□魔王様は脳筋
「おまえってさぁ。周りから“馬鹿”と言われたことはないか?」
開口一番失礼だな、この魔王様は。
私はそう言ってぷくーっと不満げに頬を膨らませると、椅子に座っている自分の二倍以上の体格差がある狼男を睨みつけた。
場所は移動して魔王様の執務室。
こちらもかつての主人のソレより三倍は広く豪勢に見えたが、基本的な調度品の揃えは変わらない。
広い窓と接客用のソファに、脇にそびえる本棚ワイン棚。一番日当たりが良い場所を陣取っている執務机と、その前に立っている不機嫌な私。
そしてつまらなそうに書類を眺めていた魔王様は、私の返答に紅い目を細めると、狼顔から深々と溜息のようなものを漏らした。
漆黒でとても禍々しいのに、艶々していて抱きついたら気持ち良さそうな毛皮。犬のように突き出た顎とそこから覗く鋭い牙、あとなんか愛嬌ある長い舌。
頭蓋骨が完全に獣そのものでありながら、頬や目元の筋肉が細かく動いており、そこはかとなくだが人間でいう“表情”のようなものが読み取れた。
一方、魔王様の首から下は人間とほぼ同じ骨格だった。
衣類は何もまとっておらず、自前の毛並みでそれを誤魔化していて。指からは鋭い爪が伸びてゴツゴツと節ばっていたが、形は人に近くちゃんと五本ある。
足だけが若干獣のような逆関節状だったけれど、それでも違和感を感じるほど特異ではなかった(ちなみにアレって逆関節なんじゃなくてメッチャ頑張ってつま先立ちしてるだけなんだとか)。
あっ、あと尻尾はテストに出るくらい大事!
むしろこのモフモフ尻尾こそが本体と言っても過言ではないと思います!!
……えほん。
以上、簡単にまとめれば魔王様は典型的でステレオタイプな狼男ということだ。
「ったく、人の容姿を簡単にまとめるな。馬鹿にされた仕返しのつもりか? 典型的だかすてれおだか知らないが、これでも俺様は列記としたウルファンだ」
私の独り言に対して、魔王様は羊皮紙の束を机に投げながら文句を返した。
人間がヒュームとかエルフェンとかドワッチとか種族分けされているのと同様、魔族もその生態によって区分されているのだという。
魔王様のような狼男がウルファン。他にも大蛇に似たアダリン、人に翼が生えたハピオン、ハフリンの魔族版であるゴブリン(暴言)などなど。
そもそも、人間と魔族の違いとは体内で魔力を精製できるか否かだけだ。とかいう話を何かの本で読んだことがあったけれど。
まあ私もべつに厳密な定義を覚えているわけではないし、そこが今回の論点ではないので、ひとまず脇に置いておくとしよう。
「んでなんだっけか。俺様のことを日記に書いて、それを俺様に読ませたいから、なんでもいいから俺様のことを教えろだと?」
ザッツライト、その通り。
かくかくしかじかといった感じで、私の素晴らしい“一人遊びテクニック”の礎とするべく、魔王様の経歴をあることないこと根掘り葉掘りしたいわけです。
えっへんと自信満々に胸を張った私は、「遠慮なく褒めてもいいのよ?」とその貧乳に右手を添えた。
しかし魔王様は一向に私を称賛しようとせず、どころかむしろ精一杯蔑んだ感じに肩を落として溜息を吐く。
「……やっぱりおまえは馬鹿なんだな」
あーまた人のことをバカにしましたねー。
まったく、初めにバカと言い出した人間が一番のバカ者なのですよー。
「でも、言われたことはあるんだろ?」
……
魔王様に真顔で見つめられて。
さすがに己の心を騙すことに限界を感じた私は、しょぼーんと眉をしかめて、両手の人差し指をツンツン合わせる。
……バカじゃないもん。
……仮にバカだとしても、バカという名の乙女だもん。
「なんだそりゃ」
魔王様は椅子の背もたれに寄りかかると、背伸びと一緒に欠伸を伸ばした。
どうやら、嫌々ながら私の要望に応じる気になってくれたようで。
というか、魔王様が私の話に付き合ってくれることはこの部屋の扉を開ける前から織り込み済みだった。
“利害の一致”
執務室にいる。つまりは軟禁された状態で半強制的に仕事をさせられている魔王様が、逃避の手段を求めているのは必然。
