後日談 シュシュとわんこのマーキング
「ねえ明日香さーん。機嫌直してよ」
「い や で す」
リビング(魔界)でテレビを観ながら、纏わりつく陸央と攻防戦の最中です。
当初は濡れた子犬みたいに目を潤ませてた陸央も、私が絆されないので開き直ったのか、おんぶお化けになってます。一人掛けのソファを挟んで背中からでろんと抱きつきながら、若干体重を掛けてくるのでうざったい。梅雨寒の季節だから肩が暖かいのは良いんだけど。暑いけど、半袖とかだとけっこう冷えちゃうので。それはさておき。
反省はどこいったのっ!
でも考えてみたら、陸央の濡れた子犬バージョンは最初からあざとさ全開でしたね。
「結局反省する気はないって事よね」
「だって仲直りはしたいけど、悪い事したなんて思ってないもん」
…………ほほう?
その言葉にカチンときて、最終兵器垂直飛びをお見舞いしました。
ソファに掛けたまま垂直飛び。私の頭上に顎を乗せていた陸央は、見事に舌を噛みました。こっちもたんこぶ出来たけどね。
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事の発端は、今日の終業時間まぎわ。
その日も私の髪型は、いつもの様に髪を左耳の横で一つに束ねたスタイル。シュシュを付け直そうと外して髪をまとめていたら、同僚で親友の麻理にシュシュを奪われた。漏れそうなのかと心配になる勢いで女子トイレまで連行されて、鏡の前で左耳を餃子の様に潰されました。
新手のスキンシップ? おまじない? 私最近の流行には疎いからな~……などと思っていたら。
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「キスマークは相手の了承を得てから付けなさい。やむを得ない場合は事後申告しなさいって教えたでしょう。このダメ犬鈴木めえっ!」
……ああ、思わず鈴木呼びに戻ってしまった。
ソファに座る私の前で、陸央に正座をさせてます。何かとっても既視感があるのですが。
奴は人の左耳の裏側、大きめのシュシュなら見えるか見えないかの位置に、鬱血痕を残しやがったのですよ。
「シュシュで隠れるギリギリの場所に付けたのに」
陸央は赤くなった顎を擦りながら、理不尽だと言いたげな顔をしてます。
「いえいえ、隠れるなら付けなくて良くない?」
「でもそれだとチラリズムが……」
「仕事中にチラリズムとかいらないよ! 私は女子トイレでブラックホールの発生を本気で願ったんだからね!?」
何が辛いって、会社に私生活を持ち込んだみたいになった所が辛い。幸い目撃者は麻理だけだったけど。
初めての恋愛と恋人。陸央とお付き合いが始まって、ちょうど二か月。名前呼びも漸く慣れてきて、かなり舞い上がってる自覚はしてます。
社会人として仕事だけはきっちり熟してきた。それは今まで積み上げてきた私の自信。
それを恋人が出来たからって理由で公私も分けられなくなったら、自分の事が嫌いになってしまうから。
「ごめんね。そんな顔させたい訳じゃなかったんだ」
今度は心のこもった声音で謝罪をしてくれました。
私も何とか自分の気持ちを伝えたい。
「その……ね、痕を付けられるのが嫌なんじゃないよ。ただお仕事の場ではちゃんと仕事に集中したいから」
誰かに見せる為じゃなく、それがある事を、お互いが知ってるだけで充分じゃない?
「うん」と言って、膝立ちの陸央は私の睫毛を食む。
少しだけ神経が高ぶって目が潤んでたから、瞬きの拍子に滴が一粒だけ零れる。それを追いかけて吸い取った陸央は、こういう時だけ夢魔本来の妖艶さを発揮する。
この雰囲気が実はまだまだ慣れなくて、思わず腰が行き止まりのソファに逃げそうになる。だからいつも意識して身体と心の緊張を解く。いつか構えないようになりたいっていうのが、最近の私の隠れ目標だったりします。
そんな私の遥か上にいる恋愛上級者? の夢魔さんは、良く出来ましたとばかりにぎゅっと抱きしめてくる。
暫くそのままじっとしていたら、独り言のように陸央がぼやいた。
「そうするとやっぱり、直接対決しかないのかなぁ」
「直接対決?」
「うん。経理課に半月前から研修で入った本社の斎藤っているでしょ」
「斎藤さん、仕事が出来て親切だし話しやすいし、良い人だよ?」
「うっわムカつく! べた褒め。俺の事ももっと褒めてくれていいのに」
「日頃の行いの違いですー。それで斎藤さんがどうしたの」
「だからさ、あの人ご同類なんだよね。……しかも縄張り違いの同族(夢魔)」
――はいい?
「聞いてないよ!?」
「流石に全部明日香さんに話す事も出来ないんだ。領土問題も絡むしねえ」
魔界にもそれなりに派閥があって、魔王様も数名いるそうです。そして陸央達と斎藤さんは別派閥に所属している。今回の件はちょっとしたニアミスらしいです。まあ経理課に魔界人はいないので、バッティングではないしね。
いるのは某夢魔さんの恋人……私だっ!
「だから心配で心配で。手を出しては来ないと思うけど、やっぱり主張はしておかないと! って思った訳ですよ、俺は」
「っふははっ」
「何でそこ笑うのっ。俺だって傷ついちゃうよ!?」
「だって陸央、斎藤さんは女性だよ? うちの課は女性の方が多いけど、それでも男性陣ほぼ全員が斎藤さんに夢中なんだよ」
例外は麻理の恋人川本さんくらい。最近双方の両親と顔合わせの食事会を開いたらしい。そろそろ結婚式のお呼ばれドレスの下見に行こうかなー。うみたんと一緒に行こう、うん。
――なんて、意識を飛ばしていた私は、魔界人という人種(?)を舐めていました。ごめんなさい。
「性別とか、夢魔はその辺あんまり気にしないから。気に入ったらどっちだろうと手に入れるのが当たり前で……」
「てことは、まさかの高橋×鈴木説復活!?」
神崎先輩が喜びそうです。
「ツッコむ所そこじゃないよね。俺は明日香さんに入れ込んでるのに伝わってない? …………そっかあ、もっと頑張るね」
胡散臭いくらいの眩しい笑顔の陸央。エア尻尾を振りながら黒いオーラを出すという芸当を見せてくれた彼に、キスマークの事後報告だけは欠かさないで下さいと、私は必死にお願いしました。
何だかとっても理不尽です!
お読みいただきありがとうございました。
七夕にアップしましたが、季節しか被っておりません。
以前書いたSSです。発掘(?)しました。