を探るため、それぞれに旅に出た。
勇者たちは苦労の末、その方法を発見するが誰も実行に移せず安穏としているうちに、オルゲスらが復活し現在に至たる。
『なんてこった。関係のない、しかも女の子を巻きこんじまった』
階段を駆け登り続ける鈴音の頭の中に、イメージ映像ではない。言葉が声として入り込んできた。
その声を鈴音は知っていた。耳を通していない分、人物の特定に多少間があったものの、答えはすぐに出る。
「・・・義人君の声だ!」
声の主を特定すると同時に、鈴音は言葉の意味するところも察していた。この女の子とは自分のことで、巻き込んだというのは転移するときに、なのだと。
『元の世界に戻しておきましょう。あなたには是が非でもオルゲスらと戦ってもらわないといけませんから』
これは女神ラファエラ。
そうよね、あたしがいたら義人君の足引っ張るだけだもの。
何となく諦めと寂しさの混じった想いが、心に北風を呼び込むような気持ちになった鈴音だったが、もしそうなら、義人もそう思ったのなら自分はここにいなかったはず、と思い直す。
『待て! ・・・実はこの娘、十日前に僕を好きだっていってくれた娘なんだ。一か八か、その想いってやつに賭けてみよう』
『賭ける・・・ってまさか、あれを!! 無茶ですよ、あれを成功させるための条件の厳しさ、発案者のあなたが一番知ってるはずではありませんか』
『ああ、知ってる。だが、このままでは世界が数千年たたずに破滅することも知ってるんだ。いいか、これはチャンスだ、これを逃せばあれを成功させるための条件を揃えることは二度とできなくなる。この娘の肩には重すぎる使命だけど、僕を好きだと言った想いの強さに賭けてみたいんだよ』
もちろん、想いの強さという点には自信のある鈴音ではあるし、その想いを信じて、なにか釈然としないものはあったが、信じてくれたことに違いはないから嬉しさを感じることもできた。しかし、賭けると言う言葉には少なからぬ反感を感じてもいる。
『・・・いいでしょう、あなたがいなければ世界は三年前に滅していた。あなたには、世界を賭けて勝負を挑む権利があります。この娘のことは私の使徒たちに委ねることにしましょう。余分な負担はないほうがいいでしょうから』
『頼む。それと、みんなにも伝えてくれ、僕があれをやる気になったとな。僕は一足先に創命宮に行き、準備を進めてる』
ここでイメージの映像も声も途切れた。気がつくと階段も終わっている。目の前には壁、頭のすぐ上に天井があった。
もちろん、これだけで終わりのはずはない。鈴音は壁を、そして天井を軽く小突いてみた。
カコン
軽い音がして、天井の一部が浮き上がる。力を込めて押すと、思った以上にすんなりと上に押し上げられ口を開けた。
塔自体の輝きによる光と供に上から細かい砂がきらきらと煌めきながら落ちてくる。
鈴音はまぶしそうに目を細めた。
「どうやら、間に合ったようね」
たった今聞いていた声が、また聞こえてきた。ただし、今度のは間違いなく空気を振動させて伝わった、肉声だった。もっとも声の主に肉体はないのだが。
声に反応し、視線を向けた鈴音。その顔が、意外さと畏れ、圧倒的な精神的重圧で凝固した。
そこ、塔の中心には光の柱が六本立っていた。一本の太い柱と、それを囲む五本の柱、そしてそれらの柱には全て人影があった。
一つは目ではなく耳で得た情報により、女神ラファエラであることがわかっている。また一つは人影と言うには異質すぎる影によって魔龍アイオーンであることが知れた。
「ギリギリではありますけどね」
ラファエラの言葉を受け、別の人影が言う。その声にも鈴音は聞き覚えがあった。
「ノーランディアの巫女頭様?」
間違っていたら大変と、恐る恐る問う鈴音。その問いに声の主は穏やかな微笑みの粒子を声にあずけて答える。
「そうです。でも・・・ここではエスティリアと呼んでいただきたいものですね。ラファエラと同様に」
それは、自分が書物を司る女神エスティリアだと名乗るための答え、だった。
