滲む、馨る。
「…それで、道中には気を付けるべき危険な場所とかないの?」
影がないことを何とか周囲の影を利用することで誤魔化しつつ、僕は彼女に問う。幸いというべきか、追う立場なのでそこまで精巧に作らなくて済んだ。
「あのね、さっきの話忘れた?私がここにいた時期の殆どは、神が支配する村で過ごしてたわけ。正直、ここより日本のことの方が詳しいくらいだよ」
「学ぶ機会自体はあったんじゃないの?一応はそういう目的のためなんでしょ、神が支配する村って」
呆れながら、というには些か芝居がかった物言いの彼女に苦笑しつつ、僕は疑問をはさんだ。実際、ダンタリオンはこの大陸についての知識を有していたし、教育もなされていたように思う。
僕がそう聞くと、ハジメは少しだけ考えるそぶりを見せてから、答えた。
「多分だけど、そう言うのは所謂富裕層向けの商品だからだと思うよ。つまり、より強い神向けの」
成る程、そこでも階級って言うのはあるのか。こんな法もないような世界だ、強さが全てを決めるって言うのは理解はしやすい。飲み込みたくはないけれど。
そう言えば、ジェイド氏とも取引してるとか言っていたっけ、あの男。流石にそれははったりだと思うけど。
「…案外それ、はったりじゃないかもね」
僕がそう言うと、ハジメは渋面を作りながら言った。
「この世界には竜人って言う人種がいる。私も戻ってきて初めて知った。数少ない、神から独立している種族」
「つまり、人と竜の混血?」
…どうにもきな臭い話になってきた。僕はまだ、竜という物を見た経験は数える程しかない。だが、それでもこれだけは断言できる。人と竜の子供なんて出来やしない。生物学的、っていうのがこの世界にも適用されるのかは知らないが、だとしたって二つの種族には大きな体格差がある。ファンタジー的な理屈でも、そればっかりは覆しがたい。
なら、リザードマンが生まれた理由はただ一つ。
「ジェイド氏の仕業、だよね」
彼が人と竜を交配させた。それしか、考えられない。
嫌、交配というのも違うか。別に、二つの種を交わらせる必要もない。例えるなら、遺伝子組み換え、だろうか。
推測するに、彼の有する創造の力、彼はその力を以てして、人と竜の遺伝子を強引に結合させた。実体なんてものはいらない、彼は頭の中だけでそういった現象を引き起こす。
…ああ、そうだ。飛竜なんてものもいたな。あれこそ、分かりやすくそういう部類だ。飛行能力、さしづめ鳥と竜の配合種か。
「なんで、彼はそんなことをしたんだろうね」
仮にも【管理局】のボスだった彼が、世界の守護を謳う組織の創始者だった彼が、何故今になって竜という、古い遺物、或いは異物を持ち出したのかが分からない。
世界を滅ぼした種族、つまり人間に対して恨みをもってその敵となる種族を生み出したかった?それには疑問符が付く。この世界には既に、神と呼ばれる種族が存在している。人間の敵としての役割はむしろ、そっちの方が存在感がある。
なら逆に、神に対するカウンターとして、竜を生み出したのかと言えば、そちらも違うだろう。なにせ、彼らは人間を守護しようとなど欠片も思っちゃいない。伝え聞く話では、この大陸で生まれた竜の多くは大陸中央でぬくぬくと安穏と暮らしているらしい。そうじゃない竜は、神だろうが人間だろうがお構いなしに殺戮の限りを尽くし、宝と呼称するに相応しい物を集めている。
そもそも、あの劣等竜っていうのも、ジェイド氏が生み出した竜の失敗作だ。そんなものを放り出す男は、人間を守ろうとなど考えてもいないだろう。
「…さあね、見当もつかないな」
ハジメからの素っ気ない返事に、僕は肩をすくめたものの、その後すぐに、彼女が何かを注視していることに気付いて、自分と彼女を影に潜ませた。
「理解が早くて助かるよ」
皮肉に感じなくもない彼女の言葉を受け止めつつ、僕は彼女の視線の先にいる存在を見つめる。
