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13.渇望の果て(上)




空木村には次代の神代巫女が必要だ。


連れて帰らねば、村が滅びる。



まったく、あれはとんでもない母親になったものだ。

生まれてきた娘に「朔」などという意味のわからん名前をつけよって。


あの娘には本来、空木に伝わる由緒ある名が与えられるはずだったというのに……。



今からでも遅くはない。巫女の直系は早急に連れ戻し、在り方を正さねばならない。




なんとしても。



どんな手を使ってでも、必ず——。








「雪根さん、今日は駄目だからね。ていうか先月の報告書、提出してないの雪根さんだけだよ。最低限それぐらいはしないと」


「特記事項はないから、啓斗が代わりに出しておいてよ」


「無茶言わないで。筆跡でばれるし、俺まで穂高さんに怒られる」



昨日に引き続き、今朝も雪根さんと啓斗さんは仕事関係の言い合いをしていた。

昨日と違うのは場所が隣の室内ではなく、部屋前の廊下というくらいか。


夏休みの課題を持って、最近の日課となった隣の部屋へ行こうとした際、扉の先から聞こえてきた二人の声に、廊下へ出てもいいのかしばし迷った。


しかし盗み聞きをするのも悪い気がして、思い切って扉の取っ手を回す。



「あっ、朔、おはよう」


「無視しないでよ。……おはよう」


「…………おはよう、ございます」



雪根さんに続き、啓斗さんもわたしに顔を向けてくる。

緊張したけど、挨拶ができた。



「ちょっと、あんた……、じゃないよね。……朔、からも言ってやってよ。この人最近仕事しなさすぎ。これで給料満額貰えてるとかあり得ないよ」


「……それは……、すみません」


「朔は謝らなくていいの。ちゃんと宮城さんは朔の事情に気を回して、雪根さんや明将さんの任務の割り当てとかしてくれてるよ。だけど雪根さんはそれ以上にさぼってるの。しかも俺に自分の仕事押し付けて」



