I know Shangri-La
「…成る程、話は分かったよ。ここに来ることになった経緯も」
僕たちが竜峰山に登り、ジェイド・アルケーを倒したことを説明すると、存外にも彼女は素直に納得してくれた。
「最も、君があの怪物を殺したなんてこと、信じきれてはいないけどね」
前言撤回、全然納得はしてくれてなかった。まあ、それもそうだろう。僕自身、彼を殺したことに全く実感はない。それ程までに、途轍もない存在だった、彼は。
「それより、誤解は解けた、ってことでいいのかな。僕は君と会ったこともないし、恨まれる覚えもないってこと」
「…さて、それは判断しがたいな。確かにあの時の【影無し】と君は違うようだけど、符合する点も多い」
だが、以前、彼女に殺されかけた時の誤解は解けつつあるようだった。口でこそ釘を刺すようなことを言っているものの、口振り自体はかなり柔らかな物になっている。それはどうやら、その僕に似た誰かの正体が、ある程度想像がついてきたこともあるだろう。
「つまり、それは僕ではないけれど、僕とほぼ同一の存在」
「要するに、パラレルワールド、か。聞いてはいたけれど、実際に目の当たりにするとどう受け止めていいのか困るよ」
僕の言葉を受け継ぎ、頭を抱えながら、彼女は言う。
ただ、引っかかる点はある。僕はともかく、何故紫龍までそこにいたのか。紫龍の生まれはここのはず、彼女がいるのはパラレルワールドだけでは説明がつかない。
「ていうか、今更だけど君」
「…ああ、そうだよ。これは日本にいた頃、譲り受けた物」
だが、下手につついて僅かに築いた信用は失えない。僕は彼女の刀に目を向けて問うと、彼女は微笑を浮かべて答えた。
名残火、十刻院翁火氏が持っているはずのその刀を、何故。
「こっちも包み隠さず話したんだ。それを手に入れた経緯くらい、聞いても良いだろ?」
「良いよ。少し長くなるけど」
僕がそう言うと、嫌がる風もなく、快く彼女は話し始めた。
「そうだな、まず私が日本に行くことになった経緯から話そうか」
「その日、私は逃げ出した。神が支配する村から。神から?使徒さ、その時の私は使徒にすら負ける程に弱かった」
「私が辿り着いたのは海岸。追い詰められた私は、海の中へ飛び込んだ。とにかくその場から逃げ出したくて、沖の方へどんどん泳いでいった。…笑わないでよ、海がどういう物なのか知らなかったんだよ。ここは日本とは違う、日常の外にある知識なんて平気で得られる物じゃない」
閑話休題。
「無我夢中で泳いでる間に私はいつの間にか気を失っていた。そして、気が付いた時、私の前には見たこともないような景色が広がっていた」
「詳細とか、言わなくても良いよね?日本の、一宮院市。【院】の本拠地」
…ああ、言わなくて結構さ。泣きたくなるほど、今すぐ嗚咽を上げたいほど、懐かしいよ。
「そこで私は、彼と出会った。二条院の次期当主、二条院空に」
「…ちょっと待って。空?海辺、じゃなくて」
思わず、僕は口をはさんだ。次期当主?それは海辺のはずだ。空というのは、あいつの弟のはず。思わず、あの常に全てを煙に巻くかのような態度の親友の顔を、僕は思い出す。あの憎たらしい顔が、苛つくほど脳に焼き付いているのに、あいつがいない?
僕が挙げたその名前を聞いて、ハジメは少しだけ言い淀んでから、首を振った。
「少なくとも、私がいた世界ではその人は亡くなったと聞いているよ」
「そうか、あいつが」
殺しても死なないような奴だったのに。本当に、泣きたくもなってくる。篝は大丈夫だろうか、あいつも僕もいない世界で、肩身の狭い思いをしていなければ良いが。
「続けるよ?それから、私は彼の護衛として雇われた。彼の護衛に相応しい様に、色んなことを学んだよ。一般常識とかだけじゃなく、戦い方も。八司と十刻の戦闘に特化した二つの家から、それに七天の人からも刀について教わったよ」
「光、だね」
「そう、正解。というか、君、詳しいね。やっぱり院の人?」
また、思わず口をついて出てしまった名前。別に、今更隠すまでのことでもないから、僕は肯定を示した。
「七天院タクト、それが僕の名前。こっちじゃ、聞きなじみがないだろうから、ジョン・ドゥと名乗っているけれど」
「名無し、ね。ずいぶんと思わせぶりだね」
そう言うのも知ってるのか。別に、必要もなさそうな知識だけど。
「良いよね、サイコマン」
「あ、そこから?」
意外なところから突いてくるなこの子。
二度目の閑話休題。
「問題はそこからだった。とある人物をめぐって、ありとあらゆる組織が参戦する、事件が起こった。その人物というのは紫城美月、【征服者】という異能を持つ、神格者の一人」
「!」
その名はある意味では先の二人以上に、僕に衝撃を与えた。紫城美月、彼女こそ、僕の世界を破壊した存在そのもの。この世界を、作り上げたラ・バースその人。
「ま、そっちの方は無事解決したんだけど」
「…何だって?」
無事に解決する、ものだったのか。今日何度目かの衝撃に、頭がくらくらしてしまいそうな感覚に襲われる。
だけど、良かった、んだろうな。きっと。それが、僕のいない世界での出来事というのは、複雑だけれど。
「問題はここからでね」
詳細が気になるが、ひとまず僕は彼女の話の続きを聞くことにした。【征服者】よりも大きな問題というのも、気になる。
「彼女の問題が解決したその時、二人の男が現れた。【無貌】、そして【影無】と名乗る、二人の男が。二人は紫城美月の力を狙って、世界に向けて宣戦布告を叩きつけた」
「察するにその影無って言うのが」
「そう、恐らくその世界での君」
僕の推論は正解だったようで、ハジメは頷いた。
しかし、疑問は残る。なんで僕がそんなことをする?なんで僕が七天にいない?
