ホープの仲間
騎士見習いの選定が終わった日の夕方だった。
春の陽は西へ傾き、闘神の城を赤く染めていた。高くそびえる石造りの城壁は、昼間に見たとき以上に重厚で、夕焼けの色を受けて静かな威厳を帯びている。空には薄く雲が流れ、訓練場に吹き抜ける風はまだ少し冷たかったが、冬のそれとは違って、草と土の匂いを運んでいた。
城の外に設けられた広い訓練場では、昼間の試験の熱気がまだわずかに残っていた。
地面には打ち合いの跡があり、踏みしめられた土はところどころ固くなっている。訓練用の木剣を片づける兵士たちの姿が遠くに見え、見物していた人々も、もうほとんど帰り始めていた。
そんな訓練場の隅に、四人の少年少女が集められていた。
今日から騎士見習いとして認められた者たち。
自然と、同じ場所に立っていた。
ホープ。
ルーク。
セリア。
ガルド。
昼間はそれぞれ試験に集中していて、ゆっくり言葉を交わす余裕などほとんどなかった。闘神の御前で誓いを立てたあとも、兵士たちにあれこれ指示を受け、ようやく落ち着いたのがこの時間だった。
四人の前に、一人の兵士が立っている。
年かさの男で、試験のときに前へ出ていた兵とは別の人物だった。肩幅が広く、日焼けした顔には厳しさが刻まれている。胸当てには闘神の騎士団の紋章が刻まれ、その姿だけで、長くこの地を守ってきた実戦の兵だと分かった。
兵士は腕を組み、四人を見渡して言った。
「今日からお前たちは同じ騎士見習いだ」
その声は大きくはない。だが、よく通った。
四人は自然と背筋を伸ばす。
兵士はさらに続けた。
「騎士は一人では戦えない」
その言葉に、ホープの胸がわずかに動く。
父も似たようなことを言っていた。
騎士は強いだけではだめだ。
守るために戦うのだと。
そして守るということは、自分一人の力で完結するものではないのだと。
兵士の視線が四人の顔を順にたどる。
「互いを知れ」
それだけ言うと、兵士は踵を返した。
「明日から本格的な訓練が始まる。甘い気持ちで来るな」
最後にそう付け加え、さっさと訓練場の中央へ戻っていく。
その背中を見送りながら、四人のあいだにしばらく沈黙が落ちた。
誰もまだ、どう口を開いていいのか分からない。
同じ試験を通り抜けたとはいえ、ついさっきまで他人だったのだ。しかも種族も育った場所も違う。緊張が解けきっていないこともあって、空気はどこかぎこちなかった。
ホープは父の形見の革手袋をはめたまま、そっと指先を握った。
仲間。
さっき兵士は、はっきりそう言わなかった。けれど「互いを知れ」という言葉の意味は分かる。この先、訓練を共にし、同じ騎士団の一員として生きていくのなら、きっとこの四人は何度も同じ場に立つことになるのだろう。
その最初の一歩が、今なのだ。
沈黙を破ったのは、ルークだった。
腕を組み、少し顎を上げるようにして、ホープを見た。
「お前」
突然声をかけられて、ホープは少し驚く。
「え?」
ルークはさっきまでの張り詰めた顔を少し崩し、どこか探るような目をしていた。
「さっき、闘神様の前で話してたやつだろ」
ホープはすぐには意味が分からず、瞬きをした。
「……話してた?」
「守るとか言ってた」
そう言われて、ようやく何のことか分かる。闘神の前で「騎士とは何だ」と問われたとき、自分が答えたことだ。
思い出した途端、少しだけ気恥ずかしくなる。あのときは必死で、周りがどう聞いていたかなんて考える余裕はなかった。
「ああ……」
ホープがそう答えると、ルークはふっと笑った。
「いいこと言うじゃん」
からかっているような言い方ではなかった。むしろ、率直にそう思ったから口にしたような声音だった。
ホープは少し照れくさくなって、視線を外しかける。だが、せっかく話しかけてもらったのに変に黙るのもよくない気がして、小さく答えた。
「ありがとう」
ルークは胸を軽く叩いた。
「俺はルーク」
にっと笑う。
「人間だ」
その言い方が少しおかしくて、ホープも思わず笑った。
「ホープ」
同じように軽くうなずく。
「同じ人間だね」
ルークは「まあな」と言いながら、どこか気安い様子で肩をすくめた。
昼間の試験のときから、ルークは目立つ存在だった。剣筋はまっすぐで、力任せに見えて意外と足運びがいい。勢いだけではなく、負けん気の強さがそのまま剣に出ていた。おそらくホープより少しだけ年上だろう。背も高く、表情にも自信がある。だが威張り散らすような嫌な感じはなく、むしろ人と距離を詰めるのが早そうな性格に見えた。
