幕間3 皇帝陛下の思惑
「皇、妃……私が……?」
アイリーンは衝撃に固まっている。どうやらこちらについて、護衛騎士などではない、と、気がついたらしい少女だったが、それでもまさかシグルスが彼女を皇妃にする気だとまでは読めなかったらしかった。
大きなエメラルドの眸がもっと大きく見開かれている。アイリーンが呆然としているのをいいことに、シグルスは――先程まで、騎士ジークフリートのふりをしていた男は――アイリーンの身体を、ひょい、と、横抱きに抱え上げてしまった。
「きゃあ……な、なにをするんですか!」
「俺の執務室へ行く。結婚誓約書はすでに準備してあるからな。後はおまえがサインすれば、俺たちはめでたく夫婦だ。おまえは俺の正妻、この国の皇妃になる」
「なっ……!」
言葉を失う相手は宝石みたいなエメラルドの眸を大きく瞠っている。まだ軽いちいさな身体も、ふっくらとしたまろみを残した頬も、それからこういう表情も、腕の中の少女がまだ幼い年齢だということをシグルスに感じさせた。
(たしかにまだ子供だ。だが、この娘は並の子供ではない)
シグルスははじめ、自分の正体を隠し遂せるつもりでいた。ナグワーン領にいた頃も、視察のため、身を窶して街へ下りることは多々あったし、気づかれないという自信はあったのだ。
だが、途中から、なんとなく隠す気が失せてしまった。気取られるならそれでもいいかと思ったし、気づいてくれればいいのに、と、どこか期待するような気分すら持っていた。おかしなものだ。
(だが、トレノエル領へ返せば、数年後には、こいつも普通の貴族令嬢みたくなるんだろう……適当な貴族と結婚して、良き妻、良き母になるような)
シグルスはアイリーンを抱えたままで宮殿へ向かってすたすたと歩きつつ、ふと、少女を見下ろした。エメラルドの眸が、その瞬間、き、と、シグルスを睨み据える。
「皇妃って、なによそれ……私の意思はどうなるのです?」
「ははっ、おかしなことを言う。だから一応、これからおまえ自身にサインさせてやろうと言ってるだろうが。それにおまえは、そもそも俺の皇妃候補として、トレノエル領から送られて来たんじゃないのか? ん?」
「それは……そうですが」
アイリーンは思慮深いようだが、同時に、子供ゆえにこその惧れ知らずな面を残している。そのことが、シグルスにはひどく好ましく思えていた。
「とにかく、俺はおまえを選んだ」
「きょ、拒否権は……?」
「さあ、どうかな」
はぐらかすように言って、喉を鳴らす頃には、シグルスはすでに宮殿の扉のところまで辿り着いている。そのまま廊下を突っ切り、自分がいま私的な執務室として使っている書斎へと向かった。
「――陛下」
扉を開けると、執務のために部屋にいた側近のグイドが、慌てたように駆け寄ってきた。
「陛下、これはいったい……?」
「バレた」
「まさか」
「まあ、半ばはバラしたとでも言うべきかな。――用意した結婚誓約書を出してくれるか」
「ああ、ええ、はい。――でも、よろしいんですか?」
側近は、ちら、と、アイリーンを見る。シグルスの腕に抱かれている少女が、その顔に戸惑いをいっぱいに浮かべているのが気になるのだろう。
「しばらくこれとふたりにしてくれ」
グイドが書類を机に準備し終えたのを確かめて、シグルスは、ふう、と、息をついいて言った。
「まさか……ここでご令嬢に手をお出しになる気じゃないでしょうね」
嫌がる相手を納得させるために既成事実でも作る気では、と、疑われ、シグルスは顔をしかめた。
「馬鹿め。この前からお前は、人を鬼畜生かなにかのように言うんじゃない。こんな子供を、無理に手籠めにするわけがないだろうが。話をするだけだ」
「ああ、よかった。――では、わたしはこれで」
胸を撫で下ろしたグイドが部屋を出て行こうとする。
「ああ、そうだグイド、さっき庭園に侵入者があった。とりあえずは始末したが、調べさせておいてくれ」
「承知しました」
「やはり警備体制は抜本的に見直さないと駄目だろうな」
「そうでしょうね。ですが、行き着くのは、圧倒的に人手が足りていないといういつもの問題でしょう? まずは仰っていたとおり、官吏と兵卒の登用制度の枠組みからですか」
ふう、と、側近は溜め息をついた。
「ああ、陛下、言い忘れるところでした。皇妃選定についての詔書は、明日の朝議で公に出来るよう、準備は整っておりますので。――では」
そう言って今度こそグイドが部屋を後にし、書斎にふたりきりになったところで、シグルスはようやくアイリーンを下ろしてやった。
「なにか、言いたげだな」
無言でこちらを見据えるエメラルドの眸を前に、ちら、と、頬に苦笑を浮かべる。
「言いたいことがあるんなら、聴こうじゃないか」
シグルスはアイリーンをソファに掛けさせると、自分は窓辺に立って、アイリーンのほうを振り返って言った。