そして、もう一人。
「ならば、わしもケイファスタンと呼んでほしいものじゃて、ただの爺ではさすがに立場がなくなるのでな」
鈴音にとっては聞き覚えのある声が、そう要求する。それは紛れもなく『支衛の杜』でコアをくれた老人だった。
ケイファスタンといえば主神、神々の長とリカートから聞いている。そんな文字通り雲の上の人に会えるとは、と一瞬昂揚感が身を走るのを感じた鈴音だったが、その感じはあることに気づくと同時に霧散した。
「・・・と、すると、もしかしてコアがどうとかいう話は?」
「でたらめじゃ。全てはおぬしをここに来させるため、むろんそればかりが理由というわけでもないがな」
あっさりと認める主神、だからといって鈴音も認めてやる義務はない。怒ってはいないが、呆れてはしまっていた。
なにか文句の一つも言ってやりたいところではあるのだが、どう言ったらいいのかわからず、鈴音は二の句が告げずにいる。
「なにか言いたいことがあるのなら、我らに言うよりも光の中心にいる者に訊くが良ろしいでしょう、あのかたこそがこの大芝居の原作者にして総監督なのですから」
聞いたことのない声が、そう勧める。それが何者なのか鈴音の知るところではなかったが、いずれ神々の一人であることは間違いないだろう。
ともかく、そういうことであるならば迷うまでもない。鈴音は勧められるまま中心にある光の柱へと歩を進めた。
歩くうち、そこにいるのが誰なのか期待意外の何かが確信に近い答えを導きだし、彼女の足は自然と速くなる。
やがて、それは駆け足となり、数秒後跳躍に移ったかと思うと光の中央にある人影に鈴音は抱きついていた。
「ほぼ一月ぶりの再会ってとこかな」
抱きつくというより、しがみつくと形容したい鈴音の行動に、照れたような微笑で答え、影が言った。
その右頬に熱い一撃が加えられる。鈴音の平手打ちだ。ついでに言えば、胸元は涙と鼻水で濡れている。
「・・・あ、ご、ごめんなさい」
あわてて顔を離す鈴音、その頬を伝う涙を義人は何も言わずに拭いてやった。それだけなら、わりとかっこいいシーンだったのだが左手では赤く手形のついた頬を押さえていたので、絵的にはあまり美しくない。
「謝らなきゃなんないのは、僕のほうだ。一度はふった身で君に重すぎる使命を押しつけたんだからね」
「いいの、そんなこと。あの時の長く続かないって言葉の意味、世界が永く続かないって事だったんでしょ? こんなすごい秘密抱えてたんじゃ、あたしと付き合ってなんていられないものね」
付き合ってはいられた。だが、たとえ付き合い始めたとしても義人の気持ち的には中途半端のまま終わりそうな気がしていたのだった。
彼女の本気に対して、いつでも一歩引いて対応する。そんな寂しい付き合い方しかできないなら、いっそ一人のほうが幾万倍増しと思えたのだ。
理解してほしいとは思っても、理解してくれと頼めるような筋の話ではないのだが、どうやら彼女は気づいてくれたらしい。
「だから、許してあげる。・・・だけど、これが終わったら、あたしまた告白するから、たとえどこにいたって告白するから、そんときはちゃんと受けとめてね」
上目遣いに睨み付け、どすをきかせたつもりなのだろう、低い声で鈴音が言う。
そう言ってしまったのでは、結局ここで答えを返すことになるのだが、この場合言葉の意味合いよりも、メンタルな部分での儀式としての意味合いのほうが比重が重いらしい。
「そうだな、そのためにも世界を無くすわけにはいかないな」
2
世界が消えてなくなるとき、その刻が一歩一歩確実に迫っていた。
塔から見て、山越に見えていた見渡す限りの荒野が、見える限りの荒地になっている。その向こうには、死神すらも滅ぼす砂嵐が壁のように立ちはだかり、ナメクジのようなゆっくりとしたスピードではあったが確実に近づいてきていた。
「なに? あれ」
「『オルゲス」の、あれが本体だよ。全てを無に帰す強大な力、純粋な破壊の力にして巨人の意志を伝える最後の代弁者」
