第1話 傲慢
「私は剣しか知らぬ未熟者だが、あなたを愛している。どうか結婚していただきたい!」
実にまっすぐで、実に力強く、実にあの人らしいプロポーズだった。
子爵家令嬢だったこの私ルエーネは、侯爵家に嫁ぐこととなり、ルエーネ・シーベントとなった。
夫ファーデン・シーベントは王国一の騎士団とも称される『白竜騎士団』の騎士団長。
まばゆい光沢のある金髪に、若草を思わせる翠眼、騎士の鑑のような凛々しい顔立ち。
背は高く、一見細身にも見えるけど、全身バネのような筋肉に包まれており、そこから繰り出される剣技はいかなる相手をも圧倒する。
領内ではすでに実質的な当主ともいえる役目を果たしており、近いうちに今のご当主様から正式に家督を継ぐという話も出ている。
今の私たちは侯爵家嫡子とその妻ということで、本邸とは別なところにあるお屋敷で暮らしている。
食堂での食事中。テーブルで向かい合い、私はソテーを食べ、夫はステーキを食している。
「このところは、気候が暖かくなってきたわね」
「ああ」
「庭に出ると、草木もなんだか生き生きしてるように見えるわ」
「それはいいことだ」
夫との会話は、お世辞にもあまり弾んでいるとはいえない。
一般的な貴族男性は女性から一の話を振られたら、五や十にして返すよう教育を受けるけど、剣一筋の夫はそんな会話術を身につけていないからだ。
だけど、これでいい。これがいい。この人なりに一生懸命会話しようとしてくれていることが分かるから。
そして――
「暖かくなると、騎士団の演習もはかどるよ」
こう返してくれた。
おそらく、ただ相槌を打つだけでなく、少しでも気の利いた返しをしたいと言葉を考えてくれたのだろう。
その心遣いが私の心にじわりと染み渡る。
「花香る暖かい風の中、剣を振るうあなたを想像すると、私の心も弾んでしまうわね」
私がこうささやくと、夫はうつむく。
「心を弾ませるほど、いいものではないさ」
私にはその仕草が、ほのかに染まった自分の顔色を隠すためのものだと分かった。
***
夫ほどの騎士になると、あちこちの社交に招待されることも多い。
その大半を「騎士が本分なので」と断っているのだけど、相手によってはさすがに断れないこともある。
今日の夜はある公爵様に夫婦でお呼ばれして会食だ。朝から準備に追われる。
私は侍女に着付けてもらう。
普段の私はふわりとした栗色のミディアムヘア。これをシニヨンにまとめる。
さらに、モスグリーンのドレスで着飾る。
夫は鏡を見て、ネクタイの位置を調整しながらため息をついている。
「剣しか能のない男を屋敷に招いても得るものなどないだろうに」
よほど会食が面倒なのだろう。
だから、私はふふっと笑いかける。
「あら、私は楽しみだけど?」
「どうして?」
「あなたとお出かけして、美味しい物も食べられる。とてもワクワクするわ」
夫はわずかに笑んでくれた。
「それに……」
「それに?」
「我が愛する夫ファーデンを色んな人に見てもらいたいもの」
私がこう言うと、夫は目を逸らした。
「……なにを言うかと思えば」
「うふふっ」
今のは紛れもない本音でもあり、私流のからかいでもある。
ところが――
「私も我が愛する妻ルエーネを、ぜひ色んな人に見てもらいたいよ」
まっすぐにこう返されて、私は心の芯を突かれた。
「あ、あなたったら……」
私の顔は火照り、こう返すしかなかった。
この人の愛のささやきは、天然物でありながら、名剣のように私の心を突き刺してくるから恐ろしい。
この勝負、ドキドキが止まらない私の負けね。
***
夕刻頃、私たちは馬車で大きなお屋敷に到着する。
今日夫を招いたのはグローサル公爵家。国内でも一、二を争う勢力の貴族で、邸宅もそれに見合うほど立派だ。
私の生家はもちろん、シーベント家の本邸ですら上回る。
「ファーデン・シーベント様、ルエーネ・シーベント様ですね。こちらへどうぞ」
執事に案内され、食堂へ。
テーブルにはすでに、公爵ゴルドー・グローサル様とご夫人が着席している。
