第19話:空飛ぶウサギ
▼Day2:それぞれの戦いかた
二日目の朝。地下万博の人工の空が、爽やかな朝の光を投げかけている。
日向姉妹は、昨日訪れたオーストラリア館の前に立っていた。
「やっぱり、オーストラリア館まで戻ってこんほうがスイス館には早かったんちゃう?スイス館って、迎賓館からすぐ近くやと思うんやけど……」
万里奈が、最も効率的なルートを指差しながら言う。しかし、璃奈は人差し指を立てて、得意げに左右に振った。
「チッチッチッ。わかってないなあ、万里姉ちゃんは。ロールプレイングゲームと一緒だよ。まだ行ってないマップの黒いところを、ちゃんと全部歩いて白くしないと気が済まないでしょ?もし、まだ見てないパビリオンの裏に、すごいレアアイテムが隠されてたらどうするの!」
「レアアイテムて……。まあ、璃奈がそう言うんやったら、付き合うけど」
万里奈は、天才でありながら時折見せる妹の子供っぽいこだわりに、やれやれと肩をすくめた。その返事を聞いて、璃奈は満足そうににっこりと笑う。
「よし、じゃあ、スイス館へ向かおっか。万里姉ちゃん」
「はいはい。そやね」
オーストラリア館の前を出発した二人は、大屋根リングに沿って会場を散策しながら次の目的地であるスイス館を目指すことにした。
リングの下の回廊を歩いていると、横幅いっぱいの大階段の上に真っ赤な太陽の映像を映した、情熱的なデザインのパビリオンが見えた。
「あ、あれってスペイン館なのね。闘牛とかフラメンコとか、情熱の国だよね。後で行ってみたいなぁ」
璃奈が楽しそうに言う。
てくてくと歩みを進めると、今度は、斜めの屋根が中央からスパッと切り落とされたような、奇妙な形のパビリオンが目に入った。
「なんやろ、あれ。建設途中で予算なくなったんかな?」
万里奈が首を傾げる。しかし、さらに歩いて特定の角度から見てみると、屋根のない側に設置された巨大な鏡の効果で、完璧な八の字屋根に見える、というアイデア満載の建物だった。タイ館だ。
そんな風にユニークなパビリオンを眺めていると、今度は別の誘惑が璃奈を襲った。真っ赤なトルコ館の軒先で、陽気な店員ロボがトルコアイスを売っている。
「万里姉ちゃん、トルコアイス食べようよ!」
「うーん……トルコアイスって、あれやろ?はい、どうぞって渡してくれるフリして、ヒョイって逃げていく儀式を延々と繰り返すやつやろ。道頓堀にもお店あったけど、めっちゃしつこいねん(笑)。あれは腹立つし、時間もないし、また今度にしいひん?」
「うぇーん、私のしつこいトルコアイスぅぅぅ〜」
「はいはい、スイス館までの道のりはまだ遠いで!どんどん行こ!」
万里奈に腕を引かれ、璃奈はしぶしぶその場を後にした。
トルコ館の先を右に曲がり、てくてくと歩みを進めると、やがて二人は、鬱蒼と木々が茂る森の入り口にたどり着いた。『静けさの森』と書かれている。一歩足を踏み入れると、周囲の喧騒が嘘のように消え、どこからか虫やカエルの鳴き声だけが聞こえてくる。
「うわっ、ここすごいね!周りが全然見えなくて、本当に森の中にいるみたい!」
「ほんまやね。でも、道はちゃんと整備されてるから、歩きやすくてええね」
しばらく気持ちの良い森の中を歩き、やがて出口の開けた場所にたどり着いた。……はずだった。
「んー?万里姉ちゃん、ちょっとおかしくない?ここって……」
「うーん……そやね。思ってたところと全然違う場所に出たみたいやね。あの、特徴的なパビリオンがいっぱいあるところに出るはずやったんやけど」
「引き返して、もう一回歩いてみよっか」
だが、二人はまだ知らない。
自分たちが、25年前に多くの来場者を絶望の淵に叩き込んだ、世にも恐ろしい『迷いの森』の罠に、まんまとハマっているということを。この森の道は、中央を支点にスイングバイするように巧みにループしており、ただ道なりに進むだけでは、永遠に入り口の近くに戻ってきてしまうのだ。攻略のコツは、ただ一つ。『道なりに進んではいけない』。
何度かの挑戦の末、ようやく二人は、特徴的なパビリオンが立ち並ぶシグネチャーゾーンに出ることができた。
そして、目的地のスイス館へと続く交差点を、左に曲がろうとした、その時だった。
「プシューッ!」
という大きな音と共に、地面のスリットから、おびただしい量の真っ白なミストが噴き出してきた。視界は完全に奪われ、二人は思わず立ち止まる。数分後、ミストが晴れ、ようやく視界が戻った二人は、ほっと胸をなでおろした。
万里奈「なんなんこれ!お化け屋敷みたいやん(笑)」