恐らく、神もしくは使徒と思しき物が3、嫌5体。だが、何やら様子がおかしい。
「きびきび歩け!」
前方で歩く、人型の女。それと殿を務める、鷲のような頭の男。そして、その二人の間にいる、まるで、奴隷のような扱いを受ける、小さな神々。
二本足で歩く小さな狼は今にも泣きそうに、小さな羽が生えた少女は酷く沈んだ、諦めきった様子で、一人だけ僕らとそう背丈の変わらない男は全く変わらない無表情で、彼らに支配されていた。
「まだ動かない」
思わず、手が出かけた僕を、ハジメが止めてくれた。それから、深呼吸。
「ごめん」
「気持ちは分かる、気にしてないよ」
…大丈夫、落ち着いた。今優先すべきなのは敵の情報だ。気配を気取られていない今、その目的は簡単に達成できる。本来、僕が気づいていなければならないことだ、気づかせてくれた彼女に感謝を。
「ここら辺で一旦休憩にしませんか?無理をして歩かせるのも、効率が良くありませんし」
「構わん。お前が言うんならそうなんだろう。俺はそれに従うだけだ」
状況はこちらに優位に傾いている。僕は彼女と目を合わせて、お互いに頷きあった。
*
「これで良し」
「貴殿も少し休め、あんなところを通って気をやられたろう」
「お互い様でしょう。ですが、提案には賛成です」
三人の神を縛った縄を木に固定し終えると、二人の神も疲れを休めるために腰を落ち着けた。
「しかし、エルフにドワーフ共の反乱とは、世も末だな。我々が、人間種風情に反旗を翻されるとは」
「エルフにせよドワーフにせよ、何が起こったんですかね?あれらにはそんな武力はなかったでしょう」
「…さあな、興味はない。これ以上大事にならなければどうでもいいさ」
鳥顔の神が呈した疑問に、人型の神はどこか含みを持たせながら吐き捨てた。
「まあその点については大丈夫でしょう。こいつら、素の強さはともかく神性は大したもんですよ」
「だから残した訳だ。仕事をしてくれなきゃ困る」
男は鳥顔の大仰な話しぶりに苦笑しつつ、縄で繋がれた神々を指し示した。
「最も、俺は期待していないがな。所詮こいつらは飢餓の大穴出身の雑魚共だ、一番大事なところで神性が機能しなくなる可能性は十二分にあり得る」
「それは懐疑的すぎる気もしますが、概ねは同意しますよ。神性がなければ人間種以下の生命体だ、不意など打たれればあっけなく殺されてしまうかもしれません」
ゲヘナ、大陸北部に存在する、神を生む場所の一つ。そこから生まれる神々の殆どは能力的に劣った者が多く、他の神々から食い物にされることが殆どである。ある意味では人間種以上に過酷な生を生き抜かねばならない彼らだが、事神性に限って言えば他の場所から生まれる神々ともそう変わらない。
彼らはそんな、御しやすくも強大な兵器を得るために、大陸の南西部からわざわざ北部へと向かい、今はその帰り道という訳だ。
「自らの目で見た物すら信じられんか、貴殿も大概だろう」
「おやおや、貴方から振ったんでしょうに」
苦笑しつつ、鳥顔はその内の一人、自分らとそう変わらない背丈の男に目を向けた。
「しかし、一体彼は何者なのでしょうね?」
「貴殿の見立てでは記憶喪失だとかいう話だったな」
「ええ、自分が何者かも分かっていない様子。ですが、それを差し引いても」
「連れ帰るに相応しい素材、だったな」
興奮気味に語る鳥顔、反面男は冷ややかな瞳で、彼に冷や水を掛ける。
「全く、【皆殺し】の同類だったらどうするつもりだ」
「あれは良くも悪くも例外でしょう。あれ程のはねっかえりは早々いませんよ」
「…だとも、最早言えないと思うがな」
そう言って、彼は立ち上がった。
「貴殿も聞いているだろう?あのジェイド・アルケーが殺されたという噂」
「ええ、無論。それ自体は良いニュースだと思いますがね、何せ竜の生産者がいなくなった訳ですから」
「楽観的なのは良いが、問題は何者が打ち倒したのか、だ」