そこに仮にもペットの私が顔を出し、仕事をサボるテイのいい言い訳になりそうな話題を持ち出せば、たとえそれが多少論理性に欠ける事柄であったとしても魔王様なら乗ってくる。
勇者と三日三晩殴り合った末に勝利を勝ち取った魔王様にとって。
勇者と真剣勝負がしたいがためだけに、人間の領土へと侵略して来やがったこの脳筋魔王様にとって、働くことは負けることと同義なのだ。
……同義どころか次元が相転移を起こしてる気もするけれど。
少なくともこの筋肉製の脳みそ様は、働いたら負けという概念を本気で信じているのである。
「それを面と向かって本人に言っちまうから、おまえは馬鹿なんだと思うぞ」
嘘を吐くのは嫌いです。
「あ、そう……」
魔王様は明後日に視線を逸らすと、面倒臭そうにボリボリ頭を掻いた。
ってか、私の優秀さ加減についてはこの際どうでもいいのです。
私はただ魔王様のことを隅々まで知りたいだけなんですから。
このまま勢い任せにゴリ押せば何とかなると直感した私は、巧妙に論点をズラしながらズビシッと魔王様の鼻先に指を突き出した。
寄り目でそれを見つめ返した魔王様は、どうしたもんかと視線を逸らす。
「しかし、俺のことを知りたいと言われてもなぁ。そんな漠然としたことを聞かれたところで、いったい何から話せばいいのやら」
お決まりなところだと、生まれた土地の話とか御両親の話とか?
私がそう突き出した指を立てると、魔王様は鼻息を吐いて目元をしかめる。
「んなもん知らねぇよ。物心ついたときには適当に狩りをして生き延びてたからな。生まれどころか親の顔も覚えてないぞ」
そもそもウルファンなんて皆そんなもんだと魔王様は答えた。
ふむ。私も大概サバサバした性格だと自覚しているが、魔族は、というか魔王様はそれ以上にサッバサバのようだ。
では魔王様が魔王になられた経緯とか、その強さの秘密だとか、そういう少年誌的に盛り上がりそうな話題ではどうでしょうか。
「さあ? 俺様は子供の頃から戦うのが大好きだったからな。喧嘩売ってきた奴らを片っ端からぶん殴ってたら、いつのまにか王様とか呼ばれてたぞ」
わあい、なちゅらるぼーんばーさーかーだあ。
えるざしってるよ、ばーさーかーってぎゃくからよむとばーかーさーになるの。
「いきなり知能低下すんなし。全然逆から読めてないじゃねえか。……強さの理由なんて考えたこともないな。鍛えて殴ってまた鍛える、それ以上になんかやれることってあんのか?」
魔王様はわりと律儀にツッコミを返してから、逆に質問するようにこちらを見つめてきた。
まさか素で返されると思わなかった私は、おいおいと三つ編みを弛緩させる。
脳みそ筋肉どころか、全身コレ脳みそな魔王様だったとは。こんな脳筋様に負けたとあっちゃあ、今は亡き勇者様も浮かばれまいて。
というか魔力があるから魔族という設定はどこにいったし。
「魔力ならないぞ」
……はい?
魔王様の返答に、私は半眼をまたたかせながら顔を戻した。
「俺様は生まれ持っての特異体質みたいでな。詳しい理屈は知らんが、エリーが言うには自力ではまったく魔力が生成できない体らしい」
まあ魔法なんて使いたいと思ったこともないが。
なんてケタケタと笑いながら、魔王様はその重そうな話題を一笑に付した。
……
人間にも魔法を使える者は存在する。
しかし、それは大気中に漂う魔力を操ることができるだけで、体内で魔力を生み出せる魔族の魔法とは雲泥の差だと言う。
それでも魔法は重宝されているし、魔法使いというだけで一国の重要なポストに就くこともできる。
彼のクソ領主も、ランクは低いが魔法使いを数人抱えていたくらいだ(火を起こす魔法がとても便利でした)。
そんな便利な魔法を使えることがあたり前の魔族の中でそれが一切使えないというのにそんなことをまったく気にしないなんてことがあるのだろうかこの魔王様に限ってはあるんだろうなぁ……
「人の気持ちを息継ぎなしで代弁した上に溜息吐くんじゃねぇよ」
半眼を逸らしながら三つ編みを揺らした私のことを、魔王様は肘置きに頬杖を突きながらジロリと睨んだ。
そうは言っても魔王様。
魔王様は子供の頃、魔法が使えないことで、おそらくは周囲から相当蔑まれてきたのではないですか?
