第28話:秘密の部屋
パソナ館の内部は、まるで巨大な生命体の体内に入り込んだかのような、不思議な空間だった。柔らかそうな白い壁が有機的な曲線を描き、三人は展示物を巡りながら、その奥深くへと誘われていく。
館内は様々な展示で満たされており、あっという間に数時間が溶けていった。中でも要が特に心を奪われたのは、静かな部屋の中央に置かれた、一つの展示だった。
「うわ……本当に、動いてる……!」
ガラスケースの中で、栄養溶液に満たされた水槽に浮かぶ、直径3センチほどの小さな塊。それは、規則正しく、トクン、トクンと拍動を続けていた。iPS細胞から作られた、ミニチュアの心臓だ。
「えーと、なになに?『コラーゲンで作った心臓の型に、iPS細胞から作った心筋を染み込ませています』ですって。可愛いモデルね」
璃奈が解説サイトの説明文を読み上げる。
「ということは、この時点ではまだ実用化できているわけじゃなく、あくまでモデルということなんだね」
「そうみたい。血流もまだ制御できないらしいわ。でも、この技術を発展させた先に、きっと未来がある。そういう意味で、この展示はとても有意義だったんだと思う。今ではiPS細胞からいろいろな臓器が作れるようになっているけど、この展示の段階を通ってきたからこそ実現できたと考えるべきね」
「そうだね」と要は頷く。「100年前は部屋いっぱいの真空管で何十トンもあったコンピューターが、今ではこんな手のひらサイズになってるんだもんね」
要は、ポケットから自分のスマホを取り出し、ひらひらと振りながら言った。
「うん。歴史を学ぶと、ここ100年ほどの技術の進歩は凄まじいものがあるよね。……まだ、到達できていない分野もあるけれど」
璃奈がそう呟いた時、その横顔には、ほんの一瞬だけ、どこか遠くを見つめるような、憂いを帯びた影が差した。
* * *
三人がその展示室から外に出ようとした時、要は出口のカーテンの裏側に、隠されるように存在する扉を発見した。扉には、手書きで『展示対象外』と走り書きされた紙が、無造作に貼られている。
「……これって、おかしいよね?」
「うん……確かに、気になるわね」
「入ってみましょうよ。別に、命までは取られないでしょう?」
アイラが、こともなげに言う。
その言葉を聞いて、要と璃奈は顔を見合わせた。この8歳の少女は、一体どのような人生を送ってきたのだろうか、と。
要がその扉にそっと手をかけ、押し開こうとした、その時だった。
『ポーンポーン』
飛行機の中でシートベルト着用を促す時のような、優しくも抗いがたいチャイムの音が、空間に響き渡った。すぐに一体の案内ロボットがやってくると、両手を広げて三人の前に立ち、侵入を阻止する。
「お客様、申し訳ございません。この先にお進みいただくことはできません。この先は、秘密の部屋なのです」
「そこには何があるのよ?」
ちょっと強気なアイラが問いただす。
「お答えできません。……ただ、この扉を開けるための鍵は、この会場内のどこかにございます」
「会場内って……広すぎるんだけど!ヒントを頂戴よ!」
アイラはどこまでも強気だ。その迫力に、案内ロボットは少しだけたじろいだように見えた。
「……確認いたします。少々お待ちください」
ロボットはそう言うと、その両目のハイライトをすっと消し、主催者との通信を開始する。
……約30秒後。再び目に光を灯したロボットは、会話を再開した。
「……確認いたしました。皆様に、新たな課題をご提示します。明日、Day4に、皆様三人で『大阪ヘルスケアパビリオン』を訪問してください。そこで、今現在の自分と未来の自分について考え、三人で意見交換をしていただきます。その後、『住友館』を訪問してください。そこで注意深く展示を体験していただくことで、未来が開けるでしょう」
「明日Day4、ヘルスケア館、今と未来の自分について意見交換、そして住友館を注意深く体験、ね。分かったわ。ありがとう!」
アイラは完璧に内容を復唱すると、案内ロボに駆け寄り、その体をぎゅっとハグしてお礼を言った。案内ロボは顔(にあたる部分のLED)を真っ赤に点滅させると、喜びと混乱が入り混じったような動きで、どこかへ去っていった。
「アイラ、ありがとう。すごいね。……とりあえず、明日にならないと進めないみたいだ。今日はこのあとスペイン館へ向かうとして、二人とも、明日も付き合ってくれるかな?」
要が尋ねると、アイラは力強く頷いた。
「当然よ!この問題、最後まで解き明かすわ。璃奈も、行くわよね!」
「……うん。分かった。行きましょう」
璃奈は、一瞬だけ間を置いて、静かに、しかしはっきりとそう答えた。




