□私が勇者になった理由
かくかくしかじかございまして、気がつけば空は夕陽に染まっていた。
なんだか今日はどっと疲れる一日だったと。喧騒の続く城から北の空き地に逃げてきた私は、魔王様が蹴散らした宝物殿の瓦礫に腰を下ろした。
いったいどうやってこの残骸共を片付けるのやらと、組んだ脚に頬杖を突いて。
そのまま溜息混じりに前方へ半眼を向ければ、そこにはバルコニーから放り投げたときのまま、誰に心配されるでもなく放置されていた聖剣の姿があった。
『………………』
………………
気配に気づいた聖剣は、ジトッと柄頭を開いてこちらを見つめるが。しかし自ら言葉を発することはなく、ただ物言いたげな瞳で私を見上げていた。
やがてその視線に根負けした私は、仕方なさげに肩を落として重い唇を動かす。
ええっと、その、なんだ。
……最初にアンタ、私に向かってなんて言ってたっけか?
『オレっちのマスター、だよ。――おめでとう、君は聖剣に認められたのだ』
謹んで辞退させていただきます。
茶化すように王様口調で語り出した聖剣に、私はドン引き顔で身を捩った。
やってて自分でも恥ずかしかったのか(じゃあ初めからやるなよ)、聖剣はえほんと咳払いすると一転して真面目に柄頭を細める。
『生憎と、事はそう単純な話じゃ済まなくてね。オレっちがこうして“オレっち”として目覚めた以上、マスターには是が非でも世界を救ってもらわにゃ困るんだ』
いや、ちょっと握ったくらいで買取対応とか暴利にも程があんだろうが!?
今さらクーリングオフさせろとまでは言わないけれど、そんな不可逆な契約なんだったら、せめて事前に書面にて確認を取るのが筋ってもんじゃないのか?!
『なにこのオレっちのマスター。年頃の娘のクセして、伝説の聖剣にド正論で殴りかかってくるんですけど……?』
うがーっと牙を剥いて叫ぶ私に、聖剣は冷や汗を垂らして瞳を引き攣らせた。
一方の私は「伝説だからってお高くとまってんじゃねえぞ!」とイキリ散らかしながら、三つ編みを振り回した勢いで立ち上がる。
私はね、冒険者でもなければ王家の血を引いてるわけでもないの。たかが村娘にして家事手伝い、またの名を魔王様のペットに過ぎないんだから。
ゴブリン小僧の面倒を見るのですら四苦八苦してるってのに、勇者だの宿命だの言われても手に負えるわけないでしょうが。
だいたい勇者になったところで、いったい私に何のメリットがあるのさ。
この衣食住が確約された悠々自適のペットライフに見合うだけの人生を、まさかアンタが提供してくれるとでも言うのかい?
――以上。あらゆる観点から鑑みても、私は勇者にジョブチェンジするつもりなんて毛頭ございません。
あの塔の中でも言ったけど、今回は選んだマスターが悪かったと思って、アンタはまた百年後くらいにリトライしやがりなさい!
やれやれとうんざりした表情で拒絶の言葉をまくし立てた私は、顔面が爆ぜたみたいにポッカリ大穴の空いてしまった宝物殿を指差した。
それに釣られて上空に瞳を向けていた聖剣は、私の長文を噛み締めるようにゆっくりとこちらへ視線を戻す。
『どうしてマスターが魔王のペットなんてやってるのか、オレっちにはちっとも状況が飲み込めないんだけどさ。マスターは本当にそれでいいのかよ?』
何度も同じことを言わせないでちょうだい。
私は今のこの生活にとても満足していて、わざわざ現状を打破したいだなんて微塵も考えていないんだよ。
アンタがどれだけコーショーな存在なのか知らないけどさ。世界を救うなんて大それた御題目に、いちいち一介の小娘を巻き込むんじゃねえっつーの。
『でも、あの魔王はエクスの仇じゃないか』
驚くな。
半眼を崩すな。
あたり前の顔をし続けろ。
この聖剣に意思があるというのなら、エクスとの関係を――あの夜の出来事を知っていたって何の不思議もないではないか。
『……すまない。今の言い方は、オレっちデリカシーに欠けてたよ』
表情に出てしまったのか、揺れる三つ編みを読み取られてしまったのか。聖剣はすぐに前言を撤回すると、頭を下げるようにまぶたを閉じた。
そんな聖剣を横目に見た私は、苛立たしげな嘆息と共に腰に手を添える。
……そもそもだ、なんでおまえはあたり前のように喋ってるんだよ。
……エクスは“スキル”については話していても、聖剣に目玉が付いてるなんて話題にはこれっぽっちも触れてなかったぞ。
エクスが私に嘘を吐いたり、隠し事をしていたとは到底考えにくい。
包み隠さずに互いの全てを曝け出すと言うのが私たちが交わした“約束”であり、絶対の契約条件だったのだから。
だとしたらコイツは何者なのだと私は訝しみ、
聖剣はあらためて柄頭を開くと、説明しにくそうに瞳をしかめる。
『それに関しては、まずオレっちとマスターの間で根本的な行き違いがあってだなぁ。――オレっちはこの聖剣を依り代に顕現した、異世界からの使者なんだよ』
……
…………
………………はい?
