彼は語る②
その声はどこまでも優しくて、凪いだ水面のように揺れることなくただ真っすぐにぼくまで届く。けれどその言葉を受け取ったぼくは大きく揺れた。揺るがされた。
自分自身の根元みたいなところが見えない大きな力で揺さぶられたのを感じた。
言葉の意味はもちろん分かる。けれど自分の中で上手く処理できない。
だからこんなにも情けない声が出るのだろう。
「なに、言ってるんだよ。死んだ……? いや、ぼくたちはここでこうして生きてるじゃん」
ナオトの声とは対照的にぼくの声は波打っていた。だから空気の壁に阻まれて、真っすぐ進んでくれやしない。色んな方向に散らばってはばらばらと壊れていく。
「そうだよな。こんなこと急に言われても訳わかんねえよな」
それでもナオトはぼくを拾ってくれる。ぼくにちゃんと向き合ってくれている。
ナオトは指を組んで、机の上に腕を投げ出している。目線は伝えるべき言葉を探すように宙をさまよっている。どうすればぼくに伝わるのか考えている。
「輪廻転生って分かるか?」
まだ言葉を探しながらナオトはぽつりと話し始めた。
「生きているに悪い行いをしていたら来世は畜生になるっていうあれだ。いや、この考え方はこっちにはないんだっけか。悪いちょっとごちゃごちゃになってる」
申し訳なさそうに頭をかくナオト。ぼくはナオトの言葉の輪郭をつかもうと耳を傾ける。
「まあ、平たく言うと生まれ変わりってやつだ」
ナオトはそこで言葉を切ったけれど、ぼくはナオトが何を言いたいのかいまいち分かっていなかった。ナオトもそんなぼくの様子に気付いたのか、ため息を吐き出した。
それは言葉の意味をつかめないぼくに対してのものではなく、上手く説明できない自分に対してのものだったと思う。
さっきからナオトの眉間にはずっとしわが浮かんでいる。多分、ナオト自身も何をどう伝えたいのか分かっていないのだと思う。
「ナオト、ゆっくりでいいよ。急かしてごめん。ゆっくりでいいよ」
だからぼくは待つ。ナオトが自分の中で言葉を見つけるのを待つ。
逸る気持ちを抑えながら、前のめりになっていた身体を元に戻す。
知らなければいけない。その気持ちはずっと渦巻いているけれど、たぶんナオトも同じなんだ。
話さなければいけない。その気持ちだけが前に進んでいて、追い付けていないんだ。
ナオトが追い付くまで待とう。
伝えようとしてくれているなら焦る必要はないのだ。
ナオトは弱々しく笑ってから、天井を見上げた。きっとナオトの視線の先は天井ではない。
ここでないどこかを見ている。
それから言葉を紡ぐ。扉が開く予感がする。
「そうだな。まずたぶんここから話すべきなんだ」
ナオトの目はぼくを貫いていた。それくらいぼくをしっかりと捉えていた。
「俺たちはここじゃない世界で死んで、ここに生まれ変わってきてるんだ」
まずその言葉は波紋を立てた。
庭の小さな池に誰かが唐突に石ころを投げ込んだみたいに大きく波打った。
それから存分に水の浮力を楽しんだ後に、池の奥にことりと音を立てて着地する。
そんな風にその言葉はぼくの中に入ってきた。
表面は大きく波打って動揺しているのに、投げ込まれた石は元からそこにあったような、そもそもそこにあって当たり前だと言うようにしんと沈み込んできた。
心は揺れている。けれどなによりもその心がその言葉を飲み込んでいた。
頭で理解するより先に、その言葉が腑に落ちた。
「トーリも見たことあるんじゃないか。藤の咲くあの学校の夢を」
二つ目の石が投げ込まれる。かすかにしか思いだせない記憶が芽吹きかけているような予感がする。
「ナオトも、見たことがあるの?」
「ああ。物心ついたくらいの時から見てた。ここじゃないどこかの夢。忘れた頃にその夢を見て、また忘れてってのを繰り返してた」
自嘲するようにナオトは笑う。