啓斗さんは眉を吊り上げて捲し立てた。



「……えっ、と……」



ちらりと雪根さんを窺う。彼は不服そうに啓斗さんを睨むが、反論はなくずっと閉口したままだった。おそらく仕事をしていない自覚はあるのだろう。



「……朔を味方にしないでよ」


「じゃあ雪根さんは論点をずらさないで。俺が言いたいのはそこじゃない。いいからさっさと書くもの書いてきてよ」



啓斗さんの正確な年齢は聞いていないけど、おそらく雪根さんよりは年下だ。

わたしとそう歳が変わらないというのに、二人は赤兎班として日の元のために働いている。


すごいなあ。

何もできずにいるわたしとは大違い。


わたしの志しでは、彼らに嫉妬心すら抱けそうにない。



「——朔は? 俺と一緒にいたくない?」



気分が沈んでいる最中に話題を振られ、はっと顔を上げた。

わたしを置いて言葉の応酬を交わしていたはずの二人が、気が付けばこちらを見ていた。


心臓が跳ねて緊張感が一気に高まる。


どう答えるのが、正解なのか。



「……雪根さんがいてくださるのは……安心できて、……嬉しい、です。……でも、お仕事は、その……」



わたしなんかよりも優先すべきことだし、この点に関しては啓斗さんの主張が正しいと思える——とは、最後まで続けられなかった。


雪根さんがどんな顔で聞いているのか。確認するのが怖くて足元に視線を彷徨わせる。


発言で、彼らを不快にさせてしまってないだろうか。生意気だって、思われたらどうしよう……。


しかしそんなわたしの悪い予想に反して、雪根さんも啓斗さんも、怒りを含む激しい感情の増幅はなかった。



「そんな遠回しな言い方じゃなくてさ。『さぼりの理由に使わないで』ってこの人に言ってやればいいのに」



さらに啓斗さんはとんでもない要求を突きつけてくる。

冗談だとは思うけど、そんなこと言えるはずがない。



「階段にまで聞こえてるぞ」



背後でした声に振り返ると、明将さんの姿があった。廊下をゆっくりこちらへと歩いてくる。


明将さんとは朝食の時にお会いしているので、おはようございますは言わずに軽く頭を下げた。


部屋の前まで着いた明将さんはくしゃくしゃとわたしの頭を撫でる。



「本調子じゃないやつ巻き込んで、お前ら廊下で言い争うなよ。せめて他所でやれ」


「雪根さんが仕事しないからだよ」


「確かにそれは律が悪いな」


「……わかったから」



明将さんの登場で、雪根さんはあっさりと抵抗を諦めた。

急な態度の変わり様が不服だったのか、啓斗さんは「なんでアキさんには……」と小さくぼやいた。



「朔」



疎外感から身のやり場に困っていると、すぐ目の前に、雪根さんが立った。手櫛で緩くわたしの髪を整えた彼は、これでよしと満足そうに頷く。



「昼までには戻るから、ご飯は一緒に食べようね」


「……はい。……お仕事、頑張ってください」


「うん。朔にそう言ってもらえるとものすごく頑張れそう」



上機嫌になった雪根さんは軽く手を振り、階下へと行ってしまった。

変わり身の速さに脱力したのは啓斗さんだ。



「どうして本気を出せばさっさと済ませられることを、今までしようとしなかったのかなあ」


「まったくだ」



呆れる明将さんと啓斗さんとともに、三人でしばらく廊下に立ち尽くした。







      *






赤兎本部の三階。

わたしの行動できる範囲に、啓斗さんが外の風を運んでくる。


それは赤兎班の仕事をさぼる雪根さんを叱る目的だったり、明将さんが部屋で作成した書類を一階へ運ぶ手助けだったりと、彼がここに来る理由はさまざまだった。


葉月になってからというもの、啓斗さんと顔を合わせる機会が格段に増えた。

最初はぎこちなかった挨拶も普通に交わせるようになり、彼の顔を見た時の緊張はだいぶん和らいだ。


わたしにあった赤兎班への恐怖心が次第に薄れていく。

穏やかな日々の中で、わたしは彼らに心を許そうとしているのだ。


このまま毎日を過ごしたい。そう願うかたわらで、わたしも彼らの役に立てないかと、彼らのために何かできることはないだろうか……と、そんな思いが芽生えてきているのを自覚する。