『うん、まあそういう宇宙猫みたいな顔になりますよね。……だからとりあえず、今のところは“聖剣”とだけ自己紹介させてくれよ』
時機を見てちゃんと詳しく説明してやるからさと、聖剣は投げやりな感じでその話題を打ち切った。
対して、遅ればせながら地上に帰還した私は「いやいやおまえはこれから再封印してもらうんだよ!」と全力で聖剣に食って掛かる。
「――おいエルザ! ったく、こんな場所にいやがったのか!!」
そんな私の足を引っ張るように、聞き慣れた粗暴な笑い声がセリフを遮った。
半眼を向ければ、四天王を引き連れた魔王様がドカドカと歩み寄ってきて。舌打ちを堪えて姿勢を正す私に、ガルトライオ様が嘆息しながらモノクルを弄る。
「まったく、貴様という人間は本当にどこまで自由人なのだ。先刻まで命を狙われていたという自覚はあるのか?」
ただでさえ短い人生、命を狙われた程度でわざわざ行く道引いてられますかよ。
……それで、皆さんお揃いでどうされたのですか?
『その漢らしさで“一介の小娘”を自称するのはどうかなって聖剣は思うの』
「我々はこれよりディシオルに向けて再出発する。……その前におまえに話したいことがあると、魔王様たっての希望でな」
背後でボヤいている聖剣に何か同調するところがあったのか、ガルトライオ様は首を振りつつしつこく溜息を繰り返した。
一方の私は、いったい何の話だろうかと思うより先に、まばたきしながらカラス飛び交う赤い空へと半眼を向ける。
え、こんな時間に出発するのですか?
もう日も落ちそうですし、今日は諦めて明日また出直されては?
「道中に部隊を待機させているのでな、そういうわけにもいかんのだよ。ポータルは繋いでいるし、今からでも十分日程を挽回できるだろうさ」
ガルトライオ様は胸元から懐中時計を取り出すと、時刻を確認してからパタンと格好良くフタを閉じた。
その実に型に嵌まった振る舞いに、さすが軍師様は時計を眺めるだけでも様になるものだと感嘆の息を漏らす。
「……」
ん? どうしました、フォウリー様?
そんなジッとこちらを見つめて、私の顔に何かついてますか?
「べつに、いつ見ても醜いボウフラだと思っただけよ」
私への暴言に戸惑いがなさすぎやしませんか?
すかさず歯軋りを返してくるフォウリー様に、ゴフッと精神力を吐血して。
まあいいやと気を取り直した私は、呆れ顔で時計をしまっていたガルトライオ様へと視線を戻す。
ところで、先ほどさらりと出てきた『ポータル』とは何のことですか?
「“瞬間移動の扉(テレポーテーション・ポータル)”。任意の地点に魔法陣を刻むことで後からポータルを繋げることができる、ディレイマジックの一種だな」
はぐらかすのも面倒だと思ったのか、ガルトライオ様はキョトンと首を傾げる私に魔法陣を浮かべて説明してくれた。
宝物殿から魔王様が飛び出てきたのはそういう仕組みだったのかと、私は手槌を叩いて。そこで隣に回り込んだミルーエが、バサリと翼を羽ばたかせる。
「これぞ奥の手というやつですよぉ~。まあ距離や通過できる質量に制限がありますのでぇ~クソ蛇野郎では魔王様を移動させるので精一杯でしょうがねぇ~♪」
自分なら一団全員を運べるぞと言いたげに、ミルーエはえへんと胸を張った。
ガルトライオ様は眉間にシワを寄せていたが。結局彼女に反論することなく、気まずげに明後日の方角へと蛇眼を逸らす。
もしかしてとは思ってたけどさあ……
キミたちって、途轍もなく仲が悪かったりするの……?
