12.種の芽吹き(下)
「来週から帰魂祭が始まるね。朔は墓前参りと御社参り、家で決まってるところってあるのかな?」
「……いえ、特には……」
わたしは奥園家として墓前参りに参加したことがない。後妻の連れ子は奥園家の者とみなされていないからだ。
母は再婚する前から、毎年帰魂祭の時期に誰かの墓前に参っていたみたいだけど、そこにわたしが同行したことはなかった。恩人に会ってくると言って、母はいつもひとりで出かけていた。
「そっか。じゃあ御社参りは近くで済ませればいいかな」
帰魂祭で御社に参るのは、民にとっての常識だ。それが当たり前だとわたしも知っている。
その当たり前を、わたしはこれまでしてこなかったと……、彼らに打ち明けていいのか迷った。
「近くというと、一樹さんがいらっしゃる御社でしょうか?」
「あそこでもいいけど、一樹さんのとこが管理している、普段は無人の御社が近所にあるから、よければそこで済ませない?」
やや顔を引きつらせて提案してきた雪根さんに、明将さんが冷たい一瞥をくれる。
「お前の私情を朔に押し付けてんじゃねえ」
「あ、あの……、わたしはどちらでも。それに、別に行かなくても……」
これまでもそうしてきたのだから、今年も赴く必要はない。外出を渋ったわたしに、この時ばかりは雪根さんも首を縦に振ってくれなかった。
「それは駄目。形だけでも、御社には行かないと。信仰心の証明とか、神様への挨拶とか……そういうのじゃなくて」
言葉を選んだ説明に、体の内側がむずむずした。多くを伝えられなくてもなんとなく察する。御社参りは、わたしの本性と関係があるんだ。
「ごめんね。あんまり言い過ぎると、後戻りができなくなりそうだから……」
「いえ、……おそらく、おおよその理解はできたと思います」
「まあ戻れなくなったとしても、俺たちは大歓迎なんだけど。最後は朔が選ぶべきだし、この辺にしておくよ。いずれ宮城さんがちゃんと説明してくれるだろうけど、それも今じゃない」
わたしを安心させるように、雪根さんは軽い口調で言い切った。
選択の権利はわたしにあって、誰かに委ねるものではないと、明将さんも付け足す。
具体的にどんな選択を迫られるのか。いつも流されてばかりのわたしに、自分の意思で決めるなんてできるのだろうか……。
不安に苛まれる頭に、少し前に一樹さんから言われた言葉が浮かんだ。
「以前、一樹さんとお会いした際に、土地守りを目指さないかとお誘いを受けして。社交辞令とばかり思ってたのですが……」
「朔は土地守りになりたいの?」
「そういうわけでは。ただ、雪根さんも同じようなことをおっしゃってたので。一樹さんの誘いはお世辞じゃなかったのかなと、少し気になって……」
正体が得体の知れない化け物である、わたしなんかが土地守りになれるはずがない。その気持ちは今もある。
だけど雪根さんは、わたしの本性を知りながらも土地守りの道を示してくれた。
これには一体、どんな意味があるのか。
これはわたしが知ってもいいことなのか。
少しでも危うい空気を察したら話を中断するつもりで、慎重に伺ってみた。
あー……、と。
雪根さんはいたずらを発見された子どものように、誤魔化しの色が強い笑い方をして、頭をかいた。
「一樹さんの勧誘は本気だよ。俺もあの人も、嘘は言ってない。華闇で修練を積めば、朔なら土地守りになれるよ」
「一樹さんが朔にそれを言った時、近くに宮城さんはいなかったか?」
雪根さんの話を遮り、頬杖をついた明将さんが尋ねた。
「……? はい。わたしの隣に」
それがどう関係しているのだろう。
「だとよ」
責めるような呆れたような。そんな視線を明将さんは雪根さんに送った。雪根さんは分が悪いと悟ったのか、拗ねるようにそっぽを向いてしまう。
彼らのやりとりを花歩さんはくすくすと笑っていた。
やがてため息ひとつ。明将さんが肩をすくめてわたしに向き直る。
「一樹さんの朔への勧誘が本気だったとしても、軽い気持ちで受け止めておけばいい。あの人が発言した目的の半分は宮城さんへの当て付けだろうから」
「……当て付け……?」
「うちの班長は頻繁に華闇総本山に赴いては将来有望な修練者を赤兎班に連れて帰ろうとするからな。華闇からしたら人材泥棒も甚だしい、厄介な存在なんだよ」
鳳の赤兎班は国にとっての重要な組織でありながら、万年人手不足だ。だから華闇からの人材確保は法律によって認められている。
しかしいくら法的に問題なくとも、宮城さんの行いを華闇が歓迎しているわけではない。
「こいつもそれで華闇から赤兎班に来たからな」
明将さんは親指で雪根さんを示した。
「ごめんね。いざこざに巻き込んじゃって」
雪根さんは明将さんを無視してわたしに小さく頭を下げる。
「そんな、気にしてません。ただ、わたしが雪根さんや赤兎班や、華闇の事情まで知ってしまっても大丈夫なのでしょうか」
「全く問題ないよ。ついでに言っておくと、一樹さんって、華闇でも結構高い地位にいる人なんだよね。それで俺が昔、華闇に籍を置いた際に後見人になってくれたり、いろいろと面倒見てもらったんだけど」
