さて主人。入の前を力しく公名いだ
ランドルギアがいなかったのは何故なのだろうか。
体中をテンノに蝕まれながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
なぜテンノはランドルギアを持っていなかったのか。
肉体を変化させたアレがランドルギア? テンノはランドルギアすら自らに取り込んだのか?
いや、それはおかしい。
だって、私たちはみんなそれぞれのランドルギアを持っていたのだから。それぞれのランドルギアが、自らの意志を持って私たちと共に在ったのだから。
それが“役割”だとするなら、根源たるテンノが原因を持っていないのはおかしいじゃないか。
原因?
原因。
……そうだ、ランドルギアが原因なんだ。
自分で抱いた感想に、私はハッと半眼を動かした。
なんで最初にそこを疑わなかったのだろうか。
そうだ、これは都合の良い物語だ。ご都合主義的な展開なのだ。
この状況の全てが、ランドルギアにとって思惑通りの話ではないか。
全てを悟ったところで、全てはもう手遅れとなっていた。
『マスター! ちくしょう、何も見えねえぞ! 頼む、返事をしてくれマスター!! まだ生きてるのか!?』
ああ、左手の聖剣から元気な声が聞こえる。
もはや聴き慣れてしまった、世直しの旅にいつもついて来る道化師役のうっかり者な食いしん坊みたいなダミ声だ。
『よし、いつも通りの反応だな。……体は大丈夫なのか?』
大丈夫なわけないじゃん。ものすごく痛ぇよ?
この黒い霧、鎧の隙間から私の体をガジガジと捕食して来やがる。というか、むしろ鎧ごと食べられちゃってるんじゃないのかなあ。
見えないから分からないけど、もしかしたら肌が露出してる部分はもう皮膚がズル剥けになってるのかもね。
『冷静に状況分析してる場合かよ! くそっ、残った魔力を全部防御と回復に回しても全然間に合ってねぇ!!』
落ち着きなよ、聖剣。
慌てたところでどうしようもないし、下手に延命したところで私の生き地獄が長引くだけだよ。
『マスターはもうちょっと焦ってくれよ?! このままじゃ、このままじゃよぉ!!』
だから落ち着けってば。
過剰な優しさも、時に他者を傷付けるんだぞ。
そっちはどうなの?
なんなら最後の力で全力投擲すれば、あんただけでもここから脱出できるかもしれないよ。
『オレっちは何ともないよ! ってか己の発言を二秒で覆すのマジやめろ!! なんでマスターは、いっつもそうやって自分のことを他人事みたいに……!!』
……
……
……
違うんだ。
それは違うんだよ、聖剣。
私は他人事みたいに考えてるんじゃなくて、自分の事のように考えられないだけなんだ。
昔から。
たぶん生まれた時から。
私は私が本当に“エルザ”なのか、その確たる自信が持てずにここまで来てしまったのだ。
ふわふわと。
ふらふらと。
ゆらゆらと。
自信も確信も確証もないまま、揺れに揺られてたゆたって。
まるで書き覚えのない日記を読んでいるような、そんな蒙昧さの中で生きている。
私は自分に与えられた“エルザ”という名の役割に、未だに自覚が持てないでいるのだ。
「ボクにあったのはただの才能だけで、それはきっと資格ではなかったんだよ……」
うん、つくづく貴方の言う通りだった。
貴方には勇者の資格がなくて。
私にはエルザの才能がなかった。
ただそれだけの、つまらない物語の掛け違えに過ぎなかったのに。
『しっかりしろマスター、何をわけの分からないことを言ってるんだ! いつもマスターが言ってるんじゃないか、考えることを辞めるなって!!』
失礼だなあ。考えてるってば。
ずっと考えてる。
ずっと考えてた。
――私はずっと、私の物語だけを考えて続けていたのだ。
〈〈 終わらせられない! 終わりにできない! 終わることができない! 〉〉
唐突に“彼女”の言葉が聴こえてきた。
いや、もしかするとずっと聞こえていたのかもしれない。
これで終わりにはできないと、終わり切った物語にしがみ続けて泣いている少女の声が。
意識はもう半分以上が溶けていて。溶けた部分から彼女の思考が侵食してきて。
このまま私は彼女になるのだと、結局私は他人事のように理解することしか出来なくて。
『マスター!! 諦めるな、マスター!!!』
ミルーエ、めちゃくちゃ怒るかな。
ディアボロスフェア様、悲しんでくれるかな。
ガルトライオ様はものっくそ深々と嘆息しそう。
フォウリー様。私の体をホルマリン漬けにするのだけは止めて欲しいなあ。
ごめん、エクス。約束は守れそうにないや。
ごめんね、父さん母さん。貴方達とは死んでも会えそうにないよ。
すみません、魔王様。私は――
