□小話2:ディアボロスフェア様との鍛錬
「うむ! なかなかどうして似合うではないか!!」
始まりは数日前。ディシオル遠征から帰還した魔王様によって、ついに満を持して『勇者育成計画』は発令された。
と言っても、当然ながら魔王様に何か具体的な展望があるわけもなく。
私とガルトライオ様で色々と検討した結果、とりあえず日課に『剣豪ディアボロスフェアからの個別指導』が追加される流れとなったのである。
もちろん、それ以外にも筋トレや栄養管理などの細々とした項目はあるのだが。
とにもかくにも、これからあの剣豪様にどれほど扱かれてしまうのやらと、私は戦々恐々とした心境で今日という日を迎えていた。
時刻はお腹も程良くこなれた昼下がり、場所は城の中庭にある噴水前で。
心地良い晩春の陽気に誘われて、私は欠伸を噛み噛みしながら半眼を瞬かせる。
その前には、頭に黒猫を乗せたディアボロスフェア様が立っていて。彼は興味深そうに私の格好を見回すと、頭を撫でつつ屈託ない微笑みを浮かべる。
「最初ミルーエから見せられたときは、また珍妙な衣装を編んだものだと呆気に取られてしまったが。やはり雄ゴブリンと女性とでは麗しさが違うな」
えっと、まあ、何と言いますか。
……褒められといてなんですが、たぶんコレ麗しいには程遠いと思いますよ?
現在の私は、ミルーエが拵えたピンク色のトレーニングウェアを着用していた。
彼女が語っていた解説の通りであれば、この生地には牛毛や馬毛とも違う、魔法で錬成した軽くて丈夫な繊維が使用されているとのことで。
メリヤス編みとかいう特殊な編み方も相まって、妙に身体にフィットする独特の質感を持った作業服と言えた。
たしかに、運動するのにもってこいの衣装だとは思うけれど。
しかし次から次へと、ミルーエたんはホントいろんな物を考えるよなあ。
『いや、そんなほのぼのとした感想で流していい代物じゃないだろ、そのオーバーテクノロジー! えっ、こういうのもオレっちがツッコミしなきゃダメなの?』
パチパチと。ディアボロスフェア様の真似をして背負われていた聖剣が、訳の分からないセリフと共にコミカルに柄頭を動かした。
私が舌打ち混じりに首を回すと、右肩の辺りからぴょっこり顔を出すように、聖剣の柄頭が半眼を見つめ返してくる。
……
魔王様の命令で、四六時中身に着ける羽目になってしまったこの聖剣。
腰に提げるのは日常生活の邪魔だということで、こちらもミルーエにお願いして特注の剣帯を作ってもらっていたのだけれど。
一見すると、黒い革製のベルトにしか見えないこの剣帯。鯉口の内部に磁石が仕込んであり、剣を抜きながら手首を捻ると、拘束部分がパカッと開放される構造になっているのである。
聖剣を収めるときも、鍔の動きだけで鞘が巻き付くようになっていて。扱いに若干の慣れは必要だが、剣術初心者の私にはとてもありがたい仕組みなのだ。
「元はと言えば、私がミルーエに頼んで設計してもらった物なのだがな。しかし、上手くキミ用に調整できているようで何よりだよ」
むしろ怖いくらい身体にジャストフィットしてるんですよねえ……
この服もそうだけど、あの娘はいつの間に採寸なんてしてたんだろう……
まるで肉体の一部のように馴染んでいるウェアや剣帯の着け心地に、私はどこか末恐ろしさを覚えながら己を抱き締めた。
そんな感情に反応した三つ編みが大きくうねり、先端と鯉口以外はほぼ全て剥き出しな聖剣にちょくちょくと引っ掛かる。
……おい聖剣、ところでこれって本当に大丈夫なんだよな?
動いた拍子に女の命を失うとか、ギャグだって笑えないぞ?