そのとき、後ろから静かな声がした。
「種族は関係ない」
二人が振り向く。
少し離れた場所に、長い銀色の髪を夕陽に光らせる少女が立っていた。耳が少し長い。細身の体に無駄がなく、背には弓を負っている。
エルフだ。
少女は落ち着いた目でこちらを見ながら、もう一度言った。
「騎士は種族で決まらない」
その言葉は、言い返すというより、当たり前のことを確認するような口調だった。
ルークが眉を上げる。
「そういうお前は?」
少女はほとんど表情を変えずに答えた。
「セリア」
短く名乗る。
「森のエルフ」
夕方の風が、銀の髪をふわりと揺らした。
ホープはその背中の弓に目を向ける。
「弓使い?」
セリアはうなずいた。
「剣は得意じゃない」
その言い方に無理な気負いはない。自分にできることとできないことを、きちんと知っている者の言葉だった。
ルークが少し面白そうに笑う。
「騎士なのに?」
その言葉だけ聞けば棘があるようにも思える。だが、ルーク自身も本気で馬鹿にしたわけではないらしい。純粋に不思議だったのだろう。
セリアは気にした様子もなく言った。
「弓の方が強い」
その一言には、静かな自信があった。
ホープは少しだけ感心する。
闘神の騎士団といえば剣のイメージが強い。父も剣士だったし、村の騎士たちも多くが剣を使っていた。だが考えてみれば、守るための戦いに必要なのは剣だけではない。遠くの敵を射抜く弓も、きっと重要な力になる。
ルークも一瞬だけ言葉に詰まり、それから「なるほどな」と笑った。
そのときだった。
後ろから、訓練場に響くほど大きな笑い声が上がる。
「ガハハハ!!」
三人が揃って振り向く。
そこにいたのは、ひときわ大きな体の少年だった。
背が高い。肩幅も広い。まだ十三、四歳ほどのはずなのに、すでに大人の兵士に近いくらいの骨格をしている。額からは小さな角が二本のぞいていた。
魔族だ。
その少年は、こちらの視線をまったく気にせず、豪快に言った。
「弓でも剣でもいい!」
腹の底から笑うような声だった。
「強けりゃそれでいい!」
ルークが顔をしかめる。
「うるさいな」
だが魔族の少年は気にしない。大きな手で自分の胸をどんと叩き、満面の笑みを見せた。
「俺はガルド!」
いかにも元気いっぱいという声で名乗る。
「魔族だ!」
自己紹介としては十分すぎるほど勢いがあった。
ホープはその姿を見て、ふと口にする。
「鍛冶屋の?」
ガルドが目を丸くした。
「知ってるのか?」
ホープは笑った。
「村に魔族の鍛冶屋がいるから」
それだけで少し親しみを感じたのだ。幼い頃から、村では魔族の鍛冶師が鉄を打つ音を聞いて育ってきた。角のある姿も、低い声も、自分にとっては特別なものではない。
ガルドは一拍おいてから、また大きく笑った。
「そうか!」
そしていきなり、遠慮なくホープの肩を叩く。
「いい村だな!」
力が強い。肩が少し痛くなるくらいだったが、悪意がないのはすぐに分かった。ガルドはたぶん、思ったことをそのまま全力で口にする性格なのだろう。
セリアがその様子を見て、小さく笑う。
「闘神様の土地だから」
その言葉に、四人の空気が少しだけやわらぐ。
ルークが地面を軽く蹴りながら言った。
「他の場所だとさ」
少し肩をすくめる。
「エルフと魔族と人間が、一緒に騎士なんてありえないんだろうな」
その言葉には、実感がこもっていた。
ルークがどこから来たのか、ホープはまだ知らない。けれど、おそらく他の土地の話を耳にしたことがあるのだろう。実際、この領地の外では、種族同士の対立は珍しいことではない。人間は人間だけで集まり、エルフは森に籠もり、魔族は魔族の土地に住む。まして同じ騎士団に属するなど、普通では考えにくい。
ガルドが力強くうなずく。
「だがここは違う」
ホープも同じようにうなずいた。
「うん」
その一言には、彼自身の実感があった。
幼い頃から見てきた村。
市場で薬草を売るエルフ。
鍛冶をする魔族。
パンを焼く人間。
互いに笑い合い、ときには喧嘩もしながら、それでも同じ土地で生きてきた人々。
それは、この領地では当たり前の景色だった。けれど、本当はとても貴重なものなのだと、ホープは成長するにつれて知っていった。
ホープは少しだけ真剣な顔になる。
「だから守りたい」
その言葉に、ルークがすぐ反応した。
「お前ほんとそれ好きだな」