やっと逢えた感激から一転して、今度は恐怖でしがみついてくる鈴音の肩を抱き、義人が話している。
砂嵐は休みも急ぎもせず、一定の速度を維持して近づいてきていた。鈴音はもちろん、義人にも見つめるより他に為すことのない強大さである。そうやって見ている間にも、世界は確実に消失していく。
「『オルゲス』って、もとはなんなの? 確か世界の住人は全て巨人の意志や肉体から生まれたんじゃなかったっけ」
リカートから伝え聞いた創世神話を思い出し鈴音が問う。まぁ、当然出てくるだろう疑問ではあった。
「良心だよ。自分が生み出してしまった世界への自責の念が実体化、もしくはエネルギー体として安定したもの、それがあれさ」
こともなげに言う義人だが、むろん、鈴音がそんな説明で納得のいくはずはない。全てを破壊することが、良心のなすべき職務であるわけはないのだから。
「この世界が巨人の望んだ理想の世界とかけ離れてしまったってことさ」
鈴音がいまいち納得していないことに気づいて、義人が語を続けて説明する。
この世界を生んだ巨人が欲していたのは、何よりもまず仲間だった。たとえ敵としてでもいい、同じ世界に存在する仲間がほしかったのだ。
その想いは空想へとつながり、巨人は孤独を埋めるために空想の世界に仲間を求めた。
空想の中で、巨人はひとときの幸福を得たが、やはり感情の生き物に過ぎない彼は欲が出てくるのを止めることができなかった。
同じ世界に存在してくれるものならば敵でも、そう思っていたのが友として存在することを望むようになり、やがて恋もしたくなる。恋をすればデートがしたい、デートをするには平穏な世界がいい、と。
際限なく広がっていく空想、妄想に現実世界に存在する肉体がついていけなくなり、巨人は自ら生きることを拒否したのだった。
そして、巨人の妄想は残留思念として死した肉体に宿り、のちの世界を産むいわば種になったのである。
「だけど、今の世界が巨人の、その想いを正確に反映したものだと思うかい?」
ため息混じりに問い返す義人、鈴音はその問いに首を横に振って答えた。それ以外に答えようがあるだろうか。
「そ、違うんだよな。平穏な世界を望んだ巨人には悪いけど、世界中どこ見たって、平穏って言葉の当てはまるとこなんかないのが現実だからな」
パンドラの箱の話ではないが、世界中のどこを取っても争い事や悲しみ、苦痛のないとこなどありはしない。
なぜなら、この世界は巨人の妄想に代表される楽しい気持ちだけで産まれたわけではないからである。妬みや恨み、怒りや憎悪もまた世界を作る糧となっていたのだ。
つまり、楽しく安らかな世界を望む気持ちを、同じ巨人から出たいじけた気持ちが邪魔しているのである。
せっかく自分の血肉から理想の世界が生み出されたのに、その平穏さを同じく自分の血肉から生じたものたちが破壊しようとする。そんな姿をただ見つめるというのは、まさに地獄である。
肉体を世界の創造のために捨て、魂までも四散させた巨人ではあったが、現状を見るにつけ自ら生じさせた火種をなんとかせねばと思い、結果全てを無に帰することにしたのだ。 余りにも短絡的な結論ではあるが、争いを完全に無くそうと思えば、そうするほかにないのも事実ではある。
ただ、それをやられたのでは今現在生きている者たちにはたまったものではない。命を与えておきながら失敗したからといって簡単に殺されたのでは、満足の行く内容ではないとリセット・スイッチを押されるゲーム・キャラクターと同じ、ということになる。
たとえ命の親だろうと神だろうと、すでにある命を消すことなど許されるものではないはずだった。
「で、僕らは多少なりとも悪あがきをしようとしているわけだ。完全な楽園なんてあるわけないから、巨人がある程度納得してくれる世界に再編する。もしくは、巨人にある程度の争いはあって当然なのだと納得させるためにね・・・さ、そろそろ始めようか」
周囲にいて五芒星を形作っている面々を一瞥しておいて、義人は鈴音を光の柱のさらに中心へと誘った。
