第54話 口は災いの元
口は災いの元。俺は痛いほど思い知った。目の前で痛いほど思い知らされていたアレクシス様を見て学ぶべきだった。しかし時既にお寿司。
「ふふっそうかぁ、君だったのかぁ。道理でアレクを詰めても何も出ないわけだぁ」
イアサント様はずーっと手をわきわきしている。これはもう、そういう習性らしい。めっちゃキモいんですけど。
「いえ、俺は普通なんで」
「まあそう言うなよぉ。悪かったって。だって君、いかにも農民ですって外見だったからさぁ」
確かに俺は、農民の倅だけども。金髪と呼ぶにはあまりにくすんだ髪。ありふれたヘーゼルナッツの目。元の世界では一応白人の部類になるんだろうけど、真っ白とは言えない肌。故郷の村の住民は、みんなそうだった。量産型農民、モブオブモブだ。貴族のパーティーに放り込んだら一発で目立つだろうけど(悪い意味で)、平民の中に紛れたら二度と見つからない自信はある。
だけどコイツ、一気に馴れ馴れしくなっただけで、全然謝ってないよね?確かに俺はアレクシス様の猶子であって、アレクシス様はコルネリウスの魔導伯。身分で言えば、イアサント様の方が上になるだろう。それでも馴れ馴れしく「悪かった」でチャラになると思ってるような奴に、便宜を図ってやるいわれはない。
「そういえばイアサント様、コルネリウスで流行のマッサージはご存じでしたか?」
「そうそう、そのことも聞きたかったんだ。どうだい、しばらくイルマシェの館でじっくりと逗留するっていうのは?」
「ご招待は大変有り難いのですが、私の一存では決めかねます。船を出して下さったガルヴァーニ侯爵家の皆さんと、前デルブリュック公のご判断を仰いでからご回答してもよろしいでしょうか?」
そんな雑談をしながら、俺はそそくさと一人掛けソファーとオットマンにイアサント様を誘う。にこやかに「眼精疲労にも効きますから是非」などと愛想をふりまくと、「まあ、そういうことなら」とニヤつきながら素直に従うイアサント様。その様子を心配そうに見守るアレクシス様と、興味津々な感じのフィーレンス教授。上機嫌で仰向けに体を預けるイアサント様の背後から、俺は鳥の巣頭をじっくりと指圧———
———するはずがないんだよなぁ。
「お、お主、何を…」
カクリと力を失ったイアサント様を見て、フィーレンス教授がガクブルしている。彼女には、俺が使ったスキルが何だか理解できただろうか、出来なかっただろうか。
転移陣は、全属性のレベルが高いほど開く穴が大きく、移動しやすくなる。船旅の間、伸び悩んでいた闇属性を伸ばすのに、ひたすらランペイジングダークネスを海に向かってブッパしていたのも、レベル5の転移陣を解放したかったからだ。
各属性、レベル1はボール状での発現。レベル2は柱状、レベル3は壁状、レベル4は波状の拡散。そしてレベル5が、反作用だ。消去というか、打ち消すというのか。俺がドライフルーツを作るのによく使っている、ウォータードレインなんかがそう。
彼の研究室には、いくつもの魔道具や魔法陣が仕掛けられていた。白衣の下にもだ。だから、まさか俺がスキルを使って彼を害することができるなど、露ほども警戒していなかったのだろう。白衣に刺繍された魔法陣は、各属性を壁状に展開してシールドを張るものだ。魔力を込めれば、どの属性からの攻撃も防ぐことができる。
だけどそれ、レベル3なんだよね。俺が使ったのは、レベル5。光属性の壁をライトドレインで相殺して、闇属性レベル2のダークランスで眠っていただいた。柱状のほうが、脳までよく届くんだ。大丈夫、これもリラックスマッサージでよくやってるから、イアサント様は気持ちよくお眠りになっているだけだ。
アレクシス様の持ち込んだ魔法陣が、全て生活魔法ベースだったから油断したんだろう。特に凡庸な外見の子供が、高度なスキルなんか使えるはずないだろうって。まして同じ部屋には、魔術スキルに長けたフィーレンス教授もいるわけだし。だけど無防備に背後を取らせるなんて、寝首をかいてくれって言ってるようなもんじゃないか。
「大丈夫ですよ、リラックスしてお休みになってるだけですから。それでは私たちは、これでお暇いたしますね」
「あ、うん。じゃあ教授、また☆」
