□〇月×日 魔王様と真理の扉
「たしかに一個二個にしておいてやるとは言ったけどよぉ……。だからって、本当に一個しか獲って来ない奴がいるか?」
御神木の実は甘くて辛くて酸っぱくてしょっぱくて、少しだけ苦い。
エルフェンの森から遠く逃れた小川の畔で。水面に反射する朝日にまぶたを瞬かせながら、魔王様は私への不満を垂れつつ、残り半分となった実にかぶりつく。
その股座に体育座りした私も、魔王様から分けてもらった手の平サイズの御神木の実に視線を戻すと、黄緑に色づいたクスノキ科の果肉にシャクリと口をつけた。
何処かで食べたことがあるようで、そのどれとも当てはまらない味と食感。
究極でも至高でもなく、かと言って庶民的ともまた異なる、クセになる味わい。
一切の追熟をしていないからだろうか。ミーファおばさんが持って来てくれる果実と比べるとまだ固く、味もサッパリしすぎている気がしたけれど。
それでも、母父さんが『未知なる既知』と謳うこの満足感は、これが御神木の実で間違いないという確信を私にもたらした。
根源の魔素によって育まれたその複雑怪奇な食味が故に、口にしたヒトの経験や人生観によって連想する対象が変わる。それが“御神木の実”の特徴でもあった。
たとえば母父さんは“インク”と称し、マミーであれば“花の蜜”と返す。ミレニアムルお姉ちゃんなら“あんみつ”と翼を羽ばたかせ、ガブリエムルお兄ちゃんなど“鳥の生肉”と尻尾を振るのだ。
そんな御神木の実を咀嚼した魔王様はと言うと……
「ケッ、やっぱりエルザみたいな味だな」
もう食べ飽きたとでも言わんばかりに眼を細めると、溜息混じりの悪態を吐きつつ、邪魔な皮を小脇へ噴き捨てていた。
しかして、御神木の実にかぶりつくその動きが緩む様子はなくて。もう一口果肉をかじった私は、暁の陽光を見つめながらゴクンと喉を鳴らす。
――私はまだ、この味を形容する単語が見つけられない。
甘くて辛くて酸っぱくてしょっぱくて、少しだけ苦い。そのような存在に、私はまだ出逢えたことがない故だろう。
強いて言うなら、それは母父さんに近しくて。
恣意て言うなれば、それは魔王様に遠からずで。
「ん? なんだ、どうしたユニバアシル?」
仰け反って背後を見上げれば、前髪の隙間から紅い眼が覗き返してきた。
そして何を勘違いしたか、魔王様は右腕を掲げて御神木の実を遠ざけると、代わりのように逆の掌でおかっぱ頭を撫でつける。
「まったく、エルザに似て意地汚いガキだなぁ。俺様の方がずっと身体がデカいんだから、おまえはそれで我慢しとけってーの」
「魔王様の配分に異論はない。私はこれだけで十分にお腹いっぱい」
「いや、それはそれでどうなんだ? ちゃんと食わないと大人になれねぇぞ」
自分から傍若無人しておいて、魔王様は身勝手に私の将来を心配していた。
とは言っても、魔王様の中では決して破綻していない論理なのだろう。私はさもありなんと魔王様の愛撫を受け入れると、昇る太陽に顔を戻した。
「アガッ?! んだよ、これは!?」
そんな私の後頭部で、ガキン!と鉱物みたいな音色が鳴り響く。
直後に足元へと吐き出されてきた物体に視線を落とせば、それは魔王様の唾液に塗れた黒い小石で。
「これは……御神木の種子?」
ちょっとバッチくはあったが、鉱石が如きその小石を指で摘まんだ私は、魔王様とも共有するように朝焼けへ向かってそれを透かしてみる。
鋭い牙に挟まれてもなお砕けなかった球体は、ヌメヌメと妖しい輝きを放っていて。母父さんが語る“根源への扉”とはきっとこんな質感なのだろうと、私はつぶらな瞳をまばたかせて一人納得した。
「やめとけやめとけ。そんなの食えたもんじゃないぞ」
またしても勘違いした魔王様が、先達を気取るようにプラプラと手を振る。
対する私は誤解を解こうと息を吸い込み、しかし手の中で光る種を一寸見つめ直すと、喉から出掛かった言葉を飲み込んでそれを握り締めた。
「――大丈夫。これもちゃんと“食えたもん”に出来るから」
そこは私たち家族がよくピクニックに訪れる墓場だった。
どうして母父さんがピクニックの場所に墓場を選んでいるのかは、三歳児の私にはまだ理解の及ばない領域であったけど。この小丘から望む魔王城が絶景であることは、否定しようのない事実であった。
そんな、自分とは縁と所縁しかない勇者たちのお墓に手を合わせて冥福を祈ってから、そっぽを向いて気恥ずかしさを誤魔化していた魔王様へと振り返る。
「それじゃあ種を植えるから。魔王様、穴を掘るのを手伝って」
「おまえは本当に、俺様のことをなんだと思ってるんだ……?」