『だから大丈夫だって、スキルが働いてる限りは絶対に安全なんだよ。まったく、少しはオレっちの言葉も信用してくれよなあ?』
ジロリと敵意を込めて睨みつけると、聖剣も嘆息混じりに柄頭を細め返した。
――聖剣曰く、勇者の力を得た私は“スキル”を扱えるようになったらしい。
スキルとは何ぞや?魔法といったい何が違うねん?といった疑問に関しては、後日また別の機会であらためて説明することにして。
とにかく、このスキル“慈愛の加護(グレイシャス・グレイス)”のパッシブ効果は聖剣による自傷を禁じ、また望むなら指定した対象への物理攻撃すらスタン属性のダメージに変換してくれるらしかった。
……
…………
………………
えー、本日のセッションではキャラの持ち込みは御遠慮頂いてますのでー。
『TRPGコンベを荒らしてまわる困ったちゃんじゃないんですけど!? ……実際、ボードゲームの特殊技能みたいなもんだってことにしておいた方が、マスターたちには理解が早いんだろうけどさ』
理解が早まった分だけ常識は遠退いちゃったぞコンチクショウ。
まあ考えてみれば、剣がこうしてペラペラと喋ってる時点で、スキルが云々なんて遥かに超えたファンタジーではあるんだけどさ。
真面目な話、おまえってどうやって声を出してるんだ? 少なくともこの目玉っぽいところから音が出てる気はするんだけど……
『あ、ちょ、やめ?! そこは繊細なんだから突っつかないでくれよ!!』
瞳を指先でつんつん叩いてみると、聖剣は閉じたまぶたを必死に震わせた。
角膜の表面は磨いた水晶にも似た触感で。なんだか楽しくなってきた私は愉悦に頬を緩め、そこでディアボロスフェア様がパン!と手を鳴らす。
「よし、それではそろそろ鍛錬を始めるとしようかな!」
おっと、そう言えばそうだった。
すみません、よろしくお願いします。
当初の目的を忘れかけていた私は、聖剣弄りを止めて慌てて背筋を伸ばした。
対するディアボロスフェア様は特に気にした風もなく、我が子を見守る父親のような笑顔でうんうん頷き返してくる。
「今日は初日だし、まずは城の外周を軽く流してみようかな」
ああ、とうとう地獄のブートキャンプが幕を開けてしまうのか……
私知ってるんだぞ。こういうときに用いられる『軽く』って単語には、往々にして『死なない程度に』くらいの意図しか込められていないんだって。
「……?」
ブツブツと愚痴っている私に疑問符を浮かべながらも、ディアボロスフェア様は踵を返して正門がある方角へ向かって歩き始めた。
彼の頭上では、黒猫が尻尾を振って昼寝をしていて。私も三つ編みをダラリと揺らしつつ、彼と一緒に中庭を抜けて城門前の広場へ移動する。
トコトコトコ。
トコトコトコトコと。
魔族からの奇異の視線を受け流し、私たちは城壁に沿うように歩き続ける。
ポカポカと穏やかな陽の光を浴びて、ときおり各施設の観光案内も交えながら。城内を一周してしまったところで、私はようやくおそるおそる手を掲げた。
……そのー、ディアボロスフェア様?
……それで心臓破りのスプリントはいつ頃開催されるのでしょうか?
「すぷりんと? 何の話か分からんが、私はキミの心臓を破るつもりなどないぞ」
兵舎の脇に備えつけられているベンチへ腰掛けたディアボロスフェア様は、私を誘うように隣の席をぽんぽんと叩いた。
私は狐に抓まれた顔で半眼を瞬かせ、ひとまず彼と一緒に足を休める(べつに疲れるほど運動してもいないのだけど)。
失礼を承知で告白しますと、正直拍子抜けと申しますか。
てっきり今日は、まずは基礎体力を付けねばな!とか言われて鬼のような筋トレをやらされるものと覚悟しておりましたので。
「エルザ殿が望むなら、それもやぶさかでないが。しかし、キミはそもそも体を動かすこと自体があまり趣味でない様子だったからな。まずは運動の楽しさを知るところから始めるべきだと考えたのだ」
スポーツインストラクターみたいな爽やかな微笑みを浮かべて、ディアボロスフェア様はそんな温かい返答を返してきた。
そして思わずキュンとトキメク私から視線を逸らすと、何処からともなく重箱を取り出してゴソゴソと包みを解き始める。