「えへへぇ~♪」
「……そんなことより、コレはどうするんだよ、エルザ?」
そうやって現実逃避していた私を諫めるように、魔王様が聖剣を拾い上げた。
同時に四天王らの表情も鋭くなって、私はうぐっと言葉を詰まらせる。
やめてください。皆さんそんな目で私を見ないでください。
私は勇者になるつもりなんてありませんし、ましてや魔王様に歯向かうつもりなんて一切ないのですから。わざわざ言わなくなって分かるじゃないですか、お願いですから分かってくださいよ。
何故だか愛の告白でもさせられているような気分になって、私は赤らんだ顔を手の平で隠しつつ、苦虫を噛み潰したみたいに呻いた。
それを聞いたミルーエはなんだか不満気に頬を膨らませ、ガルトライオ様も面倒臭そうに息を吐いて魔王様の下へと歩み寄る。
「分かる分からないではなく、貴様自身の口からそれを宣言することが重要なのだよ。それでは魔王様、その聖剣は私が再度封印を――」
「おらよエルザ、受け取りな」
「……はい?」
……はい?
ガルトライオ様を無視して放り投げられた聖剣を、私は反射的に受け止めた。
そして、円らな瞳で呆けている柄頭としばらく見つめ合ってから、口元を奮わせて魔王様へと半眼を戻す。
「せっかくおまえが聖剣に選ばれたんだろ? だったら封印なんてシケたこと言ってないで、そいつはそのままおまえが持ってろよ」
ヘイ魔王様、ジャスタモーメン。
そんな『昔の木刀が出てきたからおまえにやるわ』みたいなノリで何を――
「実際どうなんだ、聖剣? おまえが力を貸せば、この小動物もあの勇者みたいにスッゲー強くなったりするのか?」
『えっと、いや、その。オレっちとの接続自体はもう済んでるから、後はマスターのセンスと鍛錬次第としか言えないけど……』
黙れ聖剣! 貴様にこの私の不幸が癒せるのか?!
じゃなくて、早まらないでください魔王様。どうか冷静に落ち着いて、なぜ今日クーデターが起きてしまったのか思い出してみましょう。
失敗は決して過ちではなく、繰り返すことこそが過ちなのです。
ってか、他にケンカできる相手がいないからってペットに聖剣を握らせるとか、控えめに言っても頭がおかしいですからね?!
聖剣を胸に抱いた私は、必死に身を乗り出しつつ唾を撒き散らしたけれど。
しかし魔王様はそんな私を残酷に見下すと、愉悦に頬を歪めて紅い目を細める。
「いいや決めたぞ、おまえは新しい勇者としてこの俺様がみっちりと鍛えてやる。だから聖剣、思う存分そいつに力を貸しやがれ」
まおーーーさまーーー!!?
目に涙すら浮かべながら絶叫しても、魔王様の決意が揺らぐ様子は見えず。
私は三つ編みを振り乱して四天王の面々を見回したが、こんな楽しそうに嘲笑う魔王様を引き留めることのできる魔族が、四天王など務めているはずもなかった。
「よーし、そうと決まればつまんねー仕事なんてとっとと終わらせて来ようぜ、ディゼル!! っと、そうだミルーエ、とりあえず今日からこいつには三倍メシを食わせておけよ!?」
「……エルザ殿、そう気負うことはないぞ。鍛錬も慣れれば心地良いものさ」
「……せめてもの情けだ。訓練メニューの内容は私が考えてやろう」
「……エルザ様ぁ~ファイトですよぉ~♪」
「……ギリィ(憐憫の眼差し)」
などと四天王が口々に私を憐れんだ後、ガルトライオ様は手近な空間に赤く輝く“瞬間移動の扉”を生み出した。
そして彼に促されるまま踵を返した魔王様は、散歩に出かける子犬のように尻尾を揺らしながら、その光の向こう側へと踏み込んでいく。
……魔王様ぁー!!
往生際悪く悪足掻きするように、私はそんな魔王様に駆け寄り声を張り上げた。
もう半分以上身体が埋もれていた魔王様は、肩越しにこちらを振り返ってニヤニヤとこちらを嘲笑っていて。
これって実は『お願い』なんですよね!?
嫌がる私を優しく諭すように、頼むからどうかやってはくれないだろうかって『お願い』しているだけなんですよね?! そうですよねえ!!
「何を言ってるんだよ、おまえは。そんなの当然『命令』に決まってるだろうが」
……そ……そんなあ。
最後の手段とばかりに持ち出した懇願すらも、魔王様は躊躇なく無下に払った。
そして私が絶望の淵へと沈むようにヨロヨロ崩れ落ちると、心底愉快げに喉を鳴らしながらプラプラと手を振り回す。
「どうしたエルザ、いつものアレは言わないのかー?」
……そ、それが。
……それが魔王様のご命令ならば、仕方ありません!!!
アホーアホーとカラスが飛び去っていく中。
やけっぱちになりながら叫んだその宣言は、黄昏時の魔王城にいつまでもどこまでも響き渡っていたのだと言う。