へえへえとくたびれた表情で肩を落とした魔王様は、諦めるように爪を伸ばして私が指し示した地面を掘り返し始めた。
魔素が滲むこの草原は、岩盤剥き出しの周辺地域と違って肥沃で土も柔らかい。
もちろん、それらを加味したとしても種子が芽吹く可能性は一割に満たないだろうが。可能性とはいつだって『やらなかった者たちの言い訳』でしかないのだと、私の読んできた歴史書は物語っていた。
「……そーゆーの、他で言わない方が良いぞ。エルザと同じで馬鹿だと思われる」
「問題ない。話す相手は選んでる」
三つ子の魂とて親の三つ編みを見て学んでいるのだと、私は魔王様の苦言に対して自信満々な真顔を返す。
そうこうしている間にも、魔王様の拳骨くらいの穴が掘られて。麦わら帽子に入れておいた堆肥を混ぜながら、御神木の種子に解した土を優しく被せた。
「しっかし、こんなことで本当にゴシンボクとやらが増えんのか?」
「食用となる果実には、動物を誘引して種蒔きを代行させる目的を持った物も少なくない。こうして実を付けている以上、御神木にも繁殖の意志があるに違いない」
正確には、御神木の実とはヒトを根源へと誘うための標なのだろう。
“真理”という果肉をエサに探求者を惹き込み、そして次なる新世界の苗床に堕とす。物語という食人植物が編み出した、残酷な繁殖機能。
オタクのお姉さんが「マンドラドのようだ」と畏怖していたけど。母父さんもそんな循環に巻き込まれた、憐れな犠牲者の一人だったのかもしれない。
「……そんなもんを育てちまって平気なのか?」
「危ないところに登らねば熟柿は食えぬ。リスクとダメージはイコールではない。大切なのは理由を知って正しく恐れること」
私たちにとっての“魔王様”と同じように。そんなセリフで解説を締めた私は、盛り上がった地面を両手でポンポンして均した。
解かっているのかいないのか、魔王様は腕を組んでその様を眺めていたが。ピクピクと耳を痙攣させると、誰かに呼ばれたように魔王城の方角へ顔を向ける。
「キュピィィイイイ☆」
「あっ、ピィちゃんだ」
魔王様の視線を追いかけようとしたところで、私の実兄である青い幼竜が膜翼をパタつかせて飛び込んできた。
彼は頭突きと変わらぬ勢いで魔王様の横顔に鱗を擦り付けてから、私の足元に着陸して脛の下で頬擦りを繰り返す。
「よく此処が分かったね。魔王様の匂いを追ってきたの?」
「キュアア!」
むしろ私の匂いを追ってきたんだと言わんばかりに、足と足の間から首を伸ばしたピィちゃんが誇らしげな鳴き声を挙げた。
そんな彼の逆鱗の位置をわしゃわしゃ撫でてあげていると、別に近づいてくる剣呑な気配を感じてもう一度魔王様の見つめる先を追いかける。
……ヘイ魔王様、よくもヒトの娘を散々ぱら連れ回してくれやがりましたね。
三つ編みをシームレスに“神化”させながらやって来たのは、ギリギリと奥歯を噛んで半眼を苛立たせた母父さんだった。
先日のネックレス事件など比較にならぬほどの怒気を滾らせた母父さんは、事と次第によってはラストバトルも止む無しと言った表情で魔王様を睨みつける。
「ようエルザ、出迎えご苦労さん。テメェの代わりに子守りをしてやってたんだから、せいぜい俺様に感謝しやがれよな」
シャラップ魔王様。今日という今日は、温厚な私でも流石にブチギレですよ。
二人してどこで何してたか、根掘り葉掘りギアッチョさせてもらいましょうか!
それは要約すると“私怨”と呼ぶ気がしたけど。なんとなく心に余裕を感じさせるイントネーションで、母父さんはぷんぷんと両の拳を握り締める。
まあ、この調子ならお腹が空く頃には仲直りしてることだろう。などと皮算用をしていると、ピィちゃんが退避を呼び掛けるように私の胸元へ抱きついてきた。
「キュイキュイ☆」
「そうだね。先にお城に帰ってようか」
慣性操作の魔法で軽くなっていても、それでもずっしりと重いピィちゃんの身体を抱き返しながら、私はトコトコと丘を下り始めた。
私たちが安全圏に出るのを待ちかねたように、後ろからは母父さんの怒号と魔王様の歓声と、世界を震撼させる大爆発が巻き上がって。
「―――――」
胸で甘えるピィちゃんに御神木の実と似た匂いを感じた私は、自分の直感から思考を逸らすために、大樹が震えるお墓の小丘を顧みた。
絶えることなく土砂と爆炎が噴き上げられる最中でも、私が植えた御神木の種は静かに穏やかに芽吹きの刻を待ちかねていて。
もし気が向くことがあれば、また魔王様にピクニックへと連れ出してもらおう。
愉しげに繰り広げられる二人の死闘を目で追いながら、ピィちゃんの鱗に頬を埋めた私はそんな戯言に口元を歪めていた。




