鐘は告げる
外に出るといつもとは違う喧騒に村は包まれていた。
村が騒がしいときはたいてい誰かの結婚式か、年に一度の豊穣を祝うを祭りの時くらいだ。その時は村中が黄色い色に染まって見えるけれど今は灰色に包まれていた。
羊の鳴き声も、トンビの甲高い声も全てなくなって、ぼくたちを焦らせる鐘の音が村中に鳴り響いている。その音は鼓膜に突き刺さって、反響している。
こんな村をぼくは知らない。
「おい、トーリ! あれ見ろ!」
「!」
思わず息をのんだ。ナオトが指が示す先には燃え盛る門があった。
この国と、隣の国を隔てるそれは無残に燃え盛って崩れ落ちていた。石造りの堅牢なはずの門はなにかでえぐり飛ばされたように所々が砕けていた。
そして恐らく建物の中の木材が燃えているのだろう。窓から火の手が上がっているのが分かる。
門とはちょうど正反対の位置にあるはずのこの場所からでもその光景はよく見えた。
日が暮れかけ、暗くなり始めた空で門がある場所だけが異様な明るさをしていた。
なにかの終わりが来たのだ。
それだけははっきりと分かった。
村の中では一番、その終わりから遠い場所にいるからこそそれがよく分かった。
丘の向こうからなにかが走ってくるのが見える。初めは点のように小さかったそれはどんどん近づいてきて人の姿になっていく。どうやら村の人と衛士が数人のようだった。
走ってきた女の人の服には、ここに来るまでに何度かこけたのか土がついていた。
息も絶え絶えで走ってきた彼女の顔は真っ青で仮面を張り付けられたみたいに表情がなくなっていた。
女の人の後ろからついてきた衛士は食堂に何度か足を運んでくれていた人だったが、彼も同じように恐怖が顔に張り付いていた。
そして彼の姿は前を走る女性よりも酷いものだった。
白い衛士服に土汚れがついているのはもちろん本人も酷いありさまだった。頭に傷があるのか顔には血が線を引いていて、左足の太もも辺りも赤く染まっていた。
「先輩、なにがあったんですか!?」
ナオトが走ってきた衛士につかみかかるようにして尋ねた。よくないことが起こった。絶望がすぐそこまで忍び寄ってきている。
先ほどから甲高い鐘の音は途切れることなく続いている。ナオトもこの鐘の意味は知っているはずだ。それでもなおこうして先輩衛士に詰め寄るのは信じたくないからだろう。
自分の生きてきた今までがばらばらと大きな音を立てて壊れていく。そんな表現はいくらだって聞いてきたけれど、そんなことが本当に自分に降りかかるとは思っていなかった。
先輩衛士は膝に手をついて息を整えている。ずっと全速力で走ってきたのだろう。息切れは中々収まらない。
いやそれだけじゃないのかも知れない。恐怖がその胸を満たして酸素を取り込ませないのかもしれない。
ぼくとナオトは彼が話始めるのをずっと待っている。早く話し始めてほしいような、いつまでもこのまま息を整え終わらなければいいような、そんな気持ちだった。
ぼくの逡巡など気にしないようにその時は来た。何度目かの荒い息遣いの後に大きく息を吸うと彼は顔を上げた。その額からは未だ途切れることなく汗が噴き出していて、でも顔の色は失ったままだった。
「と、砦が……。破られた……。隣の国が……。攻めてきたんだ」
整いきっていない呼吸の中で紡ぎだされたその言葉は途切れ途切れでとても聞き取りづらかった。けれどその部分だけははっきりと聞き取ることが出来た。
どんなに大きな鐘の音が響いていようと、時折何かが爆ぜる音が聞こえてきたとしてもそれだけは聞き逃さなかった。
分かっていた。戦争が起きたということは鐘の音で分かっていた。
それでも信じたくなかった。
ほんのわずかな、針の穴のような大きさの願いだとしてもこれまでが何一つ変わらなく続くのだということを信じたかった。
それが今、崩れ去った。
「他のみんなは?」
ぼくが呆けている間にナオトはこれからどうすべきかを考えているようだった。
ショックを受けていないわけではないのだろう。けれどその眼差しは村の方角へ向けられていた。ぼくのように俯くのではなく、前を見据えていた。
「隊長を筆頭に駐在していたほとんどのやつらが攻めてきたやつらの迎撃にあたってる。他の非番だったやつらや、俺みたいに兵舎の中にいたやつでも何人かが村の人たちの避難誘導にあたってる」