「まぁその通りだな」
そして、馬鹿にしてきた連中を片っ端からぶん殴って、筋肉のパワーだけで黙らせてきたのですよね?
「まぁ、その通りだな」
続けて問いかけた私に向かって、魔王様はニヤリと頬を吊り上げほくそ笑んだ。
魔法を使えない無能力者が、魔法を凌駕する筋肉の力を見せつける。
なるほど。ただの脳筋であろうとも、魔族という土壌の中では立派なカリスマ足りえるというわけか。
私がフムフムと感心した様子で頷くと、魔王様は疑り深く顔を覗き込んできた。
「それって俺のことを誉めてんの? それとも貶してんの?」
そんなそんなまさかまさか。魔法も筋肉も持ち得ぬどころか一介の村娘にすぎないこの私が、魔王様を馬鹿にし蔑み貶めるなんてこと。
……あろうはずがございません。
「おいコラ。そのセリフ、もう一度俺様の目を見て言ってみやがれ。……ったく、嘘は嫌いだったんじゃなかったのかよ」
嘘を吐くのは嫌いです(嘘を吐かないとは言ってない)。
「あ、そう……」
キリッと半眼を輝かせながら背筋を伸ばした私に、魔王様は再び面倒臭そうな溜息を吐いた。
その狼顔を見分けることはまだ難しかったが、きっとこれが魔王様なりの“諦観の表情”というものなのだろう。
それはそれとして、それでは次の話題ですが――
「魔王様、こちらにいらっしゃいましたか?」
コンコンと部屋がノックされて、声だけで見目麗しい青年であることが想像できてしまうほどの美声が聞こえてきた。
それを耳にすると同時に、魔王様は投げていた書類を手に取り、私は素早く窓辺のカーテンの中に我が身を隠す。
「おうディゼルか。どうした、入れよ」
「申し訳ありません、失礼致します」
厳かに部屋の扉が開く音と共に、かしこまった美声が続いた。
その声はコツコツと靴音を鳴らして魔王様の机の前に移動する。
「てっきりサボっているかと思っていましたが。今日のところはきちんと働かれているようで何よりです」
「んだよテメェ、わざわざ俺のことを監視しに来やがったのか?」
「いえ、あのヒュームの姿が見えなかったので探しに来ただけです。もしかしたらこちらにお邪魔でもしているのではないかと」
カーテン越しに聞こえたその美声は、その丁寧な口調と裏腹に、明らかに剣呑で棘のある空気を滲ませ魔王様に問いかけていた。
対する魔王様も、これに負けじと悪態を吐くように嘆息する。
「エルザの奴なら飯の後から見てないし、テメェに押し付けられた仕事のせいで今はそんな暇ねぇよ」
「それは僥倖です。ようやく魔王様にも、皆を束ねる一国一城の主としての自覚が芽生えられたようですね」
「言ってろ」
魔王様と美声がそんな短い会話を交わすと、美声の方が「ではお邪魔しました」と来た道を引き返し始めた。
と。その足音が止まったかと思うと、突然短剣で抉り込んでくるような殺気が私の隠れているカーテンに注がれた。
カーテンの暗闇で実際の状況は分からないが、美声の主がこちらを凝視しているだろうことは間違いなくて。
……
「なんだディゼル、まだ何か俺様に言いたいことでもあんのか?」
「いえ、何でもありません」
美声の主がその美声を苦々しく磨り潰すと、足音が部屋を出て行った。
カーテンからおそるおそる顔を出した私は、額に噴き出した冷や汗を拭う。
「……ありゃあ完全にあいつにバレてたな」
魔王様に指摘されなくても分かる。
あの美声の主は室内の状況を正確に把握した上で、私たち両方に釘を刺すためにわざわざ登場してきたのだ。
むう、仕方がないけれどこれくらいが引き際か。
「――おいエルザ」
すごすごと部屋を出て行こうとしたところで、魔王様が呼び止めた。
なんだろうかと振り返ると、魔王様は口元をニヤリと歪めて紅い目を細める。
「こっちは自分のことを話したんだ。今度はちゃんとおまえの話も聞かせろよ?」
……それが魔王様のご命令ならば、仕方ありません。
私は三つ編みを揺らしてそう答えると、質実剛健な執務室の扉を開けた。