情を受け、恩を受け。もらってばかりの温もりにわたしも報いたい。

明将さんと雪根さん、花歩さんのために、わたしは何ができるのか。それを考える度にいつも、脳裏に母の影がちらついた。




奥園と、赤兎班と——。

わたしの個人的な感情はともかく、日の元の正義がどちらにあるのか。答えはとっくに出ていた。


国を守るために行動している。その一点においては、圧倒的に赤兎班が正しい。


留美香の婚約者候補。外つ国から来たという須藤さんは本来、日の元にいてはいけない存在だ。

人間ではなく、わたしと同じ、ヒトでもない。正体不明のあの男は蟲を使役し、赤兎班を攻撃して、遊んでいる。


もしかして、義父も須藤さんに利用されているだけではないか。確固たる証拠はないけれど、なんとなくそんな気がしてならない。


須藤さんについて、明将さんたちに伝えるべきか。

最近は夜になるとこのことばかり考えてしまう。


須藤さんはいつどこで見張っているかわからない。わたしが迂闊な動きをすれば、母が危ない。


余計な真似はせず、邪魔をせず。成り行きに任せるのが得策だと、身をもって知ったはずなのに……。



「……なんだかんだで懲りないね。わたしも」




静かな夜。真っ暗闇に向かって話しかけた。

空気が変化する。言葉はなくても感覚で、みんなの意思をぼんやりと感じ取れた。


深淵のみんなは、さっさと赤兎班に味方してしまえという意見が強いようだ。


……味方というよりも……、言葉に置き換えるなら赤兎班を「利用しろ」や赤兎班に「押し付けてしまえ」という意味合いが正しいかもしれない。


深淵にいる誰がそう言っているのかまでは判別できないけど、わたしが夜になって弱気になる度に同じ意思が返ってくるので、きっとみんなが同意見なのだろう。


明将さんや雪根さんたちは、とても優しい。わたしに優しくしてくれるから、わたしも彼らに協力したいと思う。

なんて単純な思考なのだと思わず自嘲してしまった。



太陽が沈んだ後の、穏やかなひとときが愛おしい。

ずっとみんなの気配を感じていたいけど、そろそろ寝床につかないと。


夜の眠りがもたらす休息は、太陽が出ている時の眠りとは比較にならない。

闇は心の安らぎに不可欠だと以前から漠然と知っていたけど、自分の本性を自覚した以降は重要性への理解がさらに深まった。


みんなと一緒にいられる時間が短くなるのを惜しんではいられない。闇の安らぎがなければ、わたしはまた自分を見失ってしまう。



「おやすみ。……また明日」



明日に備えて休もうと、寝台で横になろうとした——その時。



……ちゃん……。



誰かに呼ばれた気がして、空耳かと周囲を見渡した。



——……ちゃん。



また、呼ばれた。


耳を通して聞こえてくる音ではない。これは誰かの肉声じゃないと、一番最初に認識した。


深淵のみんなが意思を伝えてくる感覚とは違う。

わたしにとって最もあってほしくない、須藤さんの気配とも、また別の何かだ。



「……外、から?」



探ろうとしなくても、夜なら近くに危険があれば察知できる。少なくとも建物の内部に異質なものは入り込んでいない。


ならばと思い、外へと気配の探索範囲を広げてみた。

見回りだろうか。二人組が赤兎本部の建物に沿って歩いている。


それとは別にもう一人。

人の気配をしているも、おかしな動きをする何かを感覚で捉えた。右へ左へ、……上下にも。人ではあり得ない速さで疾走する。


二人組の気配は建物を一周し終えると、裏口から内部へと入っていった。それを見計らったように、人のようで人でない何かはさらに活発に動き出す。


上下の動きがあきらかにおかしい。

人が跳躍できる高さをゆうに超えて、それはあちこちに移動しているようだ。



「……建物の壁を、走り回っているの……?」



そうでもないと、この動きは説明がつかない。


どうしよう。階下の人に言った方がいいのかな。

寝台から腰を浮かせ、部屋の小窓に視線を向けた。


一時期は厚い布で全体を覆われていた窓も、二日前に元のひだ付きの日避け布に戻された。隣の部屋へ行って不在となる日中は、小窓を開けて風を通している。


小窓の外を見れば、人のような何かの姿を確認できるだろうか。

明将さんや雪根さんを頼るにしても、詳しい説明ができないと話にならない。


立ち上がり、小窓へと足を踏み出す。外で走り回る異様な気配が、部屋のすぐ上を通り過ぎた。


ととととっ……。感じる気配の大きさにしては軽い音が耳にも入ってきた。

昔、母と長屋に住んでいたころ、天井を鼠が走り回る音を聞いたことがあるけど、それに似ている気がした。


足音は遠ざかり、建物の壁を垂直に下っていく。

熱帯夜というわけでも無いのに、背中に汗が滲んだ。

異様な気配と、わたしの記憶の中にいる人物が一致してしまったからだ。


小窓へ進もうとしていた足が止まり、よろめくように後ろに下がる。

深淵の気配が一段と深まり、意思が強く伝わってきた。


駄目だ。やめておけ——。逃げろ……と。静止を促す圧力にはっとした。


軽やかに地面へと着地したそれは、すぐに建物に向き直る。

迷っている暇はない。部屋を仕切る襖を開け、台所側へと急いだ。


助走をつけたそれが、一気に壁を駆け上がってくる。

扉から外に出ている時間はない。咄嗟に襖の裏に隠れた。


部屋の外で、何かが窓に取り付けられた格子の間に顔を押し付け、鼻をひくつかせる。



——……ちゃん。


…………帰ろう。空木に帰ろう。


……ちゃん。……シ、……リちゃん。


……シュリちゃん——。



強い存在感と一緒に、思いが言葉となって伝わってくる。


それは紛れもなく、照土さんの気配だった。





——帰ろう。シュリちゃん。


……シュリ……。いるのじゃろう——?



わたしは朔で、シュリという名前に聞き覚えがない。

それなのに、彼の呼ぶ「シュリ」はわたしのことを示していると、なぜかはっきりと理解できてしまう。


何が起こっているの?


どうしてそんな名前でわたしを呼ぶの?


そこにいるのは本当に、照土さんなの……?



わからないことが多すぎる。

気配は照土さんのそれだけど、窓の外にいる者はまるで妖のようだった。四足歩行で移動して、猪ぐらいの大きさがあり、体型は鼠に似ている。



わたしと同じで、あれが照土さんの本性なの……?