ゴルドー様は白髪の壮年の紳士。恰幅がよく、白い口髭のある威厳ある顔立ちをなさっている。夫人もそれに見合う気品のあるお方だ。
「座ってくれたまえ」
ゴルドー様に促され着席し、会食が始まる。
さすがは公爵家。出される料理はどれも美味しく、騎士だけあって健啖家である夫はもりもりと肉や野菜、スープを平らげていった。
これにはゴルドー様も「君の食べっぷりを見たら、シェフは君に仕えたいと言うだろうね」と評していた。
食事も一段落し、ワインとチーズを嗜みつつ、歓談を楽しむ局面になっていく。
ゴルドー様が夫を見据える。
「『白竜騎士団』のこのところの活躍はめざましい。君は今や、王国一の騎士と言っても過言ではないかもしれんな」
最上級の褒め言葉を、夫は冷静に受け止める。
「滅相もありません。私はまだまだただ馬に乗り、ただ剣を振るっているだけの男です。王国一などとはとても呼べません」
夫は謙遜する。本心から言っているように思う。
それもそのはず。夫には目指すべき騎士道があり、未だ道半ば。どんなに活躍しようと、名誉を得ようと、夫が満足することはない。たとえ世界を脅かす巨悪を倒して全人類から認められたとしても、夫にとってそれは通過点に過ぎない。
そんな夫だからこそ、私は心から尊敬できる。
「ふむ、素晴らしい。まさに騎士の鑑だ」
ゴルドー様はうなずく。今の夫の答えは、騎士としてはまさしく満点の回答だろう。もっとも夫は意識せずにやっているのだけど。
すると、ゴルドー様はこちらに目を向けてきた。
夫を見る目とはうってかわって、どこか冷たい輝きを帯びている。
「しかし、君ほどの騎士が、ずいぶん変わった選択をしたものだ」
「……?」
「まさか、伴侶に選んだのが子爵令嬢とは……。女性を見る目ばかりは、王国一とはいかなかったか」
ゴルドー様はハハハと笑い、ご夫人もそれに合わせるように笑う。
私は努めて表情を変えない。
夫と出会った当初からこうした声は耳に入っており、私ももはや慣れているから。
その時だった。
「お言葉ですが、ゴルドー様。私の妻は王国一……いえ、世界一です」
夫は言い切った。言い切ってみせた。
ゴルドー様の眉がピクリと動く。
「ほう……?」
「もう一度申し上げましょう。私の妻は世界一です。ゆえに“変わった選択”などという言い方は大変心外です」
格上の貴族に、反論は認めないという口調で断言した。
優雅で和やかだった場が、香辛料を振りかけたかのようにピリリとした雰囲気を纏う。
ゴルドー様が夫を睨めつける。
「君らしくもない。ずいぶん傲慢なことを言う」
「いえ、傲慢などとは思いません。私は本音、いえ事実を申し上げているだけですので」
「ほう、では君の奥方が世界一というなら、私の妻より上だということか?」
「上です」
即答だった。
「ならば、陛下の妻――王妃様よりも上だということか?」
「上です」
またしても即答だった。
一切譲るつもりはない、と言わんばかりの早さ。
ゴルドー様が右手を挙げる。
すると、食堂の外から五人の衛兵がなだれ込み、座っている夫に剣を突きつけた。
「今の言葉は紛れもなく王家への反逆だ。訂正せねば、五つの刃が君の体を貫くぞ」
夫は眉一つ動かさない。
「反逆ではありません。私は妻に対し、自分が思うままの評価を下した。ただそれだけのことです。この状態で私を殺せば、処罰を受けるのはあなたでしょう」
「そんなものは事を終わらせてからどうとでもすればよい。さあ、訂正するがよい。自分の妻は世界一などではない、と」
「訂正するつもりはありません」
あくまで意志を貫く夫に対し、ゴルドー様は兵士に合図を送ろうとする。
が、夫はそれを制した。
「お待ちください」
ゴルドー様の表情が緩む。どこか安堵しているようにも見えた。
「待て、か。君ほどの男でも命は惜しいと見える」
夫は首を横に振った。
「いいえ。もっと兵が揃うまで待った方がいい、という意味で申し上げたのです」
「……なに?」