「始める、って何をすればいいの? あたしは」
ここまで、単に義人に逢いたい。その想いだけで来た鈴音である。こんな事態にあって何かを為す力などあるわけがなかった。
「なにもしなくていい。ただ、君の心の中にしまわれている思い出の数々をイメージとして脳裏に写し出していてさえくれればいいんだ」
鈴音をさらに困惑させるようなことを口にし、義人は他の五人に何か合図を送った。と、五人のいる光の柱が白・青・緑・紫・赤と色を変え、義人らのいる中心へと流れ込み始める。中心もまた黒く変色し、他の五つの光を取り込みながら輝きをいっそう強くした。
「・・・よし! これでいい、鈴音。もっと強くしがみついててくれ、これから君の体にこの力を流れ込ませる。半端な衝撃じゃないはずだ。僕を離さないでいてくれよ」
やっぱり、よく分からないことを言う義人、だが具体的に何をしようとしているのか、何をすればいいのかは分からないながらも、しがみついていろ、離れるな、この二つの言葉に逆らう気など毛頭ありはしなかった。それこそが鈴音の望みだったのだから。
全身の力を込めて、鈴音が抱きついてくるのを確認して、義人は次の行動に移った。光の奔流を、鈴音を介して自分へと流れ込むように調節する。
「この光は各世界をエネルギー化したもの、そのエネルギーを君という触媒に一時的に貯えさせることで、巨人の悪意を浄化する。そしてその浄化されたエネルギーを僕が受け取り、もとの世界を構築し直す。かなりの苦痛を伴うとは思うけど、楽しい思い出だけを思い浮かべていてくれ。妬みや恨みの気持ちを君が持てば、全てが無駄になるんだから」
やっと、具体的な説明が出たところで、鈴音は自分の存在が世界の再構築に必要不可欠であった理由に気がついた。この役は義人に全てを、命と命以外の全てを預けることのできる人間にしかつとまらないものだったのだ。
いかに世界の存亡を賭けたことであっても、赤の他人のために苦痛を受け入れることは難しい、というより精神的に不可能であろう。それを唯一可能にするのは、義人に対する信頼と愛だけである。
そして、何よりも苦痛に絶えながらも楽しいことだけを、考え続けるというのは痛みを知る生き物には無理な話だ。これを可能とするものもやはり、愛以外にはない。
今回の場合、義人に全てを託す立場の鈴音は、命がけで義人を追いかけてきたことからもわかるように彼を愛しており、しかも一度は振られた身であるだけにただ抱きつくだけでも至福を感じられる。
そこに平時なら絶えがたい苦痛が加えられたところで、肉体的な苦痛はともかく精神的には大して苦痛を感じずにすむはずだった。
そういった理由があって、鈴音が世界構築の鍵と呼ばれるのであろうし、だからこそその気持ちの強さに賭ける、となるのだろう。
「じゃ、いくよ! いいね!!」
「うん!!」
納得のいったところに、義人が声をかけ、鈴音は元気以上の強さを持ってうなずいた。
途端に、それまで二人の周囲で渦巻いていた光の奔流が、これまでにない大きなうねりを見せたかと思うと鈴音の背中へとぶちあたった。
「クッ!」
苦痛に顔を歪める鈴音。口からは抑え切れない苦悶の声が漏れている。
背中から入り、体内を駆け巡る暴風の存在を彼女はその華奢な身体全身で感じていた。今にも、全ての血管が破裂し、肉体が砕け散りそうだった。
苦痛に耐するべく彼女の本能は怒りという単純な感情にすがりかけていた。それが、気を失う以外では最も楽な道だったのである。
だが、それを享受することを彼女の理性と感情は許したりしなかった。義人の期待に、世界の願いに答えるためにも怒りというマイナスの感情に全てを委ねるわけにはいかなかったのである。
そうして、楽しいほうへ楽しいほうへと必死に想いを走らせる鈴音にとって、唯一の救い、心の拠所は腕、頬、胸から伝わってくる義人の体温だけであった。
激痛という言葉すら生易しいものに感じてしまう苦痛の中、義人のため、なにより自分のために楽しい空想に没頭しようと努める。
