第2話:地下1,000mへの旅路
▼Day1:出会いと最初の試験
東京・品川を発って、わずか六十分あまり。要と悟を乗せたリニア中央新幹線は、滑るように新大阪駅の地下ホームへ到着した。
世の中には、実際の距離ではなく、交通機関での所要時間で描かれる地図がある。速い乗り物が使える場所は近く、そうでない場所は遠く描かれる、時間地図と呼ばれるあれだ。リニアの全線開業は、時間地図の上での日本の姿を、そして人々の距離感を、根こそぎ塗り替えた。関東と関西がもう「隣町」になったという事実を、二人は今、身をもって味わっていた。
未来的なデザインで統一されたリニアの新大阪駅は、地下深くにある。ここから大阪メトロ御堂筋線へ乗り換えるには、直結の地下通路を使う。とはいえ、開業から一世紀近い御堂筋線の新大阪駅は、今も高架の上だ。二人は地下通路を進み、エレベーターで一気に、地上階よりさらに高い場所へと昇っていく。
その乗り換え通路の途中で、要が声をあげた。
「あ、551蓬莱の豚まんが売ってる! お父さん、あれ買っておやつにしようよ! ずっと食べてみたかったんだ」
食欲旺盛な中学二年生である。大阪出身の悟は、待ってましたとにやりと笑った。
「あほやなあ要。あの豚まんはな、うっかり電車に持ち込んだら最後、車両ぜんぶが豚まんの香りに包まれて、乗客全員から羨望と嫉妬と、そして迷惑顔の視線を一身に浴びる、とんでもない代物やねん。買うのはええけど、電車内で食べるのだけは絶対アカン。大阪では、それはテロ行為として認定されとるんやからな」
「もちろん電車内で食べたりしないけど、テロ行為っていうのは盛ってるよね?」
「うっ、気づいたか。さすが我が息子。そう、テロ行為ってのは嘘や。ほんまはな、電車内で551の豚まんを食べたら、大阪府迷惑防止条例違反で逮捕される」
「はいはい。これだから関西人は……」
大真面目な顔でボケ続ける悟に、要も楽しそうにツッコミを入れていく。久しぶりに故郷の土を踏んだのが、よほど嬉しいらしい。
* * *
二人は御堂筋線で約十分、本町駅で中央線に乗り換える。
「本町で夢洲方面に乗り換えか。やっぱり目的地は万博会場の跡地で間違いなさそうやな。ほんでも、この電子チケット、降車駅が書いてへんのがどうにも気になるわ」
万博会場で働いた二十五年前を思い出しながら、悟はチケット画面を眺めてぶつぶつと呟く。
『テッテーテテー、テテテテー』
優しく、どこか懐かしい接近メロディーとともに、鮮やかな緑色の電車がホームに入ってきた。
「あ、お父さん。このワームロボットみたいな電車だよね、乗ろう乗ろう」
「ワームやのうて400系な。この車両は万博の少し前に導入されてん。デザインは……まあ好みは分かれるけど、正面から見たら正方形の四隅を落とした八角形で、その四隅ぜんぶに高輝度LEDが仕込んであってやな、車体を縦横ひっくり返しても違和感のない挑戦的なデザインで、その評価は非常に高く……(オタク特有の早口)」
「あれ、お父さんって鉄オタだったっけ? ごめん、知らなかった。刺激しちゃったね(笑)」
万博当時はぴかぴかの近未来デザインに映ったものが、二十五年を経た今となっては、少しレトロな愛嬌すら漂わせる400系。その行き先表示には、くっきりと『貸切』の二文字が浮かんでいた。
貸切列車は、弁天町、大阪港、コスモスクエアと、他の乗客のいない車内のまま滑らかに進む。
コスモスクエアを発車し、いよいよ夢洲へ向かう、そのときだった。穏やかな女性の声のアナウンスが、車内に流れる。
「次は、いよいよ、夢洲です。The next stop is Yumeshima. C9, our final stop. 大阪・関西万博のオフィシャルテーマソング、コブクロで『この地球の続きを』とともに、驚きと感動に満ちた夢洲へ、さあ、行きましょう!」
続いて、二十五年前に会場を訪れた人なら誰もが口ずさんだ歌声が、BGMとして流れ始める。その音に包まれて、列車は大阪港の海底トンネルへ潜っていく。本来なら、サビを歌いあげるころに上り坂の右カーブを抜けて、夢洲駅に到着するはずだった。
しかし、その瞬間。
列車は右ではなく、ありえないことに左へ曲がり、さらに、下へと進み出した。
ガタン、と小さく揺れたのを最後に、ふわりと体が浮くような奇妙な感覚が車内を満たす。レールの継ぎ目を越える音も、車輪の駆動音も、完全に消えた。地下を掘り進むドリルのように、列車全体が少しずつ回転を始める。ジェットコースターのファーストドロップのような急角度で、貸切列車は地下深くへ猛然と潜っていく。車体そのものが回っているおかげで、無重力感はさほどない。列車は浮遊したまま、重力に引かれて、真っ逆さまに地下一〇〇〇メートルへ落ちていった。
ここが、秘密の未来へと至る、隠されたアクセスルートだった。