ちょっと呆けていたアレクシス様の手を引いて、俺たちは研究室から辞去した。
「———いいのかなぁ、こんな風に帰って来ちゃって」
坂道を下りながら、アレクシス様がぶつぶつ呟いている。
「何を言ってるんですか、アレクシス様。あのままいたら、ずーっと捕まったままでしたよ」
「だけどイアサントはしつこいし、イルマシェ侯爵家を敵に回すのはちょっと…」
「だって相手が喧嘩を売って来たんですよ?しかもイアサント様はイルマシェ家の子息ではありますが、当主じゃない。アレクシス様の方が偉いんですから、胸を張ってください」
そう。下手にトラブっていい相手じゃないけど、無理な要求を突っぱねることが出来る相手でもある。こちとらガルヴァーニの通行手形を携え、先々代専用船で乗り付けているのだ。そして先代デルブリュック公爵も同行している。イルマシェさん家だって、こっちと揉めたくないだろう。
「で、でもエルフ族まで…」
「エルフ族がどんな切り札を持っているか分かりませんが、俺たちの戦力はかなりのものです。そうそう遅れを取ることはないでしょう」
「かもしれないけどさぁ…」
「アレクシス様、珍しく弱気ですね?」
「クラウスが珍しく強気なんだよ!イアサントのしつこさを知らないから!」
うーん、確かにねちっこそうな人っぽかったけど。もうウダールに寄港しなきゃいいんじゃないかな。
決して油断しているわけじゃないけど、友好的じゃない相手とのんびり関わっている暇はない。さっさと宿に帰って、みんなに事情を話して、なんなら明日といわず今夜にでもとっとと出航するよう、進言してみよう。確かに俺はちょっとやらかしちゃったかも知れないけど、アレクシス様にもディートリント様にも礼儀を欠いて、強引に研究結果を聞き出そうとしたんだ。きっとみんな同意してくれると思う。
というわけで、宿の晩餐の場で皆さんに事のあらましを説明した。もちろん宿に着き次第、まずは転移陣を使ってニェッキのジェラルド様たちにコンタクト。アレクシス様は、宿に居残り組のディートリント様たちに根回し。そして宿に詰めていた船員さん(誰かが一人、連絡係で居残ることになっていた)にお願いして、みんなを招集してもらった。
「———ま、妥当なところですわね」
俺は軽くお説教を喰らったけど、思ったよりは叱られなかった。逆に、揉め事を嫌って席を蹴って帰らなかったアレクシス様の方が、お叱りを受けたくらい。
「貴族は名誉の生き物。舐められたら終わりだよ。君はまだ若い。追々学んで行くことだ」
ジェラルド様のお言葉は、穏やかだけど重い。なんだかちょっとしんみりした雰囲気になっちゃった。しかし、
「さあ、お説教はここまで!みんなウダールを楽しんだわね?次はイクバールよ、ワクワクするわ!」
ジゼッラ様が明るく空気を変えてくれる。息のあったベストカップルだ。
というわけで、ニェッキ組のジェラルド様、ジゼッラ様、ギルベルタ様の御三方は転移陣でニェッキにトンボ帰り。残りの6名と船員の皆さんは、早速宿を引き払って出港の準備。とはいえ、元々転移陣で頻繁に陸と行き来しているので、補給なんかは必要なかったんだ。いつでも出発できる。
ホテルと港はすぐそこ。大した距離じゃない。馬車を呼ぶのも面倒だし、俺たちは徒歩で船に向かい、ほとんどフリーパスで乗り込んだ。もちろん港湾には役人や軍人が控えているが、ガルヴァーニ当主の船に通行証は強い。しかも一行の代表者は、名目上ディートヘルム様が務めている。
「あああの、どうかもう少しごゆるりと…」
「おお、そのような気遣いは無用じゃ。我らは秋津へ急いでおるゆえな」
「しかし夜に出航などそんな…」
「なぬ、ガルヴァーニの熟練の操船が信用出来ぬと?」
「いえ、ですから出来ましたら王都まで、いえ、ウダール城にてご領主様が」
「———お主。ワシの娘婿に、どのような処遇があったか聞かされておろう?」
「…は…」
「なぁに、帰りにまた寄らせてもらうゆえ、その時にのう!」
ガタガタ震えるお役人たちの肩をバンと叩き、ハッハッハと豪快に笑ってやり過ごす。お爺様、やればできるじゃないか。
「残念ですわね。お母様が見てないところでは、たまに役に立ちますのに」
ディートリント様。それな。




