□正しい聖剣の遣い方(前編)
「グレス・ド・ウォルカー大隊長は先代魔王の腹心だった御方ですぅ~」
中庭の噴水傍に備えつけられたマンホールの蓋を押し開けながら。注意深く外の様子を見回していたミルーエは、梯子に掴まった状態で何とかスカートの中を照らせないかと奮闘していた私の頭を優しく踏んづけた。
このまま十数メートル下まで蹴り落とされたらさすがに死に兼ねないと判断した私は、絶景を諦めて三つ編みを動かす。
先代魔王って、百年前に昔の勇者に討伐された伝説上の大魔王のこと?
教会のプロパガンダじゃなくてちゃんと実在してたんだと言うか。むしろその腹心が今も現役とか、ウォルカーさんとやらはエルフェン並みに長寿な魔族だねえ。
「リザドン族の寿命は個体差が激しいのですぅ~。場合によってはぁ~それこそエルフェンのように数百年も生きたりするそうですよぉ~?」
素早く地上に登りきったミルーエは、カビで汚れた翼をブルブルと振動させながら私に手を差し出した。
そうして顔を出した私もずいぶんと久方振りの新鮮な空気を口にすると、火を消したランタンを噴水の影にそっと放置する。
リザドン族というのは、リザりんくんみたいなトカゲ人間のことだよね。
リザドンの体質も爬虫類的なのだとしたら、ウォルカーさんってもしかして魔王様みたいに巨漢でベラボウに強かったりするの?
「いくら外様に追いやられたとは言ってもぉ~戦士長を任されているぐらいですからねぇ~。魔王様の軍門に下る際にはぁ~四天王の座を巡ってディアボロ様と互角以上に競り合ったそうですよぉ~」
……なんだかイヤな情報ばかり増えていくなあ。
かつて大魔王の腹心だった豪傑が、今や落ちぶれ四天王からも外されて、おまけに国境線の駐屯地で窓際族。そんな下剋上のトリプル役満をツモられたら、そりゃあウォルカーさんもキレて反体制派に染まろうってもんですよ。
噴水の縁に身を隠しながら、屈強なるウォルカーさんの全体像を想像した私は、やれやれと深い溜息を吐いた。
片やマンホールの蓋を静かに閉じていたミルーエは、私の隣にやって来ると、ジトッとした目付きで尖った耳をピクピク動かす。
「冷静に状況を把握できるのは良いことですけどぉ~仮にも自分の命を狙っている相手に“さん”を付けるのはどうかと思いますがぁ~?」
親しくないからこそ礼儀ありだよ、ミルーエたん。
むしろ、それほどの猛者がわざわざこんな村娘の命を狙って下さるんだ。こちらも最大限の敬意を払って、丁重にお断りさせて頂くのが筋ってもんでしょうよ。
「エルザ様は慇懃無礼という単語を御存じでしょうかぁ~♪」
えっへんと胸を反らして偉ぶる私に、ミルーエはニッコリ微笑みながらなんだかとても心外な返事を返してきた。
いろいろ反論したいところではあったが。今は痴話喧嘩をしている場合じゃないと(「痴話してないですよぉ~♪」)、私は気を取り直して話題を戻す。
しかし為魔を聞いてみると、今回は完全にガルトライオ様の采配ミスだなあ。
そんな人物に城の留守を任せたりしたら、こういう事態が起こりかねないってことくらい、あの智将様なら前もって予測できそうなものだけど……
私を始末するためにあえてウォルカーさんたち反体制派を泳がせてました、なーんて言わないよね?