呆れたような口調だったが、完全に笑っている。
ホープもつられて笑った。
「うん」
否定する気はなかった。
本当に、そうなのだ。
騎士になりたいと思った最初の日から、その気持ちはずっと変わっていない。父に教えられ、十歳の襲撃で思い知らされ、十二歳の夜に痛みと一緒に胸へ刻まれた。
守りたい。
その思いが、ホープの中心にある。
ふと、ホープは空を見上げた。
夕暮れの空の向こうに、城の塔が高く突き出している。あの上か、あるいはもっと奥か。どこかに闘神がいるのだろう。
この土地を守る神。
圧倒的な力で侵略者を退け、人間も、エルフも、魔族も区別なく治める存在。
昼間、闘神の前に立ったときのことを思い出す。あの冷たい目。全身を貫くような圧。けれど、それでも自分は目を逸らさなかった。
あのとき、確かに誓ったのだ。
ホープはぽつりと言う。
「この土地」
視線を少し下ろす。
訓練場の向こう、城下へ続く道には、まだ何人もの人が行き交っていた。
人間。
エルフ。
魔族。
夕暮れの中を、それぞれが当たり前のように歩いている。
「みんな一緒に生きてる」
ホープは拳を握った。
父の革手袋が、きしりと小さく鳴る。
「なくしたくない」
言い終えたあと、少しだけ静かになった。
その沈黙は気まずいものではなかった。
それぞれが、自分の中の守りたいものを思い浮かべているような沈黙だった。
最初に口を開いたのはルークだった。
「まあ」
口元を少し歪めて笑う。
「俺もだ」
その声音は軽く聞こえるのに、どこか本音だった。
ルークにとって守りたいものが何なのか、ホープはまだ知らない。家族なのか、故郷なのか、それとも自分の誇りなのか。けれど今の一言だけで、ルークもまた本気でここに立っているのだと分かった。
セリアも静かに言う。
「森も守りたい」
短い言葉だったが、その目はまっすぐだった。
森のエルフだと言っていた。きっと彼女には、育った森があるのだろう。木々のざわめきや、澄んだ水の流れや、静かな月夜の景色。そういうものを壊されたくないという思いが、あの静かな声の奥にある気がした。
ガルドは大きくうなずき、胸を張る。
「村も守る!」
それから満面の笑みを浮かべた。
「いいじゃないか!」
腕を組む。
「四人で守ればいい!」
その言葉に、ルークがすぐさま言い返す。
「まだ騎士じゃない」
ガルドは気にせず、さらに笑った。
「でも見習いだ!」
その明るさに、ホープは思わず小さく吹き出した。
確かにその通りだ。
まだ正式な騎士ではない。
剣の腕も未熟で、知識も足りず、明日から始まる訓練にきっと何度も打ちのめされるだろう。
それでも、今日この日に誓いを立てたことは本物だ。
闘神の前で「騎士見習い」と認められたことも、本物だ。
そして今、ここにいる四人も。
ホープは三人を見た。
ルークは負けず嫌いで、口は軽いがまっすぐだ。
セリアは静かで、物事をよく見ている。
ガルドは豪快で、細かいことを気にしない。
誰一人、自分とは違う。
育った場所も、種族も、得意な戦い方も違う。
けれど、不思議だった。
まだ少し言葉を交わしただけなのに、この三人となら何かを乗り越えていけるような気がした。
それは確信と呼ぶには早すぎる。
ただの予感かもしれない。
それでも、ホープはその感覚を大事にしたかった。
この日、四人は初めてきちんと言葉を交わした。
人間。
エルフ。
魔族。
種族は違う。
育ちも違う。
見てきた景色も、それぞれ違う。
けれど今、同じ誓いを胸に、この城の下に立っている。
この土地を守るという誓い。
命を懸けても前に立つという覚悟。
未来の騎士たち。
そしてそれは、ホープにとって初めて得た、父や母とは別の――
仲間だった。
夕暮れの訓練場に、四人の影が並ぶ。
春の風が吹き、城の上の旗がはためく。
その風景を見ながらホープは思った。
父を失ってからの一年、自分はずっと一人で誓いを抱えてきた。
苦しさも、悔しさも、悲しみも、全部胸の奥にしまって歩いてきた。
だがこれからは、たぶん違う。
同じ道を進む者がいる。
同じように守りたいものを持つ者がいる。
そのことが、ホープには少しだけ嬉しかった。
そしてその嬉しさは、これから始まる厳しい日々の中で、きっと小さくない力になるのだろう。
春の夕空の下で、四人はまだ何も知らない。
この先どんな訓練が待っているのか。
どんな戦いに巻き込まれるのか。
それでも、この日確かに始まったのだ。