気を抜いたとき、フッとふかび上がるようなものではない。
意識的に、しかも全神経を集中しての空想だ。言うなれば、昔見た映画を画面の隅々、キャラクターたちのセリフ、口調、背景音楽や効果音まで克明に思い出し、映画館で嗅いでいたはずの匂いまでを今現在、ここにあるもののように感じようとするような、そんな作業だった。
逆に言えば、現実を超えるリアリティーを持つフィクションを、自身の脳だけで組み立てなくてはならないのである。
心になら、どんな夢も描くことができる。だが、その夢を実現させきれない肉体を持つのが人間だ。いま鈴音は夢、空想のために肉体を自分という主観から切り離しにかかっている。
皮肉なことに彼女のそうした思念上の行動を助けてくれたのは、彼女をそうせねばならない窮状に追いやった耐えられないほどの苦痛だった。あまりの苦痛に、彼女の神経は焼き切れてしまったのである。
ありていに言えば、脳内麻薬であるアドレナリンが彼女の神経から苦痛を取り除き、心地よさすら感じるようにしていたのだ。
「・・・・・・どうやら、うまくいきそうだな」
苦痛に歪んでいた鈴音の顔が、眠るような安らかさに変わったのを見て義人が一人うなずいた。
すでに、その周囲には何者も存在していない。神々も魔龍も姿を消し、広大だった荒れ地も、屏風のようにそびえ立っていた山脈も、その山脈に囲まれ建っていた塔も、なにもかもが無へと帰し、辺りには虚無だけが静かに存在している。
「さてと、じゃ、僕もそろそろ始めるとするかな。彼女に苦痛を強いておきながら、僕だけ楽はできないからな」
抱きついてきている鈴音の肩を上から抱くようにして押さえ、義人もまた。自分の内へと意識を集中させていく。
3
焼けた壁。
血のにおい。
どこかで泣いている子供の声。
我が子の姿を求めさまよう母親。
打ち捨てられたマネキンのように横たわる死体。糸の切れたマリオネットのごとく力なく座り込む人々の群れ。
だんだんと減っていく剣撃の音。
馬のいななき、怒声、断末魔の声、獣と化した男どもに押倒され、絶望の叫びを上げる少女たち。
その中を影が一つ、動いていた。
戦うためではない。逃げるために・・・。
敵からでも戦いそのものからでもない。自分自身の弱さから逃げるためだった。
逃げたところでどうにもならないことはわかっている。自分から立ち向かわない限り、逃れることも打ち勝つこともできはしないと知っていてなを、影は逃げることをやめなかった。
「!!」
影は不意に足を止めて、耳を澄ます。声が聞こえたのだ、これまで聞こえていた女たちの声と同種のものであったが、ただ一つ違う点があった。それは、この声が影にとっては聞き覚えのある、知人の声だったこと。
反射的に影は声のした方へと駆け出していた。駆けていって何をしようというのか、自分でもわかってはいなかったが、行かなくてはならないと感じていた。
声の主である少女は納屋にいた。
村人たちから月光のような、と讃えられた白金色の髪が煤で黒ずみ、乱れている。胸には十歳にも満たない妹をしっかりと抱いていた。
まるで抱きしめることで妹が小さくなり、完全に消えてしまうことを願っているかのようだった。
そして、彼女らの視線を追うと村を襲った化物どもの一団が欲望剥き出しの笑みを浮かべながら、ゆっくりと二人のほうに向かって歩き出していた。
と、姉のほうが短剣を握り締め、腕がちぎれんばかりに短剣を振り回し、その一団に切りかかっていった。
運良くといっていいだろう。その切先が一匹の化物の目に当たり、脳を貫いた。
しかし、それで優勢になるわけがない。
少女は、涙を流しながら戦っていた。
その姿を見たときである。
心の中で何かが沸き上がるのを影は感じた。心の片隅に沸き上がったそいつは、少女の腕が短剣を振るう度に膨れ上がり、しだいに影の心を支配していく。
少女のめちゃめちゃな戦いぶりに、一瞬、怯んだ怪物たちだったが、すぐに立ち直り組織的な攻撃をしはじめた。
