厄災4
北の森の祠。
木々が生い茂る森だが、その場所だけは半径十メートル程の空間が出来上がっていて、その中心部に石を積み上げられてできた祠がある。
その祠に片膝立てて座る男は、その顔に微笑を刻んで、
「ここに来たということは、覚悟が決まったと受け取っていいんだな?……エレナ」
「ええ。そう取ってもらって構わない。だから……街を、皆を助けてッ!」
慄然としたエレナの懇願は眉を迫るものがあり、デウスは表情を曇らせた。
「何か、あったのか?」
エレナは状況を説明した。
走ってきたせいで呼吸が荒いが、息を吸うよりも、言葉を吐き出した。
「なるほどな。この街の“厄災”は賊の襲撃という訳か」
「アンタなら何とか出来るんでしょ?」
あれだけ適当にあしらっておいて、こんな時に頼るのもどうかと思うが、それでもエレナは目前で傲岸不遜に笑う男に縋るしかないのだ。
「勿論だ。俺様はこの世界の神だぞ。賊の討伐くらい片手でやってやろう」
「じゃあ早く――――ッ」
エレナが街に戻ろうとした時、デウスがその手を掴んだ。
走り出したため、急に後ろに引かれるような感覚に戸惑いながら、
「ちょっと何してんのよ。早くしないと街のみんなが……」
「その前に一つ、貴様に問おう」
この一刻を争う状況に、そんな悠長なことをしている暇はない。
だが、デウスのその眼は、彼にとって大事な時間であることをエレナは感じた。
「貴様は……如何なる絶望をその眼に焼き付けられても、この世界を好きでいる自信はあるか?」
質問の意図が分からない。
けど、エレナはこの世界を、皆がいるこの世界を――――
「あるに決まってんじゃん」
鬼気迫る状況から出た言葉ではない。
しっかりと考えて吐き出した答えだ。
エレナの返答に、デウスはいつものような満足げな笑みではなく、取り敢えず納得したような表情を刻み、
「そうか……では急ごう」
「ぇちょっと――――ッ!?」
エレナを抱きかかえると、勢いよく駆けだした。
風圧で目が開けられない。声を出せるような状況じゃない。
それほどの速さで、デウスは森を駆けて行った。
エレナが数十分かけて辿り着いた北の森の祠。
その距離をデウスは五分で詰める。
街に着いた時、既に火は全てを飲み込んでいた。
「これは酷いな」
「――――ッ」
デウスがこの地獄の風景を見ている間に、エレナの足は既に動いていた。
街が既に燃えていることは知っている。
今、エレナが心配なのは大聖堂にいる街の住人達だ。
「はぁはぁ…………」
体力はある方だ。だが、流石に走りっぱなしはキツイのも事実。
足が重い。肺が裂けそうに痛い。心臓の鼓動が強く、血管が脈打つ感覚が鮮明に感じ取れる。
それでも、彼女の足は前に進んでいた。
止まっている時間は無い。
「はぁはぁ、くっぁ、はぁはぁはぁはぁ……」
焦げた空気を吸い込んで咽たとしても、躓いて擦り剥いたとしても、この足を止めるわけにはいかない。
「はぁはぁ、大丈夫……大丈夫――」
大聖堂の方に火は回らない。
大聖堂は中からしか開けられない。
扉は、戻ってくるまで絶対に開けちゃダメと、アリスに言った。
親友は答えた――任せて、と。
大丈夫、大丈夫……。
もうすぐそっちに行くから――。
街が焼けても、みんながいればやり直せる――――。
大変だけど、みんながいれば、また前みたいな時間だってすぐに戻る――――――。
また、あの酒場で一緒に騒ごうよ――――。
大丈夫……あたし達なら、この絶望を乗り越えることが出来る――――――。
だって今までそうだったでしょ…………ねぇ――――――――――――。
「ぁ――――り……す…………――――――」
「ぁあ? なんだ、まだ生き残りがいたのか」
あれ、おかしいな……なんで、大聖堂が開いてるんだろう…………
「お前も運が悪いな。よりによって全員集まった時に逃げてきやがって。別の場所に避難してたら逃げきれたかもしれねぇのに」
大聖堂は中からしか開けられないはずなのに……なんで、あいつらが…………
「いや、ある意味幸運かもな。希望が絶望に変わる瞬間を味わわなくて済んだんだからよ。ちょっと衛兵の振りした瞬間、水みたいに流れ出やがった。外で待っているのが俺達とも知らずによ」
そんなわけない……だって扉は、開けないように……
「そういえば、こいつだけは賢かったな。外にいるのが俺達だと気づいたのか、他の連中を止めてたぜ。最後は泣き叫んで誰かの名前を叫んでたな。ぇっと確か……」
アンタは何を、誰を踏みつけてるの? その茶色い髪の子は…………まるで…………
「ぁあそうだエレナだ。『エレナァァ』って叫んでたぜ。もしかして、お前の事か?」
「――――――――」
エレナは崩れるように膝をついた。
許さない。許せない。憎い、殺したい程憎い。
エレナは下唇を噛んで血が流れる。
握る拳は爪が抉って血が滲み出る。
だが、その痛みはどうでもいい。