嫌気が差したかのように、大きな溜め息を吐いてから、男は続ける。
「恐らく、旧き竜共じゃない。奴らが動いたのならば、殺される噂が流れる以前に、俺らの耳に届く。つまり、それ以外の誰かだ。旧き竜ではない何者かが、あの怪物を殺したんだぞ」
「…つまり、何です。奴は飼い犬に手を噛まれたとでも?」
鳥顔の問いに、男は小さく首を振った。その表情には確かな、不安が刻まれていた。
「俺は、人間種の仕業だと、思っている」
「冗談は、よしてくださいよ」
男の言葉を聞いて、鳥顔は引きつった笑い声を上げた。その反応を見て、男は再度首を振る。
「貴殿も違和感を感じていただろう。エルフとドワーフの反乱の件を。貴殿も知っているだろう。人狼という種が【皆殺し】を返り討ちにしたという事実を」
「それだけじゃない。剣鬼なる個体による無差別な襲撃、鉄拳なる個体による牧場襲撃、天才なる個体が作り上げた再現不可能の武器、何者かによるデンジャラスライオンの殺害、最早人間種は侮っていい種族ではないんだよ」
男の発言に、思わず鳥顔は絶句する。彼の発言に真実味を見たからだ。
「…だとしても!だとしてもですよ。ジェイド・アルケーは規格外の存在だ、それこそ我々神だけじゃなく、竜すらも超えた、旧き竜と同格の存在ですよ?幾ら神に比肩する個体が生まれたとしても、それらが徒党を組んだとて、越えられない存在だ!」
「【影】の英雄の仕業だ」
「…なんですって?」
鳥顔は訝しげな視線を男に向けるが、男は至って真面目な口振りで続ける。
「影の英雄だ。今挙げた事件の全てに関わり、飛びぬけた個体共をまとめ上げた、影を操る力を持った男。そいつの仕業だ」
鳥顔はそんな、熱っぽく語った男に絶句する。彼の言葉を信じたからではない、余りに荒唐無稽な話に呆れかえってしまったからだ。
「本気ですか?」
「残念だが、かなり信憑性は高いだろうな」
鳥顔は最早、呆れを隠さずに溜め息をつく。先ほどの熱が入った口振りならまだいい、それならば浮かされているだけとも取れる。冷静に考えれば、あり得ないことに気づける。
しかし、今の返答はあくまで穏やかな口振りであり、彼の本音だと言うことが透けて見えていた。
(大分、お疲れの様子だな)
だが、それも理解できない話ではない。此度のゲヘナへの道のりは、いつにもまして困難を極めていた。
いつもの通り道に不運にも劣等竜が現れていたため、それを避けるために、旧き竜の一角であり、その中でも最強と謳われる、ラララカーンの領域、氷結庭園を通る羽目になった。
それだけでも気を磨り減らされたというのに、そこの小さな神のせいで仲間の一人を失った。それで、冷静を保てという方が無理がある。
「く、がぁ」
もう、休みましょう。鳥顔が、そう声を掛けようとしたその瞬間だった。
男の胸から、刀が飛び出した。否、男の胸を、何者かが突き刺したのだ。気配もなく、前兆もなく、男が殺害されたのだ。
「だってさ、有名だね」
「なんか、尾ひれがついてたけど」
そして、無だったはずの彼の背後から、突然、二人の男女が現れた。
一人はたった今、男を殺害した、刀を持った女。それは刀に付いた血を振り落とし、鞘へと納める。
もう一人は。
「…嘘、でしょう?」
鳥顔はそのもう一人を見て、首を振った。信じたくないものを見たかのように。
鳥顔の神性は、視界に納めた存在の能力を知ることが出来る能力。神性や異能だけでなく、おおよその身体能力や相手の得手とする武器まで、かなりの情報アドバンテージを得ることができる神性だった。
鳥顔はその神性の有用性を持って、有力な神と協力することで、この大陸を生き抜いてきた。
だから、鳥顔は気づく。剣鬼の背後にいるこの男こそ、彼の言っていた、影の英雄、その人だと。
そして、彼のもう一つの異能である、【死】すらも。
「あ、か…」
死を直視してしまった彼に訪れるものはただ一つ、永遠の眠り、死に他ならなかった。




