厄災5
篠突くような豪雨。
それはエレナの心を天が映し出しているようだった。
「…………」
「何をしている。雨も降り出した。このままだと風邪引くぞ」
エレナに反応は無い。
亡き親友を抱えて、雨に打たれ続けていた。
「さて、どうしたものか…………」
正直言って、エレナの心境を汲み取れるかと言えば汲み取れないデウス。
人の死など、デウスにとっては幾度も経験してきたことだ。
今更悲しみに浸れるような感覚は持ち合わせていない。
それでも、人の死が、ましてや親友の死は、潰されそうなくらいに心を締め付けるものということは知っている。
だからこそ、デウスはそれ以上何も言わなかった。
「…………ねぇ」
そんなデウスに、雨にかき消されそうな程に弱く小さい声が届いた。
「なんだ?」
淡白に答えたデウス。
そんな彼に、少女は一度間を置いて、脳裏を巡る思いを吐露した。
「あたしが助けを求めた時、『この街の厄災は』って言ったわよね?」
「ああ、言ったな」
「もしかして、この街に何か起こること……アンタなら分かってたんじゃないの?」
重く深く暗く、その声はデウスに突き刺さる。
デウスはそれでもあっさりとした声で、
「ああ。分かってた」
「――――ッッ」
嘘をつく気などさらさらない。
ただ事実を言うだけだ。
その事実に、エレナはデウスを睨みつけた。
雨で濡れながらも、その眼には涙を浮かべていることは分かった。
その眼には、憎悪のような感情が込められていた。
「なんで……言ってくれなかったの?」
この男を、デウスを責めても仕方がない。
それでも、このぶつけどころのない感情を吐き出せればなんでもよかった。
そんな自分にも腹が立つエレナ。
「あれだけの力があれば……こうなることが分かってたなら……どうして何もせずにただあたしを待ってたの? アンタならこうなる前にどうにか出来たんじゃないの? ねぇ、どうして!」
その声は徐々に熱がこもる。
デウスは全てを知っていた。対処することも出来た。
その事実が、エレナにとって呵責に至る原因だ。
勿論それは、デウスにとって理不尽な怒りでしかない。
だが、それを責めるわけでなく、デウスはただエレナの問いに答えた。
「俺様は、厄災が起こる場所に漂う“邪気”というものを感じ取ることが出来る。邪気が濃ければ濃いほど、強く大きい厄災が起こる。だがな、邪気を感じることが出来ても、厄災がいつ起こるか、明確な時間は分からない」
邪気の感じから、大体のタイミングは予想できる。
それでも、三日以上の誤差は生じる。
今回も、近いうちにアルトナの街に厄災が起きることは分かっていた。
だからこそ、デウスはこの街に降り立ったのだ。
だが、それがどのタイミングで起きるか、明確な時間は分からない。
デウスの予想では、三日ぐらいは猶予があると思っていた。
だから三日、エレナに猶予を与えたのだ。
しかし、実際はその翌日に厄災が起きた。
今となっては、厄災のタイミングすらいつ起こるか、デウスですらも分からない程に不安定になっている。
「もし、貴様にそれを教えたとして、貴様は信じるのか?」
その時のエレナは、デウスが神であることすら信じていなかった。
そんな彼女に、厄災の事を伝えたところで、信じるはずもない。
賊が来て、初めてデウスの所に向かうだろう。
それが分かっていたからこそ、エレナは何も言えなかった。
それでも、この思いは、この浮き上がる感情は、この男に縋ることでしか抑えられない。
「……ねぇアンタは神様なんでしょ……不可能なんてないんでしょ? ……お願い、お願いだから…………」
この先の言葉など、何度も聞いてきた言葉だ。
絶望に陥った人間が、希望の光を目にしたとき、誰でもその光を掴もうと手を伸ばす。
たとえその光が、掴めないものと分かっていても。
「街を、みんなを…………親友を…………生き返らせてよ……何でもするから……勇者だってなる……なんでも言うこと聞く……あたしのすべてをアンタに捧げるから……アリスを……お願い…………」
本心で言っていることは理解出来た。
本当に、彼女は自分のすべてを捧げても、この望みを叶えてほしいと言っている。
それでもデウスは、情の無い冷たい声で言った。
「残念だが、それは無理だ」
分かっていた。
死んでしまった人間を蘇らせることなど出来ない事など、常識的に考えれば分かることだ。
それでも、デウスなら出来ると思いたかった。否、否定された今でも、まだ諦められなかった。
「なんでよ……アンタ神様なんでしょ。不可能なんてないんでしょ? だったらお願い……お願いだから……」
濡れた大地に頭を沈める。
彼女がデウスに縋ろうとする気持ちは理解できる。
それでも、デウスに出来ることは理解できる事までだ。
神に願う少女に、その神は言った。
「エレナ……貴様の勘違いを一つ正そう」
エレナは沈めた頭を上げて、神を見上げた。
その神は、感情に左右されない冷静な目をしていた。
「確かに俺様は神だ。現アトランティス唯一にして最高のな。今ここで死んでいる者を蘇らせることも出来るし、焼かれた街を元に戻すことも出来る。時間を逆行して対処すれば、賊の襲撃という事象すら無くすことも出来る…………だがな、それは『出来る』というだけで、『やっていい』わけではないんだ」
その現実は、今のエレナには重すぎて――――。
「貴様は神の存在を人々の願いを叶え、幸福をもたらす者と思っているかもしれないが、実際の神の役目は世界の調和と安定だ。定められた摂理と法則、禁忌目録を守り、この世界を維持すること。その中で、貴様らは自らの手で幸福を手に入れるしかない」
