□夕暮れ、魔王様と|開闢|
特に理由はなかった。
ただ、なんとなく魔王様の顔を見たくなって。
ただ、なんとなくここに来れば会えるような気がして。
ゴブろーくんをマリアさんのところに送り返して、聖剣をガルトライオ様に預けた後。
魔王城の最も高い場所にある、ダンスフロアのバルコニーに出ると。
何故か予感通りに、魔王様がそこで佇んでいた。
……
言葉をかける必要などない。
どうせ私の存在など、“魔王の第六感(センス・オブ・ダークロード)”で把握されているのだから。
だから、私は何も告げずに魔王様の隣に並ぶ。
下界を見下ろせば、真っ赤な太陽が魔王城と城下町をより赤々と照らしていて。
「……いったい何の用だ?」
魔王様はじろりと眼球を動かして、邪魔者のように私を見下ろした。
手すりに寄りかかって同じ風景を眺めていた私は、そんな魔王様の表情を面白おかしく見上げる。
魔王様、意外とこの場所がお好きですよね?
やっぱりアレですか、バカだから煙と一緒の場所がお好きなのですか?
「この小動物、とうとう面と向かって馬鹿とか言い始めやがったぞ……」
魔王様は目を閉じ頭を傾けると、牙を覗かせながら長々と溜息を吐いた。
そんな期待通りの反応にクスクスと忍び笑いを漏らし、そしてもう一度パノラマに広がる街並みを眺める。
こういう情景を楽しむ行為って、魔王様は「つまんねぇ」の一言で切り捨ててしまいそうな気していました。
「べつに楽しくてやってるわけじゃねぇよ。……でも、まあタマにはな」
偶には、ですか?
「ああ、タマにはだ」
そう言って、魔王様は再び物憂げな表情で夕焼けの国を俯瞰する。
それに挟む口もなく、私も魔王様に倣って半眼を物憂げに細めた。
そのままどれほど時間が流れたか。
少なくとも、太陽がその足を地平の影に付け始めた頃。
「おまえは、今の生活が楽しいか?」
この脳筋様は、今更そんな下らないことを尋ねて来たものだから。
私は実に正直に己の気持ちを口にする。
これっぽっちも楽しくないですよ。生きるのは楽ですけどね。――と。
なんだろう。いつだったか、ほとんど同じセリフを魔王様に吐き捨てたような記憶があった。
だからと言うわけではないが、私はお返しに魔王様に目線を向けて嫌らしく頬を緩める。
魔王様はどうなのですか?
今の生活は。私との生活は楽しいのですか?
「……」
そういう質問のされ方は想定していなかったのだろう。
魔王様は私に顔を向けると、こちらを見つめながらジッと思慮を巡らせた。
「楽しくなんてねぇよ」
きっと、強がりでも冗談でもなく、ただの本心なのだろう。
私から視線を逸らした魔王様は、暮れゆく背景に目を細めた。
「喧嘩以外に人生を楽しいと思ったことなんて、一度としてなかった。策も弄もなくただ全力で命のやり取りをする。それ以外に俺は、いまだに俺の生きる理由を見い出せずにいる。……オレが俺である必要性を、分からないままでいるんだ」
……
ああ、そうなのでしょう。
だって私は魔王様のペットで。
だって魔王様は私の飼い主なのだから。
似た者同士な私たちの悩みなんて、きっとほとんど同レベルの、それはもう低い次元に存在するのでしょう。
私はまぶたを閉じて首を振りながら苦笑すると、魔王様と一緒になって赤い世界に目を向けた。
――そんな人生に、意味などあると思いますか?
魔王様の答えなんて十全に理解していながら。
私はあえて、そんな愚問を投げかけてみた。
魔王様は一寸考えるフリをしてから、ハッと下らなそうに私の言葉を笑い飛ばす。
「つまらねぇ、くだらねぇ、面白くねぇ、退屈だ。――だからこそ、その中で好き勝手楽しむのがこの俺様の人生なんじゃねぇかよ」
昨日が悲しくても。
今日を楽しめなくても。
明日にやる気が出なくても。
戦って、戦って、戦い抜いた後に。
全てが終わった後に満足して受け入れられたのなら、それが自分の人生なのだと。
たとえ未完結で投げ捨てられたとしても、それこそが自分の描いた人生なのだと。
「それが、俺に生まれたオレの役割ってもんだ」
おまえは違うのかと、魔王様はニヤリと頬を邪悪に歪めながら反問してきた。
私も一寸考えるフリをしてから、魔王様の真似をしてニヤリと頬を歪めてみせた。
本当に、魔王様ってば脳筋であらせられるのですね。
「うるせぇほっとけ、丁寧に人をコケにするんじゃねぇよ」
魔王様は「はん!」と鼻を鳴らしながら、背筋を伸ばして赤い空を見上げた。
不意に吹き抜けた突風に三つ編みを押さえつつ、私も一緒になって夕焼けに目を向ける。
……
ねぇ、魔王様?
ひとつだけ、お願いをしてもよろしいですか?
「……言ってみろ」
私はこれまで自分の事だけで精一杯でした。
私は、自分の物語を考えるだけで精一杯だったんです。
でも、それだけじゃあやっぱりダメなのかなあって。
もう少しくらいは、他人の事にも目を向けなきゃいけないのかなあって。
そう考えさせられる切っ掛けが、ちょっと死んでいた最中にありまして。
「……」
だから、
だから、
だから。
――魔王様の物語を観察させていただいてもよろしいですか?