「忘れていいはずなかったのにな。なんで忘れてたんだろうな」
その言葉はぼくにも刺さった。ナオトは全く意図していないのだろうけれど、それはまさしくぼくも思っていたことだった。
あの夢はぼくにとって大切な欠片のはずなのだ。自分を形作る大切なピースの一つ。
なのに、ぼくはまだ思い出せない。
それがとても悲しい。
「俺らは前世でも友達だったんだよ。だからかな。お前と初めて会ったときから他人の気がしなかった」
それはぼくもだ。けれどぼくはまだ何も思い出していない。
「吾が背子と 二人し居れば 山高み 里には月は 照らずともよし」
そういう言葉をナオトはもう一度口にする。
「親友のお前といるなら たとえ山が高くてこの里に月が照らなくってもいいやって意味だ。俺はさ、もう一度お前に会えてうれしいよ。透里」
ああ、ナオトの笑顔が眩しい。
ナオトはそういうけれどぼくは何も思い出せていない。
ナオトがもう一度会いたかったという昔のぼくも。今と同じような顔をして笑っていたであろう昔のナオトも。
それがぼくには悲しくて、苦しかった。
思わずナオトから顔をそむけてしまう。
ナオトの話は真実だ。それは分かっている。そうぼく自身が告げている。
だからこそこんなにも心苦しいのだ。どうしたって罪悪感が湧き上がって止まらない。
思い出せないことがナオトへの裏切りのように思える。
なんとなく居心地が悪くて、押し黙ってしまう。
ただ頭の奥の方からじんわりとした痛みが広がっていくだけで何一つ思い出せる気配がなかった。
夢の中の出来事は夢のままで。今ここにいる現実との境目は目に見えるくらいにはっきりしているように思えた。
「急にこんな話されても、だよな。別にさ、無理に思い出さなくていいんだよ。俺はトーリの料理の味を知ってるからさ」
ぼくを気遣った声が聞こえた。でも今はそれが余計に胸を締め付ける。
無性にむせび泣きたくなるのはなぜだろう。
それはまるで暗がりから出たばかりのころに朝日を見るような感覚だ。
温かさが、どうしようもなく悲しい。
「思い出せなくてごめん……」
「いやいいって」
ナオトはそう言ってくれる。けれど自分が一番思い出せないことに苛立ちを感じてる。
のどに引っ掛かった小骨が取れてくれないみたいに、後もう少しで思い出せそうなのに思い出せない。もどかしさは募っていくばかりだ。
「ちょっと外に出てくる」
自分の家なのにどうしてこうも居心地が悪く感じるのだろう。
いや、家じゃない。ここにいるということが違和感を生み出しているのかもしれない。
今、ここにいることがなぜだかおかしいことのように気づいた。
だから鐘が鳴った時、初めは自分の幻聴だと思った。そんな風に思い詰めていたから聞こえてしまった音だと思った。
けれどそれはいつまでも鳴りやまず、食堂中に響いていた。
ドアノブにかけていた手にはいつの間にか汗をかいている。
冷静になってこの鐘の意味を思い出したから。
「ナオト、これって緊急警報だよね?」
振り返ると、ナオトの顔つきはつい先ほどまでの優し気なものではなかった。あのサイクロプスと出会った時と同じように事態を見極めようとしている。
それよりも、もっと深刻な顔をしていたかもしれない。この鐘の鳴らし方はそれほどの事態が起こったということを表している。
今まで、この村で緊急警報の鐘が鳴らされたことはなかった。危険を知らせる鐘がなったことなら幾度か
ある。
村に魔物が入ったことを知らせる鐘。かん、かん、かんと短く三回。
年に一度は鳴るその音と今回の音は全く違う。
一度も止まることなく鐘の音は鳴り続ける。
村中の全員に聞こえるように鳴り続ける。
それはつまり魔物じゃない敵が来たことを示す。
戦争が起きたことを示す。
終わりを運ぶ鐘の音だった。
更新遅くてすみません
来週からは元に戻せるようにしたいと思います