「魔王様も、まさか本気でエルザ殿と刃を交えたいわけではあるまい。あれはキミとじゃれ合うための方便だと、私はそう捉えているのだ。だからキミも、城での鬱屈した生活の息抜きとして、この時間を活用してくれればいいのではないかな」
ディアボロスフェア様……
強く朗らかなだけでなく、心の底ではとても優しく思慮深い魔族なのだと。諭すようにはにかんでいる彼の姿に、私は幼少期に厄介になっていた村長さん宅の若婿の笑顔を思い出していた。
そうして遠い郷愁に想いを馳せる中、ディアボロスフェア様は開けた重箱をそっとこちらに差し出してくる。
膝上からはみ出るサイズの重箱には、それはもう大量の具材が挟まった超肉厚サンドイッチが、これでもかっと押し詰められていて。
「ときに、食事が食べきれないと嘆いていただろう? 一度に大量に摂取するのではなく、時間をおいて小分けにすればエルザ殿の負担も減るのではないかと考えてな。ディゼル殿やエリー殿と相談した結果、鍛錬の際に間食を摂ってもらえばどうかという話になったのだ」
ディアボロスフェア様ぁ……
悪意の欠片もなく、朗らかにソレを勧めてくるディアボロスフェア様に、私はハイライトの消えた涙目で微笑みを浮かべた。
聖剣も肩越しに中身を覗くと、その蛋白質の塊にうげっと瞳を引き攣らせる。
『薄い食パンに鶏ささみにアンチョビに玉子にトマトにアボガド、付け合わせにレモンの甘酢漬け。……彩りキレイでかなり美味しそうではあるけど、具材の組み合わせは完全にプロテインだな』
わりと忘れられてるかもだけど、私まだ14才なんですけど……
これでも思春期真っ只中の多感な乙女なんですけど……
『これまで散々ヨゴレな振る舞いしておいて、いまさら乙女を名乗るのはさすがにおこがましいと思うぞ。それを抜きにしても乙女ってガラか?』
やだ……この聖剣本気で破断したい……
殺意の波動に身を焦がしながら、引き抜いたサンドイッチを一切れ頬張って。
その直後、味蕾に広がっていく肉汁と味わいに私の半眼がクワッと見開かれる。
「……どうしたのだ、エルザ殿? もしかしてキミの口には合わなかったかな?」
違うんです! ウマいんです、ちゃんと美味しいんですよ!!
やや塩味が強くはありますが、素材の味わい100%な城の料理と比べてしっかり調味料の味がします!
具も表面だけ煤焦げて中は生焼けなんてこともなく、しっとり上品に火が通っていて。ただの溶けた脂身ではない本物の肉汁が感じられるのですよ!!
『なあマスター、それって本当に美味しくて驚いてるのか?』
「ふむ、上手に出来ているのなら何よりだよ。なにぶん私も、エリー殿に言われるままに具材を煮込んで塩を足しただけだったからな」
フォウリー様に? ってかディアボロスフェア様の手作りなのですかよ、コレ。
勢い余って二切れ目まで平らげてしまってから、私は口元を拭いつつディアボロスフェア様に半眼を向けた。
入れ替わりに彼の頭から降りてきた黒猫が重箱をついばみ、ディアボロスフェア様も若干照れた表情で後頭部を叩く。
「私もヒュームのことは門外漢だったからな。エリー殿に無理を言って、少しでも人の身体に良さそうな料理を考えてもらったのさ」
『なるほど。栄養価満点のプロテインを製作しようと思ったら、結果として人間の舌に合うファーストフードが生まれたってわけだ』
そう聞くとなんか嫌な奇跡だなあ……
黒猫から奪い取った三つ目のサンドイッチを噛み締めながら、私は聖剣の呟きに半眼を細めた。
その意地汚さを咎めるように、聖剣もやれやれと柄頭を細める。
『おいマスター。さっきの昼飯もまだ消化しきれてないってのに、そんなガツガツ飲み込んだらリバースしちまうぞ?』
聖剣の忠告に答えることなく、私はうめ うめ うめとサンドイッチを平らげて、
その様を微笑ましげに眺めていたディアボロスフェア様は、それこそ我が子を見守る父親のように優しく顎を撫でる。
「そこまで気に入ってもらえたのであれば、これからも毎日準備して来るとしようかな。その方が、キミも鍛錬に参加する動機付けになるだろう?」
マジで!? おかわりもいいの!?
エルザがんばる! ディアボロスフェア様との鍛錬、一生懸命頑張ります!!
『――やっぱりマスターに乙女は無理だよなあ』
黙れ、塩水に漬け込むぞ。