並行世界のズレ?嫌、そうは言いきれない。何故なら、今のところ、他の名前は少なくとも生まれは変わっちゃいない。紫城美月が【征服者】を所有しているのも同じ。
だったら、なんで僕は。
「無貌って方も、聞いておこうかな。それは、どんな奴?」
「正直、こっちの方が分からないんだよね。全身が闇に包まれていて、全体像がつかめない。声もしっかりと聞こえているはずなのに、声音が掴めない」
それは、確かに謎だ。少なくとも、自分ではあるのだろう影無の方よりも、ずっと謎だ。分からないから、これ以上特に言うこともない。
「でも、これだけは知ってる。無貌こそが、私をここに帰した張本人」
僕は、続く彼女の話に耳を傾ける。
「そいつの配下に竜のような何かがいた。人型でありながら、人知を超えた凄まじい力を持っている何か」
「…まさか、それが紫龍?」
「え?ああ、違う違う。彼女は、私が見る限りでは第三勢力というか、かき回し役というか、そんな感じ?」
おっと、下手な横やりだったか。しかし、彼女はなんでそんなことを?
「私が名残火を手に入れたのは大体、その辺りだったかな。先の紫城美月の件で大怪我を負った翁火氏が、刀を振るえる人間に、と手放して、私に白羽の矢が立ったって訳」
「それで、その竜みたいなのと私と他数名で戦ったんだ。初めは優勢に立てていた。けれど、それはそいつが本当の力を抑えていただけ」
「そいつの力は、明らかに異様だった。次元を裂いて、空間を制御する、途轍もない力。私はそいつが作った、次元の裂け目に呑まれて、この大陸へと戻ってきた」
そこで彼女は一息吐いて、僕に向けて首を傾げた。
「私が話せるのはこれくらい。大丈夫?」
「うん、ありがとう。そっちの事情が、大分飲み込めたよ」
多くの疑問は残るが、知りたいことなんて、無限にある。これ以上質問攻めにされても困るだろう。ひとまず、これで十分だ。
「…私からも一つ聞いていい?」
「勿論、何?」
僕は快くうなずく。
「君は、これからどうするつもり?」
「どうって」
「私は戻るよ、日本へ。君も、協力してほしい」
僕が答える前に、彼女はそう言った。まっすぐな瞳で、強い意志を感じさせるような声で。
「ここは、人の生きる場所じゃない。君だって分かってるでしょ、終わってるんだよ、この大陸は。神を名乗る醜悪な生き物、それにそんな神たちを一息に薙ぎ払うような竜という怪物たち。こんなところで生きられる程、人間は強くない」
そういう彼女の気持ちは、痛い程理解できる。確かに、こんなところ、だ。神によって支配される村々なんて信じがたい話だし、牧場なんて場所は考えるだけで吐き気がする。死と隣り合わせならまだマシで、それ以下の待遇が腐るほど蔓延っているこの世界は、どうしたって快適な場所とは言えない。
「それに何より、私はまだ借りを返せていない。院に、そして、彼に、私はまだ何も返せていない。だから、私は戻らなきゃならない。この剣で、彼の助けにならなくちゃ」
そして、それも理解できる。僕が今、ここにいる意味もそれに近い。ダンタリオンやデッドの力になりたいと思った。だから、僕は今、こんなところで力を振るっている。
「君だって、向こうに、会いたい人がいるんでしょ?」
…そうだよ、当たり前だ。ここに来てから、何度も何度も、頭によぎる。もう会えないと思っていたから、諦められていたのに。帰りたくなっちゃうじゃないか、そんなことを言われたら。
「…いいよ、協力する。但し、まだ駄目だ。君と同じく、僕はまだ何も為せていない。彼らと約束したこと、何もかも、出来ちゃいない。だから、少しだけ、待ってほしい」
「構わない。ていうか、こっちがお願いする側だから」
僕の、具体性を欠いたお願いを、彼女は了承してくれた。
「ていうか、一人で大丈夫?良かったら、護衛してくよ?」
「助かるよ、お願いします」
「任されました。大事な協力者だからね」
協力者とは言うけれど、正直僕がどこまで役に立てるか分からないんだけど。ああ、でも空間移動なら覚えがあるか。影の道を試してみるのはいいかもな。最も、力が戻ってからだけど。ていうか、戻るのかな。不安だよ、もう。
「さて、じゃあ善は急げだ。早速向かおう」
「ていうか、ここどこ?」
「大陸の東側、竜峰山からは大分遠いよ」
東側…なら人狼のいる大森林の反対側だ。やれやれ、帰れるまで時間がかかりそうだ。
先導するハジメの後を追いながら、ふと自分の足元を僕は見た。何の気もなしに。
「…おいおい」
それで、気づく。今の僕には、影がなかった。
まるで、彼女が話した、【影無】の如く。




