□|報復|
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まさかこんな、くだらないミスを犯してしまうとは。
太陽が傾き赤くなり始めた時間帯。
影が多くなり湿気が降りてきた森林の中、やや細身の樹の枝にしゃがみ込んだ少女は、遠くで探索作業を続けている城下哨戒班の動きを見下ろしていた。
彼らとはショートボウの有効射程ギリギリまで離れており、その間にはほぼ手付かずの木々が茂っている。
どころか、少女は自身に重量操作と気配遮断の魔法を重ね掛けし、目深に被った草緑色のローブには体臭や心音を眩ませる魔術も仕込まれていた。
少し慎重すぎるというか、過剰すぎる応対だとは思うが……
少女はひとりごちながら、周囲に漂う魔力を少量吸い込み、肺を通して血中に取り込み、心臓の中で術式を練り込む。
「――“狩人の瞳(ハンティング・アイズ)”」
呪文と共に魔法を解放すると、少女の深緑色の眼が赤く禍々しく輝き出した。
同時に視界の中で木々が色を失い、そこに身を隠す小動物や彼方の魔族たちの姿が赤く浮かび上がる。
場に残った兵士は六人。構成はほぼゴブリンで、一体だけリザドンが交ざっている程度。
実戦経験はあっても、このような森の中での行動には慣れていないのだろう。練度や士気に反して、彼らの動きはどこかぎこちないものだった。
「……っ」
これなら、この程度なら、この場で殲滅することも不可能では――
(……?)
ローブに隠したショートボウを握る手に力を込めた直後、隊長のゴブリンが振り向きながらまさに少女の方角を見上げた。
ドクンと心臓が跳ね、反射的に撤退を考える。
しかし、少女は自分の隠密技術を信じてジッとその場に留まり続けた。
表情までは分からないが、隊長ゴブリンは小首を傾げながら木々の隙間を見つめ続けていて。
(どうかされましたか、アルゴン小隊長?)
(……いや、なにか殺気のようなニオイを感じたんだが)
魔法で強化された聴覚に(たぶん気のせいだろう)と言うセリフが続いた。
そして隊長ゴブリンは視線を外して部下たちへ向き直る。
隊長ゴブリンの注意が完全に別を向くまで待ってから、少女はホッと息を吐いた。
「……あれが城下哨戒班か」
魔王城を警備している内勤の兵士とも、人間領との境界線で睨みを利かせている外勤の兵士とも違う、独自の判断で魔王城の外周を見回り敵の侵入を警戒する少数精鋭の遊撃部隊。
平和ボケしつつある内勤兵とも待遇の悪さに燻っている外勤兵とも違う、四天王ガルトライオ直属の近衛兵団。
そして隊長を務めているのが、人類にも“鷹の嘴”の異名で伝わるゴブリンの猛将、アルゴン。
どうやら、あの隊長ゴブリンは噂以上に手強い相手であるらしかった。
半信半疑とは言え、一度警戒されてしまった以上、ここでの奇襲は愚策でしかない。
少女は“狩人の瞳”を解除すると、枝の上に立ち上がりながら思慮を巡らせる。
……
彼女の名前は、ミーファ・エル・ファロス・アールブ。
気高きエルフェン族の王女にして、一族でも随一の射撃の名手にして、今代勇者の栄えある従者に選ばれた人類の守護者――だった女。
人類が魔族に敗北した今となっては、勇者と共に儚く散った悲劇の姫という記憶しか人々には残っておらず。
「……」
ミーファはローブのフードを捲り素顔を晒す。
彼女の右頬や長い耳には、ケロイド状の酷い火傷が刻まれていた。
いや、顔だけではなく喉元やローブの端から覗く右手足にも、同じような火傷の痕跡が広がっていて。
ショートカットだが、もみあげだけは長く伸ばしている特徴的な金髪。そして本来なら左右に二房存在したのだろう三つ編み。
それも今は左側しか存在せず、右側のおさげは半身と共に焼き払われていた。前髪を長くして誤魔化しているものの、側頭部にまで伸びた皮膚の爛れはとても隠しきれておらず。