「……嘘だろ」
どうやらこのことは明将さんも知らなかったらしく、信じられないと言いたげな表情で雪根さんを凝視する。
「俺が宮城さんの誘いを受けて華闇から鳳の赤兎班に移った時、一樹さんは中央霊山にいなくて相談なしの事後報告になってしまったから……、正直今でも仕事以外で会うのは気まずい……かな」
誰も予想していなかった告白に、全員が言葉を失った。
呆れて天井を仰ぐ明将さん。花歩さんはあらあらと言いたげに目を丸くする。
「まあ不義理であろうが俺は赤兎班に移ったことを後悔してないし、朔も人の迷惑とか気にせず自分のやりたい道を選んだらいいよ」
「一理ある。だがお前は開き直って威張るんじゃねえ」
明将さんの突っ込みは、非常に的確な気がした。
「雪根さんは、以前は華闇に……?」
「うん。家が好きじゃなかったからね。血縁者との縁を切りたくて、十二の頃に華闇に自分の籍を移したんだ」
世間話にしては重い内容を彼は軽い口調で打ち明ける。
「後先考えずに行動してきた俺でも、なんだかんだでどうにかなってるんだから、朔も気楽にいこうよ」
頷いていいのかは慎重になる。だけど、体験を交えた雪根さんの話には説得力があった。
*
繰り返し通ううちに、日中を隣の部屋で過ごすことに慣れてきた。
わたしが勉強机で夏休みの課題を解いている間、明将さんは台所前の机で書類仕事を、雪根さんは寝台の上で壁にもたれて座り、難しそうな本を読んでいる。共に部屋で過ごす時間は、明将さんよりも圧倒的に雪根さんのほうが長かった。
雪根さんは、赤兎班としての仕事は問題ないのかな……。
わたしが口を挟むことじゃないのは承知しているけど、ちょっと心配になってしまう。
そんなある日の朝食後。今日も身支度を整えて隣へ向かう。
寝泊まりをしている部屋を出て数歩。目的地の扉を数回遠慮気味に叩き、取っ手を回した。
「お邪魔しま——」
「いい加減にしてよ。なんでもかんでも俺に押し付けないでちゃんと自分でしようよ」
「いいじゃん。啓斗ってなんか仕事好きっぽいし」
「全くよくないよ。っていうかぽいってなに? 印象で俺のこと語らないでくれる?」
室内に人がいる気配はあった。だけど人数や誰の気配かまでは把握し切れてなくて、考えなしに扉を開けてしまったことを後悔する。
隣の部屋では、啓斗さんと雪根さんが言い合っていた。
「……あ」
玄関に立つ啓斗さんがわたしに気付いた。
彼の視界に自分が入ってしまった。緊張が一気に高まり頭が真っ白になる。
「す、……すみませんっ。お邪魔しました」
「あっ、ちょっと!」
慌てて扉を閉めようとするも、強い力で阻まれた。
宛てがわれた部屋に戻るより先に手首を掴まれる。
「お願いだから逃げないで」
「——っ、ごめんなさいっ!」
「えっ? ……や、謝ることじゃ……」
「……申し訳ありません」
「いや……、だから……」
必死になってこの場を打開しようとするわたしに、啓斗さんがうろたえる。
謝るのが間違いというなら、どうすればいいのだろう。
何と言うのが正解か。啓斗さんは何を求めているのか。
的確な答えを探そうとするのに、考えがまとまらない。
焦っているのに動けないし、喋れない。ただ掴まれた手首の熱だけが異常に目立つ。
そんな状態のわたしを、駆け付けた雪根さんが抱き寄せた。
啓斗さんの手が離れる。
「邪魔。とっとと帰ってくれないかな」
「邪魔って……」
「まさか無自覚? 自分が怖がられてないとか、本気で思ってるの?」
視界の端に、気まずそうに顔を伏せる啓斗さんが見えた。
沈黙のなか、誰も動かず数秒が過ぎる。
人前で異性と密着している状態を恥ずかしく思えるぐらいには、心に余裕がでてきた。
雪根さんの肩を軽く押すと、彼はすぐにわたしの背中に回していた腕を解いてくれた。
啓斗さんと向き合うことができても、雪根さんの側を離れられそうにない。
「……ごめん」
廊下にぽつりと、啓斗さんの声がこぼれた。
「……ひどいこと、いっぱい言って、いっぱい苦しめた……。……俺、あんたのこと、何も知らないのに……」
視線を彷徨わせながら、眉間に皺を寄せて言葉を紡ぐ啓斗さんの表情がさらに痛々しく歪む。
「…………篤志さん、……が、裏切った、あのとき……」
事実を認めたくない。彼の苦悩がありありと伝わってきた。
感情に呑まれ呼吸を忘れたわたしの肩に、雪根さんが優しく手を置いた。
「うっすらとだけど、……覚えてる。寒くて痛くて、でも動けなくて……、どうしようもなかった時に、あんたの声が、聞こえてきた。……助けてくれたんだよね」
急に頬が熱くなった。だってあれは……、倉庫での出来事は、啓斗さんが気を失っていたからわたしも好き勝手言えたわけで。役に立ったら見直してほしいとか、確かに言ったけど、本気で期待していたわけじゃない。
どう返したらいいのか困り果てるわたしに、啓斗さんは頭を下げた。
「ごめん。……ありがとう」
わたしは、この人に謝って欲しかったわけじゃない。歩み寄れる未来を、思い描いてすらいなかった。
それなのにどうして、こんなにも心が揺さぶられるのだろう。
報われたから?
