3-8心理の扉をあけてしまったら:狂った先に待つもの
「心理規範」という言葉がある。いやないのだけど、この言葉を使っている。
「心理規範」とは自分が心に誓ったマイルールのことであり、自分の行動指針として自らに誓ったルールということにである。認知行動療法というのを知っている方はおや、と思ったかもしれない。認知行動療法というのはものの見方や考え方の習性によって行動の変容をはかるというものだ。これは分類1で書いたものもあるがここでの話は少し違ってくる。「心理規範」は心の奥底に刻むものだが、自主的に体得している。
しかし、能動的に刻むものではなく、受動的に刻まれるものがある。それがここのお話。心理の扉……漫画やアニメの鋼の錬金術師の「真理の扉」にかけているのだが、鋼の錬金術師を知らない人もいるだろう。まあざっくり言うと世界の真理に触れた時に現れる扉だ。では何故ここでもじって「心理の扉」なんていう表現をしたのか、これは心理世界の真実に触れてしまったことによる、後遺症のようなものがあるからだ。
前置きはここまで、感情障害において、治療というのは薬物療法で行われる、処方された薬を飲んだときから、あるいは感情障害に振り回されている時に、真実に気づく、いや気づいてしまう。言動というものはその時その時の感情によるもので、感情というものは、不確かな魂によるものではない、ただの脳内の伝達物質の多寡によって引き起こされる化学反応でしかないのだと。例をだそう。
元気ですか? と尋ねられたとする。大多数の人は心配されている。ありがたいなといった感想になる。ところが正常な状態でない抑うつの状態で聞いたとしよう。元気ですか? → 体調を聞いている → また頭おかしいんですか? →馬鹿にしている となる。
とまあここまではあくまで病状の話であって、異常性は問題ではない。
ここで薬を飲んで一時的に正常になった頭で元気ですか? と尋ねられたことを思い出す。ふーんそうだったんだと真実に気づく、気づいてしまう。人が何か言ったとしても、それをどう捉えるかはその人次第で、それは不確かな魂によるものではなく、ただの脳内の伝達物質の多寡によって引き起こされる化学反応でしかないと体感してしまう。
その結果どうなるのか、人の目を気にしなくなる。いや少し違うな、自分がどう思われようがどうでもよくなってしまう。よくある事例を出そう。
今日は鬱が酷くて、死にたくて死にたくて仕方ありません。と普通の人に言ってしまうのだ。
これは、自身の体調を管理するあまり、感情の機微を話すことが、今日の天気は暑いですねと同じありふれた日常の言葉となってしまっているという原因もあるが、奥底には自分がAと言おうが、受け取る人の脳の神経回路によってBにもCにもなるんだから、自分がAと言おうがZと言おうがどうでもいいと考えてしまう泥沼に落ち込んでしまっているからだ。
だから、心療内科の受付で聞かれてもいないのに、自分の体調についてずっと喋っている人が出てきてしまう。聞いてる人がどう思おうが、周りにいる人からどう見られようが関係ないのだ、聞いている人の脳の神経物質によって変わってしまうものだから。
この泥沼である「心理の扉」をあけてしまったら、確かに人の脳の神経物質によって受け取り方は変わってくるが、自分が話すことがどう受け取られるか、間違って受け取られないようにする努力が必要だという赤ちゃんから成長するにつれ覚えてきたことを忘れてしまっているので、思い出す、または再度体得しなければならない。自分がAと言ったら、聞き手にAと99%の人が判断するようなことを言わなければならない。
だから相手の体調を心配するのなら、元気ですか? と聞かなければならない。今日低気圧で頭が頭痛で脳内で死にたいと連呼してますが、あなたは元気ですか? と聞いてはならないのだ。
当たり前のことができなくなる。赤ちゃんから成長してきて、対人で培ってきた処世術を一から再構築しなければならない。再構築できれば、こう言われるようになる、精神病に見えない……と。
これはこれで内心ちょっと複雑なのだが、「心理の扉」を一度開けたら、開けなかった前の自分には戻れない。狂ってしまった先に行ってしまったら、狂う前には戻れない。もう一度自分の処世術を再構築する必要がある。誤解されないようより多くの人にAと伝えたかったらAと言えるよう努力しなければならない。……きついけどね、楽なのはやはり狂気に身を委ねる方だとは思う。
でも、このエッセイでは世界と寄り添うため、一度「心理の扉」をあけてしまった人たちが再構築する処世術の一助になれたらいいという思いで書いています。
幸せになりましょう。
障害者でも幸せにはなれます。ただその為にはちょっと世界に寄り添ってあげましょうね。