「だったら俺がおまえに役割を与えてやる。――おまえは今日から、俺様のペットだ」
ああ。
これでキレイに終われると思ったのにコンチクショウ。
本当に貴方様っていう脳筋魔王様は、いつもいつもそうやって私のことを縛ってくれるのだから。
だからそれが。
……それが魔王様のご命令ならば、仕方ありません。
私は目を見開いて己の損傷を確認した。
うん、何も見えない。けれど、これは私の体だ。きっと誰よりも私が詳しいに決まっているのだから。
そして私の状態はまだ明言されていない。
だから私は、地の文にこう記した。
私は傷一つ負っていないと。
〈〈 !? 〉〉
理由は分からないが、私にへばりついていたテンノの意識が驚愕する。
何を驚いているんだ、コイツは。
最初からおまえは、私の体を無駄にガジガジしていただけじゃないか。
あーもー、ガムみたいに体にくっ付いてるコレもそろそろ邪魔くさくなってきたぞ。
私は右手で黒い霧を掴むと、それを横に掻き分けながら両足を踏ん張った。
硬いのか柔らかいのかよく分からない霧は、グニグニと妙な感触を返しながら、触手のように四肢にまとわりついてくる。
ええい、鬱陶しい。
だから私は、肩甲骨のあたりから伸びてきた三本目四本目の腕でそれをフン掴まえて引っぺがした。
『はぁ!? え、ちょ、マスター!?』
今度はなぜだか聖剣が驚愕した声を上げた。
まったく、何を驚いているのだ。私に十本手足が生えたところで、それが異様に伸縮したところで、どころか私がテンノと同じような姿に変形したところで、そんなの何もおかしい話ではないではないか。
だって、これまで明言していなかっただけで、もしかしたら私とは最初からそういうモノだったのかもしれないだろう?
〈〈 なんだ? なんだなんだなんだ? なにがおこっているのだ!? 〉〉
完全に狂っていたはずのテンノの意識が、私の姿を見て束の間の正気に戻った。
っていうか地味に失礼な。私はレモンじゃないぞ。
そして、おまえもべつに智恵子じゃない!!
私はテンノの触手を丹念にひっ捕まえると、左手の聖剣に魔力を籠めて全身を緑色に染め上げる。
漆黒の繭と化していたテンノの集合体が、内側から緑色の光に焼かれ始めた。
『なっ、マスターのどこにこんな魔力が残って――』
それなら問題ない。心臓と魔力器官もついでに百倍に増やして魔力生成してるから。
それにそういう理屈なら、出力も百倍出せる計算になるだろう?
〈〈 おまえは、いったいなんなのだ!? 〉〉
私はエルザだ!! 転生先の名前ぐらい自分で調べとけ!!
“満月斬り(ムーン・スラッシュ)”
ちょっとダイアキュートしすぎただろうか。
全身から魔力を放ちながら聖剣を振り回すと、スキルは月というより太陽のように弾けて混ざった。
テンノの繭も私の余分な肉体も、その衝撃波で一瞬のうちに粉々となり、残されたのは宙に浮いている麻服の私と一体分に凝縮されたテンノの本体だけで。
“流星の理(リーズン・フォー・シューティングスター)”
緑色の粒子と化した私の肉体は、文字通り流れ星となってテンノに体当たりした。
そのままテンノを巻き込みながら何キロも下方へ落下していくと、ようやく見えてきた、まるで大地のような巨大な日記帳のハードカバーに激突して私は実体に戻る。
ホントに、もっと早くに気付くべきだった。
ここがテンノの心象風景だというのならば、私の心象風景も近くに存在していて当然の話だったのに。
革製の外層にめり込み仰向けに倒れたテンノに馬乗りとなりながら、私は三つ編みを振って呼吸を整えた。
左手の聖剣が、そんな私の顔を瞳を震わせ凝視する。
『なんだよ、今のスキル。そんなのオレっち知――』
シャラップ聖剣。余計なことを言っちゃダメだ。
これは“俊足の理(リーズン・フォー・スピードスター)”を超える最後の切り札だから、私たちは使わずに今まで取っておいた。
……そういうことでしょう?
『……』
〈〈 あ、ああ、ああああ! そうかそうかそうかそうか、そういうことか!! 〉〉
股の下のテンノが、炎のような赤い目を見開いて声を上げた。
私は気にせず聖剣を逆手に持ち直すと、右手を添えながら切っ先を高々と掲げる。
〈〈 あれは、あの世界は! 貴様が日記を書く物語ではなく、貴様の日記が貴様らを描いて―― 〉〉
黙れ、そしておまえはもう消えろ。
私は両手の中で聖剣を回転させると、テンノの心臓に狙いを定める。
〈〈 まて! まってくれ!! その力があれば、今度こそ為せるのだ!! 因果を逆転させるその力があれば、私たちは今度こそ本当に世界を―― 〉〉
――来世でやれ。
私は無感情に半眼を見開くと、全身全霊を籠めてテンノに聖剣を突き立てた。




