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11 貴方はほんとはどなたですか

 あなたは誰なのかというアイリーンの問いに対し、ジークフリートは黙したまま肩をすくめるばかりで、すぐには答えをくれなかった。


 アイリーンはエメラルドの眸でじっと相手を見据えていたが、彼は気にするふうもなく、なぜか無造作にジュエリーシュガープラムの木の枝へと手を伸ばしている。真昼の陽射しに(あか)く輝く実にふれた節ばった指は、そのまま、ぷちん、と、その実をひとつを()いでみせた。


 ジュエリーシュガープロムのつける実は、ひと口大の大きさだ。皮を剥くと、半透明に透き通った薄い黄緑色の、瑞々しい果肉があらわになる。ジークフリートはそれを、何を気にするふうもなく口に放り入れると、咀嚼(そしゃく)し、最後に、ふ、と、(たね)()き出した。


 先程、レオンハルトはレイチェルが木の実に手を伸ばすのを慌てて止めていた。けれどいま、目の前の男は、それを無頓着に食べてみせた。


 その、意味すること。


「……いいんですか……“陛下の庭園”の木、なのでしょう?」


 アイリーンは、慎重に相手の様子をうかがいながら問う。少なくとも、皇帝の信頼厚い騎士が取る行動ではなかった。


 ジークフリートはまた、くすん、と、肩をすくめた。


(他の人の目がないから、とか、そういうことじゃないんだわ……たぶん)


 奇妙な確信が、アイリーンの胸に湧いている。


(この人はきっと、そうしてもいい人なんだ……この皇宮内において、誰も、この人を(とが)めることはできない)


「かまわないさ」


 案の定、ジークフリートは事も無げにそう答えた。


「なぜ、ですか? ……ジークフリート、さま」


 アイリーンは試すようにそう口にしたが、その理由が――たしかな証拠などはないながらも――わかっているからこそ、その口調は、自然、丁重なそれに変わっている。


 そして、アイリーンがすでに気がついていることに、相手も気付いているのだろう。ジークフリートはつやめく黒曜石の眸を意味深に(すが)めてみせた。


「おまえにも、ひとつやろうか」


 そう言って口角を持ち上げると、相手は再びジュエリーシュガープラムの木に手を伸ばした。またしても無造作に枝から実を()ぐと、それとはうらはらの丁寧な手つきで皮を剥き、果肉をふたつに割って、器用に種を取り出した。


 果汁滴る木の実は、そのまま、アイリーンの口許に差し出される。


(食べろって、こと、よね……?)


 つややかに深い色の黒曜石みたいな眸に見据えられていると、なぜか、逆らえない。アイリーンは目の前にあるジークフリートの右手にそっと自分の両手を添えるようにして、彼のつまんでいるジュエリーシュガープロムの実にくちびるを寄せた。


 おずおずと口に含む。


 なぜだろう、見られていると思うと、ものすごく気恥ずかしく、胸がどきどきした。熟した果肉はとろけるように甘いはずなのに、どこか、甘酸っぱいような気分になった。


 咀嚼して飲み込み、再びジークフリートをうかがい見る。彼は満足そうに笑っていた。


「ジークフリートさま……?」


「――シグルス」


「え?」


「俺の名は、シグルス。――名を呼べ、許す」


 言われてアイリーンは息を呑み、エメラルドの眸を大きく(みは)った。大きな秘密の暴露にしては、それはあまりにも呆気ない言い方だった。


 シグルス――……シグルス・ウェリス=ナグワーン。


 ウェリス皇国の、現皇帝。


「……どうして?」


 名を呼ぶことを許すと言われたことに対してか、それとも、皇帝そのひとが護衛のふりをしてアイリーンの傍にいたことの理由を訊ねたかったのか、反射的に疑問を口にしつつも、アイリーン自身もよくわかっていなかった。


 さあぁぁん、と、一陣の風が、ふたりの間を吹きぬけていく。


 ジュエリーシュガープラムの木の葉が、さわさわ、と、葉擦れの音を立てる。


 相手の、首の後ろでひとつに束ねられた、印象的な赤毛がゆれた。陽の光に透けると、赤銅色の髪が(ほのお)のような明るい赤に見える。アイリーンの、春の陽射しを絹糸に(つむ)いだみたいなプラチナブロンドも、ふわりと風に軽くもてあそばれた。


 ジークフリート――シグルスは、アイリーンとの距離を一歩詰める。驚愕(きょうがく)の表情でまじまじと相手を見詰めているアイリーンの髪をひと房手に取ると、彼は、すっとそこにくちびるを寄せた。


「どうしてって、お前が俺の妻に……皇妃になるからだよ、トレノエル辺境伯令嬢、アイリーン・トレノエル」


 相手はつやめく黒曜石の眸に強い光を宿してアイリーンを見詰めながら、こちらにとってはわけのわからない、信じられない言葉を口にした。

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