わたしのしたことが、無意味じゃなかったから?
自分の気持ちを言葉にできないでいると、感情は涙になって溢れ出た。
違う。泣きたいわけではないのに。
奥園としてのわたしにとって、啓斗さんを助けたことは間違いだった。だから素直に自分を誇れない。
ぐちゃぐちゃになった心を持て余す。そんなわたしの頭を雪根さんが撫でた。
「混乱してるだけだよ。部屋で涼んで落ち着こっか」
涙を指で拭いよしよしと、わたしと目線を合わせて雪根さんは微笑む。
そしてすぐに真顔に戻り、啓斗さんと向き直った。
「言いたいことは言えたよね。だったらもう用はないだろうし、早く下に戻ったら?」
「え……、でも」
「過ちを認めたら、朔は啓斗の期待通りに返さなきゃいけないの? それはとても傲慢な考えだね」
言い返せなくなった啓斗さんが口を閉ざす。彼と目が合い、お互いに気まずくなって視線を逸らした。
「……わかったよ」
背を向けた啓斗さんは階段へと歩き出す。歩調は重く、背中はどこか寂しげだった。
「廊下は暑いね。部屋に入ろう」
啓斗さんを全く気に留めず、雪根さんはわたしの肩に手を回し隣の部屋へと促す。
導かれるままに玄関へと足を踏み入れた。
「雪根さん! 明日はちゃんと仕事してよ!!」
扉が閉まる直前、思い出したかのように啓斗さんの大声が廊下に響いた。
あの時、玉乃江の倉庫で、わたしは蟲に噛まれていた啓斗さんを助けた。
苦しんでいる姿を前にして、放っておくなんてできなかった。
今にして思えば、完全な善意から動いたわけじゃなかった。
彼を見捨てたりして、その後に誰かから責められるのが怖くて、わたしが何もしなかったがために啓斗さんが死んでしまったら……。人の命を背負って生きられるほど、わたしは強くなかった。ただそれだけ。
臆病者の、自分の可愛さ故に下した判断があれだった。
褒められるにはあまりにも利己的で、感謝されるには動機が不純すぎる。
加えてわたしは、奥園としてはふさわしくなかったあの行動に、罪悪感を拭いきれていない。
あれほど憎しみを向けられるのが苦しかったのに、啓斗さんに謝られても素直に喜べない。
寝台に腰掛け頭を抱えた。
ぽつりぽつりと、まとまらない考えをちぐはぐな言葉で打ち明けてゆく。
隣に座る雪根さんは、相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。
話し終えたところで、結局わたしはどうしたいのか。答えは一向に出てこない。
優柔不断な自分自身に苛立ちばかりが募ってゆく。
「そんなものだよ。感情の折り合いは、すぐに付けられるものじゃないし。啓斗のことをどう思ったとしても、自分を責めなくていいんだよ。特に俺たちは、急激な変化が苦手だからね」
雪根さんは困り顔ではにかみ、瞠目するわたしに小さく頷いた。
「でもね、どれだけ悩んでも、過去は変えられないから。朔が苦悩して振り絞った勇気は、俺たち赤兎班にとって、とても大きなことだった。この事実は変わらないよ」
だから、ね? ——と。
雪根さんはとびきりの笑顔を惜しまずわたしに向けた。
「俺からも言わせて。啓斗を助けてくれてありがとう」
ずるい。こんなの、否定できるわけがない。
首から上に血が上るのを自覚して、俯いて顔を隠した。
思考回路が焼き切れて正解不正解がどうでもよくなってしまう。
雪根さんの笑顔にはそれぐらいの破壊力があった。