「ひとたび交戦状態になれば、私も騎士のはしくれ、我が身と妻を守るため全力で抗いましょう。本気の私に対し、衛兵五人ではあまりにも心もとない。おそらく私はこの五人を瞬く間に殺害し、そのままあなたに飛びかかり、その首の骨をへし折るでしょう」
夫の言葉に淀みはなかった。本気で言っているのが分かる。
「ふ、ふふふ……いくら君でも五人の兵士を素手で倒すなどできるわけが……」
ゴルドー様の額には汗がにじんでいる。
「ならば試してみればいい。もっとも……世の中には“試したが最後”ということがあることもお忘れなく」
見ると、五人の衛兵も震えている。夫と自分たちの実力差を感じ取ってしまったのだろう。
こんな状態では、素人目にも先ほどの予告は容易に実現してしまうと分かる。
すると――
「ふふふ……ハッハッハ! さすがだ、ファーデン君」
空気が一気に弛緩する。
「実はな、君が大変な愛妻家と聞いて、つい試したくなってしまったのだよ。とんだ無礼をした。君にも奥方にも申し訳ないことをした」
ゴルドー様は頭を下げた。隣の夫人も同様だ。
合図をすると、衛兵たちが下がっていく。
「私もこれでも若い頃は数々の戦場を経験してきたが、今のやり取りが一番肝が冷えたよ。君の言う“試したが最後”というのを思い知らされた。もし私が本当に兵に攻撃を命令していたら、私は神に召されていただろうな」
夫もまた、わずかに笑む。
「私こそ肝が冷えましたよ」
夫なりのリップサービスだろう。おそらく夫は心拍数さえ変わっていない。
と、ここでゴルドー様が私に視線を向ける。
「しかし、ファーデン君よりも驚いたのはあなただ。ルエーネさん、今のやり取りの間、あなたからはいささかの動揺も見られなかった。これからここで戦いが始まってしまうかもしれないことに不安はなかったのかね?」
この問いに、私は少し考えた後、自分の思いをそのまま伝えることにした。
「私には、夫ファーデンと結婚する時に決めていたことがあるんです。夫は武人ですから、こと武の事柄に関しては夫に全て身を委ねると。ですから今は、夫に全てを委ねておりました。なのでここで戦いが起こり、夫や私、あるいは公爵様が死ぬことになったとしても、それは委ねた結果に過ぎません。ですから、不安はありませんでした」
私が言い終わると、ゴルドー様はうんうんといった風に何度もうなずく。
「一流の騎士には一流の妻がつくということか。実はね、ファーデン君、私も今日までは我が妻を“世界一”だと思っていたのだが、どうやら今日からは“世界二”と思ってしまいそうだよ」
夫人を見ると、夫人も笑っている。そこにあざけりや悔しさなどは感じられない。
「大変光栄です」
夫はこう答える。
食堂はたちまち先ほどまでの優雅な空気を取り戻す。
――と、ここで気づく。このままでは私が世界一になってしまうことに。
「私は自分が世界一だとは思ってませんので!」
慌てて否定すると、食堂が笑い声に包まれる。
この後の会食は終始和やかなムードで進み、幕を閉じた。
***
一泊し、朝食をご馳走になると、私たちはグローサル家のお屋敷を後にした。
帰りの馬車で、私は夫に尋ねる。
「昨晩の会食、あなたが衛兵を殺し、公爵様の首を折る、なんて言った時は正直驚いたわ」
あれらの言動は普段の夫らしくなかった。
普段であれば、たとえ怒ってもああいった脅迫じみたことは言わない。
「公爵が私一人に害意を向けていたら、大人しく斬られていたかもしれないな。騎士として、格上の貴族に手向かうことはできれば避けたい」
「……」
「だが、君を侮るようなことを言われたことで、私もつい気持ちが昂ってしまった。やはり私はまだまだ未熟だ」
夫が私を見据える。
「しかし、これだけは言っておこう。私は君を守るためならば、たとえ相手が五十人だろうと百人だろうと、勝ってみせると」
「は、はい……」
この人の言葉は、やはり私の心の芯を突き刺してくる。
行きに続いて、帰りにもドキドキさせられてしまったわね。
連載作品となります。
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