第13話:ウサギさんの寄り道
「よし、じゃあ、くら寿司へ向かおっか。万里姉ちゃん」
「うん、そやね……って、え?」
璃奈は、向きを変えると、姉の万里奈の手をぐいと引いて、さっき来た道とは反対方向、コモンズC館のほうへずんずんと歩き出した。
「ちょっ、ちょっ、ちょ、璃奈!くら寿司って反対方向ちゃう?さっき『未来の都市』からバルト館に来るときに見えてた、あの白黒の建物やろ?今来た道を戻ったほうが絶対早いって!」
「チッチッチッ」
璃奈は人差し指を立てて、得意げに左右に振る。
「わかってないなあ、万里姉ちゃんは。今はまだお昼にはちょっと早い時間。となれば、この地下万博のいろんな場所を、少しでも長く歩いてみたいじゃありませんか。お腹もすくし、一石二鳥!」
「えっ、璃奈、あんた、本気でお寿司食べるつもりなん?」
「えっ?」
「ええっ?」
万里奈は、妹の食欲と好奇心の前に、やれやれと肩をすくめると、その小さな手に引かれるまま、賑やかな散策ルートへと足を踏み入れていった。
道中、二人の目を楽しませたのは、会場の至る所を歩き回り、陽気なおしゃべりをしている無数の小さなロボット――通称「モブロボ」たちだった。彼らは、25年前の万博の喧騒を再現するために配置されたAIアクターだ。人気のパビリオンの前には、モブロボたちが作り出す長蛇の列ができており、一見すると何時間も待たされそうに見える。
しかし、これもまた、この地下万博の巧妙な仕掛けの一つだった。もし、参加者がその行列の最後尾に並ぶと、約1分後、前にいるモブロボたちは「お先にどうぞ」とでも言うように、すぅっと静かに地面に格納されて消えていき、参加者はほとんど待つことなくパビリオンに入場できるのだ。これは、来場者に「行列に並ぶ」という、万博特有の体験をさせつつも、貴重な時間を無駄にさせないための、主催者側の粋な計らいであった。
* * *
コモンズC館を通り過ぎたあたりで、左手から、様々な料理が混じり合った飲食店街に特有の、食欲をそそる香りが漂ってきた。
「わ、なんやろ、この辺めっちゃええ匂いするな」
万里奈が言う。
「うん……お醤油の香ばしい匂いと、お出汁の匂いと……あ、お酢の匂いもする。お寿司かな?」
璃奈が鼻をくんくんさせていると、その時。
全ての香りを上書きするように、通りのさらに奥から、焦がした砂糖とバターの甘く、暴力的なまでに食欲をそそる香りが、彼女の鼻腔を直撃した。
「な、なん……!?」
璃奈は、まるで魔法にかけられたかのように、他の店には目もくれず、その香りの発生源へとふらふら吸い寄せられていく。そこにあったのは、サツマイモスイーツで有名な「らぽっぽ」のカフェだった。正式名称は『らぽっぽファーム 〜おいもといちごとりんごのFarm to the Table〜』。
「万里姉ちゃん!万里姉ちゃん!あれ!あのパフェ食べようよ!」
璃奈の青い瞳が、キラキラと星のように輝いている。
彼女の視線の先、立て看板に書かれているメニューの一番目立つ場所に、それは君臨していた。黄金色の焼きいも、真っ赤なイチゴ、艶やかなりんごのコンポートが、天に向かって幾重にも重ねられ、ソフトクリームの雲海から突き出した、まさしく一本の巨大な塔。その高さ40センチ、お値段4,200円。『おいもといちごとりんごのプレミアムツリーパフェ』。それは、もはやパフェという名の芸術作品だった。
「あー、ほんまや、めっちゃ美味しそうやん!……でもホラ、璃奈。あそこにちっちゃく書いてあるで」
万里奈が指差す先には、「15:00から販売!ドリンク付き!」の文字。
「残念!また後で来よっか」
「うぇ〜〜〜ん!私のおいもといちごとりんごのプレミアムツリーパフェぇぇぇ〜〜〜!」
その場に泣き崩れそうな妹の腕を、万里奈は優しく、しかし力強く引きずって、甘い香りの誘惑からなんとか脱出した。
だが、二人は知らない。
もし、この甘い香りが漂ってこなかったとしたら。もしも、璃奈が最初に感じた「お酢の匂い」に惹かれて、手前にあった店に足を向けていたとしたら。
そこには、有名回転寿司チェーン店『スシロー』があったことを。