デウスの役目は世界、アトランティスの維持。
その中で誰が幸福になり、誰が絶望に陥ろうと関係ない。
実際の神は非情だという事、神本人は隠す気なくエレナに伝えた。
「死者を蘇らせるということは、一度冥界に送った魂を引きずり出すという事。それはこの世界の摂理に背く行為だ。生命は生まれ、やがて死ぬ。いかなる理由であろうと、一度起きた事象を変えることは出来ない。死者の魂が冥界に行くまで約1分。それを超えれば蘇生は不可能だ」
デウスがこの世界を例えるならば、水槽をイメージする。
水槽には満タンに水が入っており、この水はアトランティスを構成するものだ。
人が死ぬということは、水槽から水が出ていくことになる。逆に言えば、人が生まれれば水は足される。
一度出てしまった水を補充するように、新しい水は水槽へと入っていく。
死者を蘇らせる行為は、出ていった水をもう一度水槽に流すことだ。
当然、水槽には許容限界がある。水が足されて満タンになっているところに、出ていった水を戻せば、水槽から水が溢れることになる。
それも、溢れ出した水は、すべて戻した水であるとは限らない。
そのすべてを溢れないようにしようとすれば、今度は水槽が圧力に耐えきれず壊れてしまう。
死者を蘇らせるリスクは、やがてこの世界を崩壊させることに直結する。
時間の逆行は、一定に流れる時の法則を狂わし、季節は狂い、やがて空間が崩壊する。
逆行した時間軸で未来を変えたならば、必ず並行世界が出来上がり、やがて横並びになった並行世界は互いにぶつかり合って消滅する。
どれもこれも、デウスにとって出来ることだが、神であるデウスには出来ない事だ。
「それに、今回の厄災は起こりべくして起こったことだ。この街の領主は他の街から女子供を強引に買い取っては薬漬けにして拷問するのが趣味だった。今回の厄災はその身内や知り合いが主犯となっていた。まぁ、結局そいつらも殺され、殺し目的の連中だけが暴走した訳だが…………」
厄災にも問題のあるもの、ないものがある。
人が行動し、選択した結果起こる厄災は、基本的に人災としてデウスは極力関わらないようにしている。
デウスが真の意味で厄災と呼べるのは、アトランティスが巻き起こすものだ。
つまり、今回に至ってはデウスにとって無駄足だったという結果だ。
「これから貴様には、俺様が下界で行動できるよう勇者として世界を救ってもらう。だが、今ならまだ断ることも出来る。友は死に、街は燃えた今、再度問おう。貴様は如何なる絶望をその眼に焼き付けられても――――この世界を好きでいられるか?」
その問を最初に受けた時、エレナは答えた。
“あるに決まってんじゃん”、と。
だがそれは、絶望を知る前の答えだ。
この問いが意味を成すのは今、絶望を知ったエレナが答えて初めて意味を持つ。
「…………」
エレナは黙った。
亡き親友の顔を覗いて、自分自身にデウスの問いを反芻する。
――――この世界に憎しみを抱いた。
――――この世界の神が、非情なものであると知った。
――――この世界を好きでいる理由は、今完全に消え去った。
――――――彼女はこの世界を…………
「あたしは…………この世界が、すべて失って何もなくなった、こんな世界が……」
好き。――――そう答えられるわけがない。
「嫌いよ……それでも……」
彼女は紡ぐ。
絶望に叩き落されながら、希望の光がまやかしであることも分かりながらも、彼女はそれを乗り越える。
それが出来る心の強さが、彼女にはあった。
「他の人にあたしみたいな思いはさせたくない。あたしが、あたしたちが確かに存在していたこの世界を失いたくない。だから、あたしは勇者になる。何が出来るか分からないけど、勇者になってアンタの代わりにあたしが下界の神になる。神になってこの世界も、人々の絶望も救って見せる。これがあたしの答えよ! 文句ある?」
その声は勇ましく、その眼は強い意志を宿していた。
予想していた返答とは違うが、それでもデウスを楽しませ、満足げな笑みを刻む答えであったようで、
「面白い。貴様を選んだのは間違いじゃなかったようだ」
デウスはエレナに手を向けた。
その手は光り輝いて、光はやがてエレナの手に飛びついた。
迫りくる異様な光が飛び込んだ右手を見た。
手の甲に紋様が輝き、その輝きの収束の後、紋様が跡となって手の甲に残った。
「それは俺様との契約が成立した証だ。その紋が刻まれている間は貴様への信仰力は俺様へ還元され、貴様がどこにいようとこの紋章がある間は場所を感知できる」
これで、エレナは後に引けなくなった。
それでも後悔は無い。今その腕に抱える親友のような思いは、他の人にさせたくない。
「覚悟はいいな、エレナ……」
「……ええ」
親友を抱きかかえて吐き出した決意に、デウスは今まで以上に満足げな笑みを浮かべた。
「ならば、早く彼女等を弔うとしよう。遺体を雨にさらし続けたくないだろ?」
「…………うん」
「……勇者たるもの、心が折れてしまいそうなときでも笑っていられるほど強くなくちゃいけない。この俺様の眼の内は絶対にだ。だが、雨天の時は神は天界から下界を見下ろすことが出来ない。そんなときくらい、思いを吐き出しても良いと思うぞ」
雨は冷たくエレナを濡らす。
黒雲に蓋をされた世界の中で、エレナは込み上げた思いを吐き出した。
「ぁぁああぁあああッッ!!」
これで最後。
そう感じ取れる喉がはち切れんばかりの慟哭は、打ち付ける豪雨の中に轟いて――――。




