第二十七話 時の淵へ
翌日の、夜。
僕たちは、焔に告げられた場所――あの、古い神社の跡地に向かった。
崩れかけた、鳥居。苔むした、石段。かつて、灰村の「鍵」を阻んだ、あの霊地。けれど、今夜の空気は、あの時とは比べ物にならなかった。
あたり一面に、黒い瘴気が立ち込め、地の底から、ごう、ごう、と、何か巨大なものが目覚めるような、不気味な唸りが響いていた。
「これは……」鈴が、息をのんだ。「すごい瘴気。今までで、いちばん……」
『気をつけて、父さん』陽の声が、緊張していた。『もう、始まってる。燼が……時の淵を、開こうとしてる』
石段を降りた、その先。
霊地の最深部に、灰村燼が、いた。
彼は、独り。何本もの黒い楔に囲まれて、その中心で、目を閉じ、両腕を広げていた。彼の全身から、黒い灯が――いや、彼自身の、命の灯が、ごうごうと燃え上がり、地の底へと注ぎ込まれていく。
その足元に。
ぽっかりと、闇よりもなお深い、底の見えない――「淵」が、口を開けていた。
「燼!」僕は、叫んだ。「やめろ! そんなことをすれば、お前も――」
「来たか、燈本」燼は、目を閉じたまま言った。その声は、すでに、この世のものではないような、静けさを帯びていた。「もう、止まらぬ。私は、この命を燃やし尽くし、時の最果てへ降りる。始まりの灯へ。そして――燈本を、消す」
その燼の傍らに。
焔が、立っていた。
彼は、僕を見て、けれど、何も言わなかった。その左腕の鎖が、ぎりぎりと脈打ち、彼を縛りつけている。その瞳には、葛藤が渦巻いていた。
「焔」僕は、彼に呼びかけた。「お前、昨夜……僕に教えてくれた。父さんを、止めたいんだろう」
焔の唇が、震えた。
「……おれは」彼は、絞り出すように言った。「分からない。父上を、止めたいのか。父上の悲願を、遂げさせたいのか。――おれの心が、どこにあるのか。もう、分からないんだ」
鎖に縛られすぎて、彼は、自分の本当の想いさえ見失っていた。
「焔」燼の声が、響いた。「おまえは、ここで、燈本を食い止めよ。私が、淵を降りきるまで。――それが、おまえの、最後の役目だ」
その命令に、焔の鎖が、ぎらりと輝いた。彼の体が、操られるように、僕たちと、淵のあいだに立ちはだかる。
そして。
燼の体が、ゆっくりと、淵へと――沈みはじめた。
「させない!」僕は、叫び、駆けようとした。けれど、焔が、黒い炎を放ち、僕を阻む。
『父さん、燼が、淵に入った!』陽が、叫んだ。『追って! 今、追わないと……燼が、始まりの灯に辿り着いたら、もう、終わりだ!』
僕は、焔の炎をかいくぐり、淵の縁に立った。
底の見えない、闇。時の最果てへと続く淵。あそこに飛び込めば、僕も、ただでは済まない。継灯の力を。命を。大きく、削ることになる。
けれど。
僕は、振り返った。
「鈴。守屋さん」僕は、言った。「僕、燼を、追う。淵の底まで」
「灯真くん……っ」鈴が、不安げに僕を見た。
「大丈夫」僕は、笑って見せた。「一人じゃ、ない。父さんも、陽も、いる。三人で、行く。――鈴と、守屋さんは、ここで、入口を頼む。僕が、戻ってこられるように」
「……分かった」鈴は、唇を噛んで頷いた。「絶対、戻ってきてよ。約束、だからね」
「うむ」守屋さんも、頷いた。「ここは、わしらが死守する。――行け、灯真。燈本のすべてを、おまえに託す」
僕は、頷き、淵の縁に足をかけた。
胸の灯に、語りかける。過去の父へ。未来の息子へ。
「父さん。陽。――行くよ」
『ああ』『おう、父さん』
二つの声が、力強く応えた。
僕は、深く息を吸い。
そして――底の見えない、時の淵へと、身を投じた。
最後の戦いの、舞台へと。
闇が、僕を呑み込んでいった。




