第一話:黄金の嘘
「初めまして、あるいは、お久しぶりです。
本作は、私が一番やりたかった『歴史のIFと、その裏側に込められたカタルシス』を詰め込んだ物語です。
歴史とは、勝者の記録であり、天が定めた無慈悲な記述でもあります。
そこに、追放された一人の弱小将軍が、命を削って『注釈』を加えていく。
なぜ彼は戦うのか、誰のために嘘をつくのか。
人々がふとした瞬間に感じる『嘘のような幸運』。その裏側で、血を吐きながら筆を動かし続けた男の物語を、どうぞ最後までお楽しみください。
※4/21 大幅リライト実施。物語の骨子はそのままに、描写と設定を再構築しました。より重厚になった足利義昭の反逆劇を、ぜひ目撃してください」
天正十年、六月。
備後・鞆の浦の海は、死んだ魚の眼のような色をしていた。
かつて将軍と呼ばれた俺、足利義昭は、潮風に晒され煤けた縁側に座り、一枚の文を眺めていた。
「……信長が、死んだか」
本能寺の変。英雄の最期。
世に流れるその 知らせ が、俺の眼には異様に映った。
文字が、まるで蠢く虫のようにうねり、どす黒い死の気配を放っている。いや、それだけではない。その黒い文字の裏側に、うっすらと黄金色の 天の書き込み が透けて見えるのだ。
『因果:織田信長の退場を確定。次なる記述の主役を羽柴秀吉へと移行せよ』
それは、この世界を形作る巨大な理が下した、非情な判決だった。
歴史とは、残酷な記述だ。勝者の都合、あるいは天の筋書き一つで、何万という 生きた証 が、ただの背景として塗り潰されていく。
「(ふざけるな……。俺たちの生は、誰かの書き損じではない……!)」
俺を追放し、無能と嘲笑ったこの歴史を、俺は愛していない。
だが、俺と同じように 余白 に追いやられ、天が定めた『戦乱』という大義名分のために、今日を懸命に生き、無意味に散っていく民草の生までもが、単なる 情報の塵 として処理されるのは我慢がならなかった。
誰にも、物語を勝手に終わらせる権利などない。ましてや、見知らぬ天の神などにはな。
「……見えたぞ。歴史の 継ぎ目 だ」
突如、激しい頭痛が俺を襲った。
視界が反転し、現実の景色が 未だ乾かぬ墨の線 となって分解されていく。
気がつけば、俺の手には使い古した一本の筆があった。
俺は、天が切り捨てたこの余白に、俺だけの 注釈 を刻んでやる。
英雄たちの輝かしい行間の裏に、名もなき者が明日を信じられるだけの、ささやかな 嘘 を書き残す。
それが、俺という記述者が、この天に報いる唯一の反逆だ。
俺は震える指で、古い巻物に己の怒りと執念を叩きつけた。
『明智光秀は裏切り者に非ず。帝より「魔王討伐」の密命を帯びた、真なる忠臣なり』
書いた瞬間、心臓を焼くような激痛が走った。
「がはっ……!」
口から血が溢れる。右手の指先から感覚が消え、石のように冷たくなる。
これが代償だ。歴史という強固な檻を 嘘 で書き換えるには、俺自身の命を削り、理の報いを受けねばならない。
だが、筆は止めない。
たとえ俺の肉体が文字となってこの世界に溶け出したとしても、この一行が、いつか誰かの救いになると信じて。
――歴史は、俺が守ってやる。
たとえそれが、世界で一番大きな 嘘 だとしても。
書き上げた文字が黄金に輝き、巻物から溶け出して空へ霧散していく。
瞬時、世界が変質した。
「……ああ。書き換わったな」
俺は血を拭い、薄笑いを浮かべた。
秀吉よ。お前の 中国大返し という嘘は、俺がさらに巨大な 真実 で塗り潰してやる。
これが、弱小将軍と呼ばれた俺の、天下奪還の術。
歴史という名の物語を、俺が支配してやる。