今、エレナの感覚はそんなことを感じていれる状態ではない。
憎悪が全身を巡り、血が沸騰するようだ。
死体を踏みつけるもの、死体に座るもの、死体に剣を刺してバラバラにしているもの。
この視界に映っている奴が、この場にいる奴が全員憎い。
間に合わなかった、助けられなかった自分が憎い。
この世界が――――――
「落ち着け……」
その声は静かで、強く重かった。
エレナは肩に手を乗せる男を見上げた。
黒い長髪を後ろで結び、時代に見合は無い変わった身なりの男を。
「デウス……」
「ぁあ、まだいたのか。もしかしたらまだ以外に街にいるのかもな。お前ら探し出せ」
エレナの親友を踏みつけながら男は言った。
従う様に何人かが武器を持って街に向かって、エレナ達に向かって走っていく。
「ねぇ、デウス……」
「どうした……」
「本当に、アンタならあいつらを倒せる?」
「倒す? 殺すのではなく、倒すのか?」
殺す。殺したい。でも、それは出来ない。
「殺しちゃダメ。それでも、出来る?」
エレナが言うと、デウスは自身に満ち溢れた笑みを刻んだ。
「言われずとも最初からそのつもりだ」
エレナ達に向かってくる賊は九人。
デウスはエレナの肩から手を放して、
「「「ごゅぁ!」」」
「「「ぐっぉ!?」」」
「「「がっぉあ!!」」」
一秒にも満たない刹那の時間でその九人を無力化した。
早すぎて、エレナの眼には見えなかった。
気付いた時には、全員宙を舞って気絶していた。
「なんだテメェ……」
アリスを踏みつける、この賊の現頭がデウスを睨む。
その睥睨に、デウスは嘲笑う様に笑みを刻んだ。
「ほう、この俺様をテメェとはな。どうやら貴様らにはお仕置きでは生温いようだ」
「何言ってやがんだテメェ。この状況が分からないのか? こっちは百人以上、そっちは二人。テメェらに何が出来るってんだ、ァア!?」
男の言っていることは正しい。
相手は武器を持ち、殺すことに慣れた集団。
対してこちらは、膝を崩した少女と、見た目は若い青年。
誰が見ても、この状況でデウス達に勝機は無い。
それでも、デウスは、この世界の神は笑う、笑う。
傲岸不遜に、目前の百数人を相手に嘲笑う。
「フハハハハハ、貴様の尺度ですべてが通ると思うなよ人間が。この世界において俺様が絶対で、貴様の尺度など俺様にとっては何の意味もなさない」
挑発して、笑う姿は、相手の神経を逆なでるもので。
「私利私欲の為に街を焼き、民を殺した貴様らの罪は重い。この俺様が閻魔に変わって粛清してやろう」
デウスの肉体から魔力が溢れた。
それは普段感じることのないエレナでさえも、肌に突き刺さるような研鑽された濃密な魔力だ。
「< ――天界ノ主タル我ガ命ズ 下界ニ蔓延ル兇徒ヲ粛清センガ為 我ガ呼ビカケニ応ジ権限セヨ―― >」
神器――――“ 咎人ノ悔悟 ”
デウスの手に突如現れた二十面体のキューブ。
金色の線と純白の面で構成されたキューブは、今にもはち切れそうに中から膨張していた。
キューブから耳を劈くような音が漏れ出していた。
「ルール上貴様らを殺すことは出来ないから安心しろ。もっとも、細胞を焼き切る罪は死よりも苦痛を味わうかもしれないがな」
デウスはそのキューブを頭上に投げた。
ある程度の高さまで行くと、そのキューブは大気に固定された。
光り輝くそれは、夜闇に浮かぶ太陽のようで。
賊は全員、その正体不明のキューブに目を奪われていた。
彼らの理性が逃げるように訴えかけている。だが、彼らの本能は逃げる行為すら諦めた。
「この神器は俺様の扱うものでもトップクラスの攻撃力を持つ範囲型神器。罪が重ければ重いほど強烈な電撃を浴びせる審判の一撃。勿論、罪の重さは俺様の尺度で決めさせてもらう」
キューブから漏れる光が強くなっていく。
雷がキューブから姿を現し、大気を割ったように広がって。
この場にいる全員の視界が、純白の光に包まれて、紙を破くような轟然たる雷鳴が鼓膜を打ち付けた。
「悔い改めよ――――人間共」
―――――――――――ッッッッ!!!!
キューブを中から突き破り、雷槍が賊を一人残らず貫いた。
逃げる間も、叫ぶことすら許さない刹那の一撃。
身体を中から破壊されたように純白の電撃が賊の細胞を巡った。
全身から煙を出して、賊は次々と倒れていく。
意識は飛び、立つことを維持できるような状態ではない。
細胞が焼き切れて、全身の感覚が消え去った。
相手は殺しのプロが百と数十。
その全てが、刹那の間で全滅した。
それをやった男は、意識が飛んで再起不能になった賊を見下し笑みを刻む。
「手加減はしておいた。まぁ、多少の後遺症は残るだろうが、生活する分には問題ない。これからはちゃんと働いて俺様の世界に貢献するんだな」
その声は、賊には届いていない。
ただ降りだした雨が街の火を消火する音だけが、絶望の静寂に木霊した――――――――。
重い話になってしまった……