「……あのクソ蛇なら満更ありえない話でもねぇかもな」
いやさすがにまさかねー☆とひとりごちて笑う私の脇で、ミルーエは忌々しげに片眉を吊り上げつつ奥歯を噛み締めていた。
都合良くそのセリフを聞き逃した私は「ほえ?」と疑問符を浮かべて。
ミルーエは何でもないと首を振ると、シレッと微笑みながらこちらに振り返る。
「そこは単純に司令のツメが甘かっただけではぁ~? エルザ様個人を襲撃するならともかくぅ~こんな大胆な騒ぎを起こすなんて普通は考えないですよぉ~」
たしかにミルーエの言う通りかもしれない。
自分が狙われることは考えても、こんなクーデター紛いの事件まで起こすなんて、私も想像だにしていなかったのだから。
しかし、それならそれで可能性の示唆くらいはしておいて欲しかったなあと、私はムッと頬を膨らませながら脳内のガルトライオ様を睨みつけた。
一方で、全てに合点が入ったような表情で肩を落としたミルーエは、あらためて居住まいを正して私に視線を向けてくる。
「それでこれからどうされるのですかぁ~? 城門は閉じられてしまったようですしぃ~、兵舎もメイド寮も研究棟もぉ~拠点になりそうな施設は全て押さえられちゃったみたいですよぉ~?」
ミルーエは噴水の影からぴょこっと顔を覗かせ、完全武装で威圧感を振り撒きながら中庭を通り過ぎていく兵隊らを見据えた。
耳を澄ませば、場内からもいまだ抵抗しようとする者とクーデター派らしき魔族が小競りあっている声が聞こえてきたが。
矢面に立っているのがあくまでも“人間許せない派”であるおかげか、互いに殺し合うような泥沼にはまだ陥っていないのが幸いと言えた。
「でしたらやはり私たちは身を隠すべきではぁ~? ファル様の発信を受けてすでに誰かが伝令を走らせているでしょうしぃ~、ここでエルザ様が動く必要なんてありませんよぉ~」
だけど、メイド長さんが今も無事である保障はない。
「…………」
単に魔法を封じられただけかもしれないけど。SNSなんてモノが使えると知った反体制派が、危険分子を優しくおもてなししてくれるとは到底思えない。
お尻を出した子一等賞中の魔王様に、伝令の早馬が追いつけるのかも微妙だし。メイド長さんだって魔王様たちにSNSが届かなかったからこそ、自らの身を挺してまで私たちの安全を優先してくれたんじゃないかな。
だったら、一刻も早く事態を収拾してメイド長さんを解放してあげないと。
他の誰でもなく、この私たちの手で。
「……はい」
いやせっかく身を挺してくれたんだからその安全を貫けよと。そんな無粋なツッコミを入れることもなく、ミルーエは神妙な表情で頷いてくれた。
私は彼女にニパッと感謝の笑顔を返し、ミルーエは恥ずかしがるように視線を逸らして翼を羽ばたかせる。
「と、ところで聖剣なんて手に入れて本当にどうするのですかぁ~? まさか反乱兵相手に大立ち回りでもするおつもりでぇ~?」
ああ、そう言えばまだちゃんと説明してあげてなかったね。
それなんだけど、私の目的は聖剣を手に入れること自体にはなくて――
「おい、いたぞー!! あそこだ、中庭の噴水のところだーーっ!!!」
指を立てて説明しようとした私の声を遮り、頭上で荒々しい叫びが響き渡った。
まばたきと共に半眼を向ければ、三階部分の窓から身を乗り出すようにして、全力で指差し確認をキメているゴブリンの姿が見えて。飛び降りるには高すぎると判断した彼は、地上へと何度も大声を張り上げていた。
やがてその騒ぎを聞きつけた先ほどの兵隊らが引き返し、それ以外にもバタバタと城の廊下を駆け回る足音が鳴り始める。
――ミルーエたん、ダッシュ!!!
ハッと我に返るのを待たずして、無意識のうちにミルーエの手を握り締めた私は、そのまま城内に向かって走り出していた。
アーチ状の柱を潜って城に飛び込んだところで、間一髪すれ違った武装集団が二度見三度見をしていたが。私は気にせず三つ編みを振り乱すと、北側の宝物殿を目指して廊下を爆走する。
ったく、最近運動不足なんだって言ってるだろうがコンチクショウ!!
ミルーエ、大丈夫?! こうなっちゃったら目的地に直行するからね!?
「わかりましたぁ~! ここはエルザ様を信じることにしますぅ~!」
うん、カワイイ(ホントありがとうね!)