もし、このタイミングでスシローを見つけていたら、くら寿司へ向かうことなく、そこへ入っていたかもしれない。現時点での手持ちヒントでは、同じ回転寿司チェーン店である『くら寿司』と『スシロー』の間には、明確な差異は無かったのである。ラッキーにも不要な混乱を回避できたのは、ひとえに璃奈の食、とりわけスイーツへの尽きせぬ興味のおかげであった。
* * *
少し歩くと、二人はひときわ個性的な外観のパビリオンが立ち並ぶエリアに出た。
「なんていうか、このエリアって個性的すぎる建物ばっかりじゃない?」
璃奈が目を丸くする。
小さな緑の丘の中に無数の光がまたたいているだけで、建物本体が見えないパビリオン。かと思えば、古めかしい木造校舎と巨大なイチョウの木が印象的なパビリオン。壁全面を清らかな水が流れ落ちるもの、美しい茅葺きの段々屋根を持つもの、無数のキューブを無造作に組み合わせたような角張ったもの。そして極めつけは、マフラーをくしゅっと巻いたような不思議な造形の建物と、その向かいで、大音響を吐き出しつつ銀色に輝くボディをブルブルと小刻みに震わせているパビリオン。
興味が尽きず、二人の歩みは自然と遅くなる。
「ちょっと待ってな」
万里奈はスマホを取り出すと、夢洲駅から西ゲートへ向かうバスの中でインストールした万博公式アプリ『Visitors』を開き、地図を確認した。
「うーん、この辺りは『シグネチャーゾーン』って呼ばれてるみたいやね。えーっと、なになに……『リアルとバーチャルをインクルージョンした多様な体験で、いのちの概念をアップデートする場所』やってさ」
「……日本語でおけ、って感じだね」
「ほんまそれ(笑)」
「ふーん。よく分からないけど、なんだか面白そう。あとで入ってみたいなあ」
「そやね。バルト館のミャクミャクを見つけられたら、ご褒美に後で入ってみよっか」
だが、二人は知らない。
このシグネチャーパビリオンに、たとえ後で入って鑑賞したとしても、やっぱりよく分からないということを……。
* * *
やがて、大きな池のほとりに出た。「EXPO 2025」の文字が立ち上がっている、巨大なオブジェの前で記念写真を撮った二人は、右に曲がり、水辺に沿って歩き始める。
「ここ、気持ちいい場所だよね〜」
「うん、ほんまやね〜。水は綺麗だし、風が気持ちいいわ」
そのまま道なりに進めば、大屋根リングの下に出て、西ゲート方面にあっさりと行けるはずだった。
だが、その時。璃奈の青い目が、前方のガラス張りの店舗を捉え、キラリと光った。璃奈の小さな手が万里奈をぐいぐいと引っ張る。
「なになに?璃奈、どしたん?」
「万里姉ちゃん!ちょっと!行ってくる!」
言うが早いか、璃奈はひとり小走りで、その店へと駆け込んでいった。
万里奈がやれやれと後を追って店に到着すると、そこには何故か、ぷくーっと頬を膨らませた璃奈が待っていた。
「万里姉ちゃん、ちょっとこっち来て、あれ見てよ!」
璃奈が指差す店の奥、その棚の上には……なんと!関西国際空港の店で見たのと同じ、あの551蓬莱の真紅の箱がディスプレイされているではないか!
「おー!万博にも551あったんやね。知らんかったわ。……あれ?でもここって、洋服屋さんやんな?」
万里奈が言う通り、店内にはお洒落な洋服や雑貨が並んでいる。とても豚まんを扱う雰囲気ではない。もしも本当に豚まんを取り扱っているのだとしたら、かなりのチャレンジャーだ。もしかすると、万博という特殊な環境がそうさせるということもあるかも知れないが。
「そうなの。これ、なんだと思う?」
璃奈が手に取ったのは、ハンガーにかけられた一枚のTシャツだった。
「これ、551蓬莱のコラボTシャツなの!しかも、バックプリントがめっちゃ美味しそうな豚まんなの!し・か・も、無駄に可愛いの!」
「あらー、また食べられへんほうの豚まんやったんやね。残念やったね。……で、これ買う?」
「うん。せっかく見つけたし、可愛いし、買う!明日着る!」
好奇心の塊、日向璃奈。16歳である。
二人のくら寿司への道のりは、まだもう少しだけ、続きそうだった。