浮かんだ仮説は首を振って頭から追い出した。今はそれを考えている場合ではない。

窓の格子に張り付いているものは、こちらの気配や物音にどれぐらい敏感なのだろう。全く予測ができない。


この状況、二階にいる人たちに助けを求めてもいいのか迷う。

そもそもこの部屋から出て大丈夫なのか。

廊下には大窓がある。ここは最上階だし、外の何かが屋上から廊下側に移動したら、わたしはすぐに見つかってしまう。


もしかしたら、我慢比べが一番有効かも知れない。


あれがわたしと同じモノなら、夜が過ぎれば日の光を恐れて逃げていく。そうなるはずだと、確信があった。


暗いうちは深淵のみんなが側にいる。ひとりじゃないなら耐えられる。

自分の気配を殺し、息を潜め、外の声に反応せずに朝を待つ。



——シュリちゃん……。シュリちゃん、シュリ……。


……わしの言うことが聞けんのか——。



懇願に怒気が含まれても、呼びかけには応じない。


静かな攻防で、どれだけの時間が過ぎたか。わたしは変わらず襖の陰にしゃがみ込んでいた。


膠着状態が続く最中、建物の一階で人が動く気配がした。

それは廊下を移動し二階、三階へと階段を上ってくる。


意識して探るとよくわかる。

おおよその人よりも主張の強い気配だった。


須藤さんのような禍々しさはないけれど、近い雰囲気がある。単純な恐怖ではなく、込み上げたのは畏怖の念だ。

わたしは、この気配の持ち主を知っていた。


三階へ到着したその人は廊下をこの部屋へと近づく。

緊張で頭がくらくらした。


強い気配が扉の前に立った。



——ひっ、ひぃぃっ——!



窓の外にいた何かは先程までの執着が嘘のように、一目散に建物を下り、わたしが知覚できる範囲からいなくなった。


脅威は去ったが手放しに喜べない。むしろ今は逃げないでほしかったと思ってしまう。

自由に逃走を選べるのが羨ましい。狭い室内では身を隠すこともままならない。


声かけなど一切なく、部屋の扉が開かれた。

玄関近くの壁にある照明のボタンに手が伸ばされる。


明かりが点灯して目の前が真っ白になった。

咄嗟にきつく目を閉じて、光から逃げるように蹲る。


鋭い舌打ちの音が聞こえて体がびくりと跳ねた。

部屋に踏み入ったその人は、天井から吊り下がった照明の紐を引いて、明かりを豆電球へと切り替えた。


恐る恐る、光源を視界に入れないようにしながら顔を上げる。

橙色の光で淡く照らされた台所の、流し台の前に宮城さんが立っていた。





どくどく——と、心臓が強く鼓動する。


危機は脱したはずなのに、全く助かった気になれない。

わたしは宮城さんにどんな顔で、何を話せばいいのだろう。



助けてくれてありがとうございます。


長らくご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。


……桃、美味しかったです……?



どれも伝えるべき事柄としては正しい。しかしこの状況に適しているかどうかはまた別の問題である。


散々迷ったあげくわたしは沈黙と観察を選んだ。こちらからは言葉を発さず、じっと宮城さんの挙動を窺う。


宮城さんはそんなわたしを一瞥したあと、奥の部屋の小窓へと視線を移した。



「……何がいた?」



短い言葉の端々に彼の疲労と眠気と、そして気怠さを垣間見た。どことなく調子が悪そうだ。



「……確認は、しませんでした。……すみません」



ため息ひとつ。宮城さんは奥の部屋へと足を進めて小窓の日避け布を開いた。

外には真っ暗な夜の世界が広がるだけで、不審なものはみられない。


わたしはどこまで伝えるべきなのだろう。

周囲に須藤さんの気配はないから、さっき外にいた「何か」はあの男が放った刺客でない可能性が高い。



それなら正直に言っても問題ない——?



緊張で震える唇を噛み締め、拳にぎゅっと力を込める。

大丈夫だと。何度か自分に言い聞かせてから口を開く。



「見ては、ないです……。だけど、さっき窓の外にあった気配は……、空木村の、……照土さんのものでした」



宮城さんが日避け布を閉じる。

振り返った彼の目の鋭さに思わず後ずさった。食事用の机にお尻が当たる。



「他は?」



小さく首を横に振る。事実をどう伝えればいいのか、瞬時に上手くまとめられなかった。



「知ってることがあるなら今のうちに話しとけ。でないと明日からも俺の安眠が妨げられるんだよ。お前に偏執的に憑いてる奴らのおかげでなあ」



そう言った宮城さんはうんざりとわたしの背後を眺めた。つられて後ろを見るも、当然そこには誰もいない。

それでも宮城さんが誰について話しているのかは察することができた。






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