そうなっては、少女一人に勝ち目はない。一匹の怪物が振り上げた小剣が、胸を斜めに切り裂いた。
萌黄色の衣服が破れ、白い肌が露になる。そこに赤い筋が走っていた。
苦痛に呻き声を上げながら、気丈にも少女は短剣を振るい続ける。
そこを後ろに回った怪物が、少女の太股にザックリと短剣を埋め込んだ。
少女はそれで、地面に倒れた。
ここぞとばかりに怪物は少女に切りかかる。
少女は文字通り切り刻まれた。
村一番と讃えられた顔も、ほっそりとした足も、可憐だった腕も、醜く肉が弾け、血で赤く染まっている。
それでも、怪物どもは少女の身体を切り刻んでいる。
骨の砕ける音が、肺から出た空気の血を泡立てる音が、腹部からはみだした内蔵の臭いが、空間を支配していた。
「止めろ!」
影は叫んでいた、叫びながら、自分の行動に驚いてもいる。本当なら、今頃は凄惨なだけのここから逃れ、どこかの物陰で震えているはずなのだ。
だが、叫んでしまい、その声で振り向いた怪物どもの視線を受けると、驚きも恐怖も掻き消えていた。
影は奇声を発しながら駆け、剣術の稽古の時にすら抜かなかった中剣を鞘から引き抜いていた。
そのあと、なにがあったのかは分からない。気がつくと、影の足下には一撃の下に命を絶たれた怪物たちの死体があり、すでに死臭を放っていた。
その横では、目の前で姉を切り刻まれた女の子が、姉の血でできた池に座り込み、ほとんど唯一原形をとどめている髪の毛を胸に掻き抱いていた。以前は白金色だったその髪も、今や夕焼け色に染まっている。
「行こう、ライザ。生きている者は死んだ者以上にしなきゃなんないことがある」
半身を姉の血で朱に染めている女の子に、いまさらながら震えはじめている手をさしのべ、影が言った。
コックリ、とうなずき女の子は自分で立ち上がり、顔を上げる。
その瞳に、渇き切ってしまったのだろう、涙はなかった。
「うん。・・・わかってる、わかってるよ。オーリンにいちゃん」
「無茶としか言いようがありませんな」
白衣に眼鏡、嫌味なほどにキッチリと分けられた髪。ドラマか映画のような典型的な医師が、同じくらいに典型的な重々しい口調で断言する。
目の前のベッドには淡雪で作った人形のような白さの、しかし生気あふれる女性、その脇には介護用の椅子に座った男性がいる。他人が見ても夫婦とわかる雰囲気のある二人だった。
寝不足ででもあるのか、二人とも目を赤く腫らしていたが、その顔は晴れやかに輝いている。
「いまさら言う必要のないこととは思いますが、奥さんは心臓が生まれつき弱い方です。出産に耐えることは体力的に難しいでしょう。最悪の場合には母子とも・・・ということもありうるんですよ」
事務的な言葉が冷徹な事実を告げる。
それでも若夫婦の意志は変わりそうになかった。穏やかな微笑みを浮かべ医師の目をまっすぐに見つめかえしている。
医師は説得をあきらめた。もとから無駄であることは分かっていたのだ。
医師としての立場上、一応は警告する必要があって、言いはしたが自分がありきたりのセリフを言ったところで、この夫婦に聞いてもらえるとは思っていなかった。
それに、医師としての立場ではなく、一人の人間として、これまで接してきたどの夫婦よりも、この夫婦には子供を抱かせてあげたいという気持ちもある。
はじめから子供のできたことを最悪の事故と言い、枝毛の処理を頼むような気安さで堕胎手術を受けに来る女子中・高生や、子供をかわいがるふりをして夜泣きがうるさいとせっかん死させる母親、子供を産み育てる資格のない奴らがあまりにも多すぎる。
だが、この夫婦は間違いなく母であり父だった。この両親に育てられる子供は幸せだろう。そう思っていた。なのに、おろすよう勧めなくてはならない自分、医者としての自分が腹立たしくなる瞬間である。
「・・・わかりました。その覚悟もしているとおっしゃるなら、私どもに強制する権利はありません。全力を尽くすことを約束しましょう。ですが、万一の場合のことについて・・・」