魔王様のその脳筋な生き様を、この半眼に焼き付けさせていただいてもよろしいですか。
魔王様が何を見て何を考えているのか、この特等席で見学させていただいてもよろしいですか。
そして、それらを私の日記に書き残していってもよろしいでしょうか。
私は体ごと魔王様へ向き直りながら、半眼を丸く広げて紅い目を見つめた。
魔王様はそんな私を一瞥すると、これ見よがしな嘆息と共に舌打ちを返してくる。
「……勝手にしな」
魔王様の視線を追い掛ければ、この世界は残酷なまでに赤く美しく。
……キレイな夕焼けですね、魔王様。
「……そうかもしれないな、エルザ」
私たちは陽が落ち切るその瞬間まで、二人で紅蓮の世界を見下ろし続けていた。
―――――
ここから先は蛇足かもしれないが。
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きっと残すまでもない物語なのだろうが。
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一応のケジメとして、あの子の結末もこの日記に記しておこうかと思う。
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そんな蛇足の中に、彼女はいた。
自分の世界に帰還した彼女はすぐに警察に保護された。
吹雪の中、街の路地裏で凍死しかけていたところを助けられ、そのまま病院に運ばれた。
彼女の行動に心打たれた両親は、改心して離婚を取りやめ三人仲良く暮らすことになった――などという、絵本のような物語が繰り広げられるわけもなく。
両親は一方的な罵詈雑言を喚き散らした後、彼女が退院したその日のうちにすかさず離縁し、親権は嫌々ながら母親が預かることとなった。
勿論母親に彼女を育てるつもりなどなく、その身柄はそのまま田舎の祖母の下へと投げ捨てらた。
祖母は一応人並みに彼女のこと憐れんでくれていたが。
むしろそんな祖母に迷惑をかけるわけにもいかないと、彼女は高卒の資格を得ると同時に上京して職に就いた。
真っ当な職とも人並みの収入とも言えない環境の中で、彼女は生活を維持するためだけに必死に働いた。
それなりに会話のできる職場仲間は増えたが、友達や親友と呼べる関係を築くほどの余裕はなく。気が付けば二十歳が終わり、三十路も半ばを過ぎようとしていた。
会社から出た彼女を出迎えてくれたのは、真っ赤な夕暮れの太陽で。
仕事帰りの夕焼け空をトボトボと見上げながら、彼女は今でも時々考えていた。
あの日々は本当に現実だったのだろうか、と。
もしかしたら、全部死にかけた自分の描いた妄想だったのではないだろうかと。
言葉にできない破壊衝動を紛らわすために、脳が見せた幻だったのではないだろうかと。
どちらにしても変わりないことだと、彼女は自嘲する。
あれが夢だったとしても。
仮に現実だったとしても。
どうせ全ては終わった後の物語だ。
『――自分の物語くらいはきちんと終わらせてから、終わりな』
もう顔も思い出せなくなった、自分を夢から覚めさせてくれた三つ編みの少女。
その真言だけを胸に抱いて、ここまで生きてきた。
私の物語だけは、この私の手で終わらせなければならないと、そんな義務感に苛まれながら。
ああ、そうだ。
大団円なんて望まない。人並みの幸せも別に求めてはいない。
ただ静かにひっそりと、忘れられ朽ち果てることが出来ればそれでいい。
それが私の、夢の中で為したことに対する贖罪なのだから。
「……ああ、よかった。……ようやく辿り着けた」
その言葉は彼女のすぐ目の前から聞こえてきた。
物思いから戻った彼女は、どうしてその人影に気付かなかったのかと驚きながら足を止めた。
彼女の前に立っていたのは一人の青年。
歳は二十歳前後だろうか。今時とも古めかしいとも言えない何とも言えないファッションで、今時とも古めかしいとも言えない何とも言えない笑顔を浮かべていた。
反射的に頭を下げようとしていた彼女は、青年の容姿に目を留めて考え込む。
べつに会ったことがあるわけでもないのに、ずっと傍に居続けていたような既視感が胸に沸き上がっていた。
「すまない、思った以上に時間が掛かってしまった。この世界自体にはすぐに転生できていたのだが、一人で出歩けるようになるまで成長し、そしてキミという人間を探すのにここまでの期間が必要となるとは考慮していなかったのだ。本当に申し訳なかった」
……
青年が何を言っているのか分からなかった。
でも、青年の言葉をずっと待ち焦がれていたような気もした。
「聞いてくれ、ツグミ。キミは幸せになっていいんだ」
……
「世界を救わなくていい。転生などしなくていい。主人公でなくてもいい。脇役でも敵役でも、モブでもエキストラだっていい。キミはただそこにいるだけで、幸せになっていいんだ」
……
「キミは、キミ自身の力で幸せになってかまわないんだよ。……ずっと、ずっとこの言葉を伝えたかった」
彼女は青年に尋ねようとした。
これまでのことを聞こうとした。
これからのことを聴こうとした。
でも、その全ては何一つ言葉にならなかった。
『さあ行こう、ツグミ。キミはキミの物語を――キミだけの人生を、今こそ始めるときなんだ!』
青年はささやかな笑みを浮かべると、彼女に向かってさり気なく、しかし譲るつもりはないとばかりに堂々と右手を差し出してきた。
彼女はその手を――
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world:デイリーダイアリー
stage:魔王城 100日目 二冊目終了
personage:エルザ
ending-bgm:Serendipity(ZAQ)
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