璃奈「真夏だったら涼しくていいのかもね(笑)」
体についた水飛沫をタオルで丁寧に拭き取りながら、璃奈は笑った。
シャボン玉をいくつも重ねたような、可愛らしくも不思議なデザインのスイス館は、もう目の前だった。
* * *
「私たちは空飛ぶウサギ〜♪ヒラメキに跨って〜最短距離を突っ走る〜♪」
璃奈の奇妙な自作ソングは、スイス館の前でも絶好調だった。
要たちが一つ一つのパビリオンの展示物をじっくりと鑑賞するカメさんチームだとすれば、日向姉妹は、その鋭い直感と洞察力でパズルのピースを最短の手数で見つけ出していく、まさしくウサギさんチームだ。
「さあ、万里姉ちゃん!スイス館のスイーツを探すよっ!」
「え、いきなりスイーツ限定なん(笑)なんでなん(笑)」
「ふっふっふ、その理由はまだ秘密です」
璃奈の青い瞳の奥に、深い光が宿る。まだ言葉にするのは躊躇われるが、彼女の頭の中では、すでにこの試験の回答を導き出すための最短ルートが、ほぼ完成しているかのようだった。
「……まあ、強いて言うならば、わたくしが食べたいからです!」
「なんやそれ(笑)」
万里奈はいつものように軽口にツッコミを入れるが、(『バケモノ』の璃奈のことやから、もう正解ルートを掴んでるんやろなあ)と、内心では妹の天才的な直感に絶大な信頼を寄せていた。
璃奈はスイス館の正面に設置された『ハイジ・カフェ』の案内看板を目ざとく見つけると、パビリオンの左側にある細い通路をずんずんと奥へ進んでいく。突き当たりにある真っ赤なエレベーターに乗り込み、4階のボタンを押した。
やがてドアが開くと、そこは、外から見えていたシャボン玉のような球体の一つ、その最上部の内側だった。壁そのものが巨大なガラスとなっており、白を基調とした洗練された空間を、柔らかな外光が満たしている。そして、その巨大なシャボン玉の窓の向こうには、雄大な大屋根リングと、どこまでも続く(人工の)青空が、壮大なパノラマとして眩しく輝いていた。
「メニューメニュー!えっと、スイーツは……キャロットチーズケーキと、トリプルチョコレートムースね。あとは……えっ!スイスワインがあるじゃない!」
璃奈の声が、興奮で少しだけ上ずる。
「確か、スイスワインはスイス国内でほとんどが消費されるから、他の国には滅多に出回らないはず……さすが万博は違うね!このラクレットチーズに合わせたら、絶対に美味しいんだろうなあ……」
璃奈は、期待に満ちた瞳で、ちらちらと姉の顔を盗み見る。
「いやいや、スイーツはいいけど、ワインはアカンでしょ?璃奈はまだ16歳やんか!」
「うん、だから万里姉ちゃんが頼んで、私にちょーっとだけ、ほんのちょーっとだけ、分けてくれるという案はいかがでしょうか?」
「『案はいかがでしょうか?』やないねん(笑)アカンに決まってるやろ!」
「ちぇーっ!アルコール耐性めっちゃあるから大丈夫なのに……」
璃奈は本気で残念そうに、ぶつぶつと文句を言っている。万里奈は妹の食いしん坊っぷりに呆れていた。
結局、キャロットチーズケーキとトリプルチョコレートムースを一つずつ注文し、二人でシェアして食べることにした。
あらためて店内を見渡すと、真っ白で統一された空間に、同じく真っ白なテーブルと椅子が並んでいる。その空間の中で、ひときわ異彩を放っているのが、カタカナの「ス」の形をした真っ赤な椅子だった。それが二脚、絶妙な間隔をあけて置かれている。
「何これ!『ス』の形の椅子で、『ス椅子』ってこと?ダジャレやん(笑)」
万里奈が大口を開けて笑う。
「……」
「ほらほら、見て見て。スとスの間に座って、こうやって足を組んだら……ほら、『スイス』に見えるんちゃう?」
万里奈が実際にポーズをとってみせるが、璃奈はどこか上の空だ。
「……ほんとうね」
「? 璃奈、どしたん?なんかあったん?」
璃奈は、深い思考の海からふっと顔を上げると、いつものようににっこりと笑った。
「ううん、問題ないよ、万里姉ちゃん。……ただ、この椅子を考えたのって、絶対に大阪の人だろうなあって思って(笑)」
「あ、あと、スイス館ではスイーツにこだわる必要は無かったみたい。だから、やっぱりワインとラクレットチーズを……」
「え?そうなんや? でも、ワインはあきまへーん(笑)」
「ちぇーっ(笑)じゃあ、いただこっか」
「「いただきまーす」」
こうして、万博会場で最も奇妙な椅子に座って味わうチョコレートムースが、二つ目の謎を解くための、最も甘い鍵となるのだった。




