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14 それってどうかと思います

 サイン済みの結婚誓約書を机に置くと、シグルスはアイリーンのいるソファのところへ再び戻って、こちらの隣に、どすん、と、腰を下ろした。


(言いたいことって、何かしら……?)


 シグルスのほうへ――いままさに書面上は夫となった人のほうへ――大きなエメラルドの眸を向ける。アイリーンはどきどきしながら、シグルスの次の言葉を待った。


「おまえは、俺以外の男に恋をしてもいいからな」


「……え?」


(なにそれ……どういうこと?)


「おまえの選ぶ男ならおもしろそうだし、なんなら、ふたりが一緒にいられるよう、俺が取り持ってやってもいい。だから、そういう男ができたら、隠さずに言え」


 真剣な声音でシグルスが言ってきたのは、アイリーンが思いも寄らない、そんなことだった。


 アイリーンは一拍ぽかんとする。


 その後で、なぜだか急にひどく腹が立ってきた。


(運命の王子様は、そんなこと言ったりしない……!)


「っ、そこは夫になった者として、おまえは俺に惚れろって言えないの……っ!?」


 アイリーンは目を怒らせて言った。


 その剣幕に、シグルスは一瞬、気圧(けお)されたように目を(またた)く。


「いや、しかしなあ、人には好みってものがあるだろう? こればかりは仕方がない。ちがうか?」


「っ、そんなの知らない! 必ず俺に惚れさせてやるぐらい言ってよ! この、意気地なし……っ!」


 アイリーンがエメラルドの眸にもっと怒りを浮かべて(ののし)ると、シグルスは心底驚いた顔をした。


 それから、あははは、と、隠すことなく明るい声を立てて笑う。


「今度は意気地なしときたか……おまえ、ほんと、いいな」


 けらけらと遠慮なく笑われて、アイリーンは、む、と、くちびるを尖らせた。自分でも子供っぽい態度を取っているとは思ったが、いまさら取り(つくろ)う気にはなれない。


 しばらくむくれていると、隣でシグルスが、ふう、と、息をついた。


 そういえば彼は、女同士の争いに関わるのなど面倒だから側妃はいらないと言っていた。拗ねてしまった妻の機嫌を取るのも、それと同じくらいの面倒事なのではないだろうか。それとも、これだから子供は、と、呆れられるかもしれない。


(陛下はお忙しいみたいなのに、私の個人的な感情に付き合わせている場合ではないわ)


 反省したアイリーンが、なんでもないの、と、そう言おうと思ったときだった。


 シグルスの手が伸びて来て、そっとアイリーンのプラチナブロンドを()いた。


「このピンクの薔薇、似合ってるよ……俺がおまえに選んだだけのことはある」


 耳許にくちびるを近づけて、シグルスはアイリーンに囁いた。


 そういえば忘れていたが、いまアイリーンは、シグルスのくれた薔薇を髪に挿したままなのだ。そのことを思い出し、また、耳に囁かれた言葉がくすぐったくもあって、アイリーンは気恥ずかしさに首をすくめた。


「いいか。以後、俺以外のやつから花なんかもらうんじゃないぞ、アイリーン。おまえの身を飾るのは、俺の贈った花だけだ。――まあ、どんな花も、お前の可憐さには負けるがな」


 そう言うと、今度は真っ赤に頬を染めたアイリーンの手を取って、ちいさな爪の先にそっとくちづけた。


「可愛い、俺のアイリーン……おまえには必ず俺に惚れてもらうよ。――惚れさせてやる」


 黒曜石の眸が、じっとアイリーンを見詰めた。


(なになに……急に何なの……?!)


 爪になんて感覚はないはずなのに、くすぐったくて、甘く痺れるみたいだ。アイリーンの胸は、とくとくとく、と、壊れてしまいそうなほど早く高く鼓動を鳴らしていら。


「――と……これで満足か?」


 芝居がかった調子から口調を戻したシグルスは、に、と、人の悪い笑みを浮かべた。


 またからかわれたのだと気付いたアイリーンは、もうっ、と、眉を吊り上げ、目を怒らせ、非難を込めてシグルスの胸を、ぽかり、ぽかり、と、叩く。


 シグルスは別にそれに対して(いきどお)るでもなく、ははは、と、おおらかに笑ってアイリーンのちいさなこぶしを受けとめていた。


「――意地悪な陛下に、もうひとつ、条件を言ってもいいですか」


 やがてアイリーンは、ふう、と、ひとつ息をつき、シグルスにそう言った。


「なんだ、意外と慾張りだな、おまえ。――まあいいが。今度は何だ?」


 シグルスは肩をすくめた。

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