ともすれば喉に張り付きそうな言葉を、医師は苦労して口にしていた。淡々と事務的に、そう己に言い聞かせながら。
「子供を、優先させてください」
医師の言葉の真意を察し、婦人が言った。最悪の場合、今のままではそうなる可能性は五分以上だろうが、そうなった場合には自分よりも子供を生かしてくれといっているのである。
医師は驚いた顔を見せなかった。というより驚いてもいなかった。この婦人であれば、そう言うに決まっている。だが、その言葉を眉一つ動かさずに落ち着いて聞いている旦那には戸惑いを覚えた。
あれほど妻を愛している、この夫がよく承知したものだと。
しかし医師はその考えをすぐに打ち消した。愛していればこそ、落ち着いていられるのだということに思い至ったのである。
これほど互いを信じ合い思いやる夫婦が、恋人たちが、現在のこの国にどれほどいるだろう、と寂しく考えてしまっていた。
「・・・わかりました。もっとも、そうはならないようにするのが我々の仕事ではありますがね」
仕事でなくったって、そうしたい。事務的な口調の裏に心の叫びを挟み込んで言い。医師は病室を出ていった。
その後ろ姿を、婦人はすまなそうな目で追った。自分が、あの医師に過度の負担を掛けているのはわかっているのだ。
医師にしてみれば、今こうして生きている人間の命を危険にさらしたくはないに違いない。
まだ名もない子供をおろすのには正当な理由を無理矢理にでもかぶせることができるが、会って話すことのできるものの命を脅かすのには、理由のつけようがないのだから。
それに、これは医師個人の問題だけではすまないことである。
病院の経営者にとってみれば、堕胎手術を早めに勧めていれば死なずに済んだ人間を、一種の賭けに供し死なせた、などと騒がれようものなら信用問題にもつながる暴挙でしかないのだから。
おそらく、医師は自分たちと経営者との板挟みになって、神経をすり減らしているに違いないのだ。もし、この医師が胃潰瘍になったとしたら、その半分ぐらいは自分の責任だろうと、婦人は思っている。
婦人は心の中で、そっと手を合わせていた。
チリーン チリーン
窓の風鈴が、夏のそよ風を受け鳴っている。
「いい音ね。涼しいってよりも心を落ち着かせる音だわ」
一瞬、遠い目をして妻がささやく。そのささやきに夫は静かに微笑んだ。
「そうだな、俺らの子供にも、そんなふうに育ってほしいものだ」
君の子なら、きっとそうなれるだろう。誰かにとって心を落ち着かせる存在、誰とでも自然に付き合える子に。
「そうだわ! それよ!!」
夫の言葉に、何か考える様子を見せた妻が、小さく叫ぶ。
「なにがだい?」
「あたしたちの子供の名前よ。すずね、鈴の音って書いて鈴音はどうかしら? 羽音鈴音、ね、なんか韻をふんだ詩的でいい名前だと思わない?」
どうかしら、それは意見を求める言葉であったが、意見を欲してなどいないことは明らかだった、間違いなく妻は子供の名を決めてしまったのだ。
「だが、男かも知れないぞ」
「ううん、女の子よ。わたしにはわかるの。きっとこの子は幸せになれるわ、わたし以上にね」
そう言って微笑む妻の顔を、夏の夕焼けが朱色に染めた。
その笑顔に誓ったのだ、死ぬかも知れぬ恐怖の中でさえも慈愛を忘れない、その微笑みに、鈴音も君のような笑顔ができるように育てると、そして何があっても悔いない人生を歩ませてみせる、と。
まるで妻の死を肯定するかのような誓いであったから、口には一切出さなかったが、妻には伝わっているに違いない。
なぜならそのあと、全てを任せるつもりなのだろう、妻は一度も娘のことを口にしなかったのだから。
「鈴音は塔に入ったか?」
苦しい息の下でライザが訊いた。
「えぇ、さっき塔の中で階段を駆け登る姿が小窓から見えました。もう半分ぐらいは登ったみたいですよ」
ライザ以上に乱れた呼吸をなんとか押さえようと努力して、リカートは掠れた声で答えている。