普段から鍛えている影響なのだろうか、衛士の息はもう整っていて、話すことになんの支障もないようだった。
けれど顔色はよくなることはなく、むじろどんどん青ざめていっている。
身体の奥底からあふれだす恐怖が行き場を失って隠したいのに出てきてしまったというように衛士の唇は小刻みに震えている。
「突然だったんだ」
話し始めた衛士の口調はやはり震えている。
先ほどまでは必要な情報を伝えなくてはいけないと気を張っていたから表には出さずに済んでいた自分の感情があふれ出ているようだった。
「本当に突然だったんだ。いつもと同じように国境の見張りをしていたんだ。一緒に当番だったやつとずっと立ちっぱなしなんてきついよななんて呑気に話してたんだ。日が傾いてきて、もうすぐしたら交代の時間だなって二人で話してたんだ。」
彼が話す何気ない日常は今までならありふれていたものだったからこそ、もうないものなんだとぼくに訴えかけてきた。
彼は自分を守るように自分の両腕を抱きしめた。
「そしたら突然頭の上の方から耳が潰れてしまうんじゃないかってくらいの大きな音がしたんだ。咄嗟に上を見上げたら大量の石が落ちてきて、気づいたら俺一人で、一緒に当番をしていたやつが立ってたところは赤い水たまりが出来ていて、それで、俺はそこから逃げてきてしまって……。あいつを助けられなくて、おれは……!」
彼が流す涙の色はとても悲しい色をいていた。
悔しさとか、恐れとか、悲しさとかそんなものが彼から流れ出てきて、辺りを埋め尽くしてしまっている。
息苦しさが消えてくれない。
「また、まただ……。また消えてく……」
苦し気にかみ殺したその声の主はナオトだった。今にも叫びだしてしまいそうなのを下唇を歯でぐっと噛んで堪えている中でふいに漏れたその言葉がぼくを揺り動かす。
どうしてかは分からないけどナオトの気持ちが分かったように思った。
ぼくもまただと思った。
また日常が消えていく。
そこでぼくは弾かれたように顔を上げる。
「母は……、他のみんなはどうなったんですか?」
自分の腕を握りしめ、震えていた衛士がはっと顔を上げる。
「分からない。けれど今、衛士たちがこっちへ誘導しているはずだ。ほら、後続が来た」
そう言い、衛士が指さした方向からは確かに大勢の村人と、それを護衛する何人かの衛士たちがこちらへ向かって走ってきていた。
先にここへ着いていた女性がそうだったように、今走ってきている人たちの服装は汚れていて、みな一様に青ざめた顔をしている。
ナオトは合流した衛士たちとなにやら話始めた。おそらくこれからどうするかを話し合っているのだろう。
ぼくは走ってきた人たちの顔を一人ずつ確認していく。
母さんを探さないと。ただそれだけを考えていた。
足りなくなり始めていた食材を買い足しにいくとほんの数時間前に母さんは村の中心へ向かった。なんで今だったんだ。
そう思うけれど、それは全く意味をなさない思考だ。
何十人もいた人たちを前から一人ずつ確認していったけれど、母さんはいなかった。
どくんと胸が跳ねる。
冷たい汗が流れる。
「あの! 母さんを知りませんか。知ってますよね? ここの宿屋でいつも料理を作っていた人です」
話し続けている衛士たちの中にわりこんでいく。真剣な顔つきで大切なことを話しているのは分かる。
けれど、ぼくにとってはそれ以上に母さんのことの方が大切だった。
彼らは邪険にすることなく丁寧にこちらを向いた。
その顔は明るくなかった。
嫌な予感がした。
「ああ、もちろん知っているさ。けれど村では見なかったな」
また失う。
感情がそう騒いでいる。なにがまたなのかは分からないけれど、この世界が遠くなるような感覚は知っているような気がした。
「おい、トーリ! どこ行くんだよ!」
気づけば走り出していた。
ナオトの声が後ろから追い付いてくるけど、足は止めない。
行かなきゃ。
そう叫ぶ心を止められない。
もう失うのは嫌だ。
頭が割れそうなくらい痛んだ。
間隔が空いてしまい大変申し訳ありませんでした
年内完結は変えないように頑張りますので何卒よろしくお願いします