『治癒しきっていない今ならば、火傷の痕を消すこともできるかもしれない』
魔王様と四天王が埋葬した勇者一行の墓。
その中から掘り出され、半強制的に蘇生させられた彼女は、治療にあたった魔族からそんな説明を受けた。
しかし、ミーファは一も二もなくそれを拒否した。
そんなことをしていたら。動けるようになるまで、戦えるようになるまで余計な時間が掛かってしまうからと。
そんなことをしたところで。それを喜んでくれる人間は、どうせもうこの世にはいないのだからと。
彼女を拾い上げて蘇生したのは、つい二ヵ月ほど前にクーデター騒動を起こし、魔王様との一騎打ちで絶命した彼のウォルカーとその部下だった。
勇者が死んだことで決定的となった人類の敗北。
その後のことを考えたウォルカーが、手札の一枚として確保しようとしたのが、このミーファだ。
『魔王に復讐したいというのであれば手を貸そう』
言葉巧みにミーファを勧誘しようとしたウォルカーだったが、このときのミーファにとって人類の敗戦も魔族間の権力抗争ももはや些事でしかなかった。
彼女の脳裏に残されていたのはただ一枚の映像。
方々に転がる仲間たちの死体と、ミルーエの魔法で燃やされて地に伏した自身と、その眼前で魔王様に胸部を貫かれて絶命した勇者の姿と。
そして、そこで魔王様が浮かべていた愉悦の笑みと。
あの笑みを消すことが出来るのなら。
魔王様を殺すことが出来るのなら。
亡霊にでも亡者にでもなってやると。神でも悪魔でも、魔族にでも魂を売ってやると。
彼女がたった一人取り残された生に、意地汚くもしがみ付いたのは、ただそれだけが理由だった。
「……ちっ」
突然右半身が疼いて、ミーファは静かに治癒魔法を使用した。
赤い光が右腕に染み込み、大きくなるかに見られた振戦も、すぐに大人しくなっていく。
どう見てもⅡ度以上の熱傷、範囲も広い。
治癒魔法で灼けた皮膚を強制的に活性化させたところで。とてもまともな日常生活が送れるほど回復しているとは思えないのに。
ミーファは不甲斐ない自分の腕を忌々しげに見下ろしてから、遠くの兵士達へ顔を戻す。
魔法の補助も借りずに見据えるのは、あのアルゴンと呼ばれた隊長ゴブリンで。
正確には、彼が先ほど鎧のポシェットに詰め込んだ、自分が落としてしまったロケットペンダントで。
――本当に何故、こんなくだらないミスを犯してしまったのだろう。
ウォルカーの残党から「哨戒班がこちらに向かっている」との伝達を受けて、慌てて拠点を動かそうとしたのは確かだが。
思ったより彼らの動きが早く、とりあえず必需品だけ持ち出せればいいと配慮が疎かになっていたのは事実だが。
それにしてもアレを。
今となっては己の命よりも価値のある、彼との想い出の品を落として、しかもそれに気づけなかったとは。
馬と荷物鞄を隠して大急ぎで戻っては来たものの、案の定野営地跡は押さえられ、おまけに隊長にあのペンダントを発見されてしまった。
「……っ」
あれだけは、絶対に渡すわけにはいかない。
ミーファは我知らず頬を痙攣させて右目を細める。
あれだけは、諦めるわけにはいかない。
あの日々だけは、手放すわけにはいかない。
あの日の想い出だけは、奴らに穢させるわけにはいかないのだ。
ミーファはフードを目深に被り直すと、踏ん切りをつけたように踵を返し、兵士達から離れて木々の上を移動し始める。
図らずとも次の標的が定まった。ウォルカーの残党たちからも、そろそろ大きな相手を狙えと急かされていたところだ。
次に殺すべき相手は、あの城下哨戒班――そして隊長のアルゴンだ。
ミーファは憎悪と高揚感に頬を引き攣らせながら、左手のショートボウが軋むほどに腕の力を込めた。
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