二百メートルと走らぬうちに息が切れている不甲斐ない私とは対照的に、ミルーエは並走しながら腕を支えてくれた。
そんな彼女の手をギュッと握り返しながら、私は笑みすら浮かべて前方を睨む。
幸運にも進行方向からやって来る魔族の姿はなく、辿り着いた行き止まりで私たちは同時に窓枠を踏みきり、北の空き地へと飛び出した。
「逃がすな、追え追えーーー!!!」
着地に失敗してたたらを踏んでいると、後方からバッファローの群れを連想させる地響きが聞こえてきた。
その様子を顧みる勇気のない私は慌てて走りを再開し、前方で律儀に立ち止まってくれていたミルーエに苦笑を浮かべて謝罪する。
ホントごめんね、ミルーエたん。
偉そうなこと言っておいて、結局キミに頼って危険に晒しちゃってるんだから。
「わたしはエルザ様のお世話係なのですからぁ~。誰に何と言われようがぁ~ずっとご一緒させていただきますよぉ~だ♪」
うん、カワイイ(この戦いが終わったら結婚しようね☆)
滲んだ感涙を袖で拭った私は、三つ編みに気合を籠めて半眼を見上げた。
宝物殿はあと数歩というところにまで近づいていて。追手の放った弓矢に太腿を軽く抉られながら、私はそれでも嘲笑を崩さず右腕を突き出す。
よーし、それじゃあいってみましょうか! ――やっちゃえ、ミルーエたん!!
私のアバウトな指示出しに合わせて、ミルーエが力強く一歩を踏み出した。
そして翼を大きく広げて右手を握り締めると、彼女より二回りは大きかろうかという鉄門を目掛けて拳を振りかぶる。
「てえぇ~い!!」
そんな間の抜けた掛け声と共に、現実離れした勢いのパンチが繰り出された。
彼女の怪力が存分に込められた一撃は留め具ごと南京錠を粉砕し、さらに突き抜けた衝撃が蝶番まで破壊して、重い扉が明後日の方角へと跳ね飛ばされていく。
まさか物理的に扉を破壊できるとは予想していなかったのだろう。
次こそ脚を射貫いてやると矢をつがえていた追手すら、唖然と口を開けて放心してしまっていた。
……ヨシ!!
この娘だけは怒らせないように生きていこうと心に誓いながら、私はミルーエを追い越して塔の内部へ飛び込む。
そのままガムシャラに階段を駆け上がると、やがて最上階の扉が姿を現した。
私の心臓はもはや爆発寸前だったが。その場に倒れ込んで深呼吸したい気持ちをぐっとこらえて、木製の閂を床に投げ捨てる。
『………………』
あたり前のことながら。鎖に巻かれて台座に突き刺された聖剣は、その来訪者をただただ無言で出迎えていた。
私は荒い呼吸を必死に抑えつけると、次から次へと溢れてくる汗を拭いつつ、佇む聖剣に向かってニヒルに頬を吊り上げてみせる。
よう聖剣、まさかもう一度お目にするハメになるとは思わなかったぞ。
「……それでぇ~ここからその聖剣をどうするのですかぁ~?」
数歩遅れて私の後ろに追いついたミルーエも、だいぶ息を切らした表情で下階の様子を窺っていた。
追跡者たちは、互いを罵倒しあいながらも着実に私たちを追い詰めていて。残り数十秒も猶予がないと悟った私は、聖剣の前で仁王立ちする。
さて。ここまで来てしまえば、作戦の99%は成功したようなものだけど。
あとの1%は、私の予測が外れてしまっている可能性で。
あとの1%は、私が聖剣を引き抜くことを最後の最後に躊躇わないだけで。
『………………』
「エルザ様ぁ~?! 早くしないと追手が来てしまいますよぉ~!?」
ええい、こちとら魔王様のペットだぞ! あんな夢如きに、いちいち躊躇ってなどいられるかってんだ!
メイド長さんを、ミルーエを、そしてついでに魔王様を守るためなんだ!!
ミルーエに急かされながら覚悟を決めた私は、両手で柄を握ると同時に、銀の鎖を千切るようにして聖剣を台座から引き抜いた。
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