「そ、ならあたしらの使命は果たされたわけね。ここからは気兼ねなく戦えるってもんだわ」
これまでとて気兼ねなどする余裕はなかったのだが、鈴音を守る大義がなくなったからには、護衛ではなく一介の戦士として剣を振るえる。その剣には自分の命以外にかかるものがないのだ。軽くなる道理である。
そして、選り好みのしようもないほど獲物はたくさんいた。狙わずとも剣を振りさえすれば敵にあたる。
それはもう一つ別の意味をも持っていた。どっちを向いても敵の凶刃が青白い光をたたえて、待っている。
「やれやれ、あたしらは本当、働き者ね」
結界を背にしたために、背後に回り込まれることこそなかったが、それでも二人は同時に二匹以上を相手にしなければならなかった。また、回りを何重にも取り囲まれ、もはや逃げることもできない。逃げる気はもとからなかったが・・・。
自分たちが息絶えるか、怪物たちが全滅するかのいずれかであろう。そしてそれはたぶん前者に違いなかった。もっとも、今回の場合先に世界が消えるというのもある。
ライザはさすがに生粋の戦士らしく、剣と盾を巧みに使いこなしていた。一匹の攻撃を盾で受け止めながら、もう一匹に素早い一撃を繰り出す。その攻撃を防ぎ損ねた一匹がたちまち肩から血を噴き出し、どうと倒れた。
その背中にリカートが止めの突きを入れる。
魔法の援護を続けて、精神力を使い果たしたリカートにはもう、それぐらいの力しか残ってはいなかったのだ。
「これまで、ね」
ライザは呟いた。
さすがに彼女も剣の振りが鈍ってきたのだ。リカートが咳き込み、首と腰がふらつき始めているのを見て、ライザは覚悟を決めた。
盾を前に投げ捨て、中剣を両手に持ち替え、身体を低く構えた。気力を振るい起こすため、身体の底から搾り出すような大声を上げる。
「ウォーッ!」
そして、弾けた。
その目はもう何も見ていなかった。ただ幼い頃に自分をかばって死んだ姉の最期が脳裏にチラついている。その時、閃光のようにひらめくものが頭の中に走った。
『そうか、そうなのね。姉さん』
ライザは心の中で叫んでいた。
気がつくと、鈴音は見覚えのある道を一人、歩いていた。東から昇った太陽が、西に傾き地平に消えようとする時間である。
夢から醒めたばかりのような混濁した意識をハッキリさせようと頭を振った。その目に一人の男が飛び込んでくる。
真新しい学ランを着て、鈴音の立っている道を向こうから歩いてきていた。
あることに気がつき、自分の姿を見下ろすと、自分自身セーラー服を着ていることに気がついた。
なにより、この道が自分でない人の通学路であることも思い出している。見覚えがあって当然の場所だったのだ。
この場所こそが、あの時のあの場所なのだ、絶対に忘れられない、忘れてはならない、忘れるわけがない場所である。
知性以外の何かの力を得て、鈴音はその意味を瞬時にして理解した。一度消滅した時間、次元が戻ったのだ。
たぶん、いいほうに変質して。
高鳴る鼓動を押さえつつ、鈴音はその人物を待った。そして、その影が自分の爪先に触れたとき、顔を上げ最高の笑顔を向けた。
「好きです、付き合ってください」
自分でも月並みかな、と想いながら羽音鈴音は声を掛けた。
常に背中を追ってばかりいた憧れの彼に。 紅の差した頬が愛らしい。
声を掛けられた彼は、その言葉に破顔し、何も言わずに手をさしのべた。鈴音の手が、それと重なり二人は肩を寄せ、歩き出した。
そして、新たなる神話が紡ぎ出される。
決して歴史に残るものではない、なんぴとも言葉として語ることのない。それは創世神話である。
この世に人の営みのある限り、延々と伝わる無言の記憶。
一本の糸が、別の糸と出会い、結ばれ、絡められ、編み込まれる。
二本の糸が三本になり、四本になる。その増えた糸がさらに別の糸を呼び込み、やがて一枚の織物となっていく。
星々の誕生と死に果てがないように、この織物にも決して完成するときはこないのだ。
糸を紡ぎ続ける織姫のある限り。




