四 話
藤田兵庫は、ある種の変人だという。
大阪に二人とはいない細工師で、その優れた技術は名古屋や東京まで聞こえていた。だが、頑固一徹なうえに、自らのスタイルとテクニックを絶対とする。
ただの飾りや安物のグッズ、一般向けのサイリウムなどは、細工師の仕事として引き受けない。無理な注文をつければ札束を積もうと首を横に振るばかりだった。
その代わりに、気持ちが乗った仕事となれば寝食を忘れて打ち込む、仕上がりも自分が満足できなければ、藤田兵庫は承知しなかった。
マニア気質というものである。天才とか名人とか言われる職人芸には、頑固さと偏屈さつきものだった。それくらいのことは棒太郎も知っている。
藤田兵庫にしてみれば、アイドルオタの魂を作り出す仕事の上がりが一日や二日遅れるのは当然ということなのだろう。厳しく急かしたりすれば、逆効果となる恐れもあった。
しかし、愛華が伺いたいということについては棒太郎にも見当がつかなかった。言い出したときの愛華は笑っていたが、今は表情を固くしている。
「未熟者にございますが、わたしめにも多少、オタ芸の心得がございます」
意外なことを、愛華は口にした。
「ふむ」
棒太郎は特に驚かなかった。
女性であってもオタ芸の嗜みがあるものは珍しくない。テレビやインターネットが普及し、ライブイベントだけがアイドルの時代は去ったにせよ、その気風はいまだに残っている。オタ芸への関心が強い女がいたとしても、不思議ではなかった。
だが、あくまで趣味であって、オタ芸に生きることはできなかった。そういうことだから棒太郎のようなニートには女性のオタ芸ほど興味の持てないものはない。
「小型のサイリウムを少々・・・」
愛華は目を伏せた。
「押しメンは、誰かな」
気乗りはしなかったが、棒太郎は仕方なく訊いた。
「押しメンなど、ございませぬ」
「指導者は、いるのかな」
「別れた夫より、手ほどきを受けましてございます」
「たとえ妻にであろうとオタ芸を授けるとなると、それなりのオタクでなければならないよね」
「別れた夫でございますか」
「そうだね」
「大阪の生まれで冨永清治というものにございました」
「冨永さんといわれるのですか」
「先年、流行の大量の投票券を購入するためにCDを買い集めて身を崩し、離縁いたしました」
「冨永さんは、アイドルオタをしていたのか」
「はい」
「ならば押しメンがいたでしょ」
「別れた夫は初め戸田藍那のファンでしたが、後に小崎次郎さまと意気投合し、共に行動しておりました」
「小崎次郎と同じ押しメンだったのか」
棒太郎の眼光が、心持ち鋭くなった。
「小崎次郎さまの押しメンと同じメンバーのいるグループにございます」
愛華は多少気まずそうな顔でいた。
小崎次郎は秋葉原で棒太郎と決闘に及んだ。敗れたとはいえ棒太郎と敵対したオタクである。しかも先日のことであり、棒太郎にはまだ最近の敵として記憶に新しい。
その小崎次郎の友人であり、同じグループアイドルを押しメンとなった夫のことは愛華も言いにくい。
押しメンとはグループのメンバーの一人のことだが、冨永清治が小崎次郎の友人であったということに違いはないのだ。そうと知って棒太郎が、気を悪くするのではないかと、愛華は案じたのであろう。
棒太郎のほうは、何の痛痒も感じていない。小崎次郎の名前が持ち出されても、それに不快感を覚える理由はなかった。小崎次郎の知人友人には、同情するだけのことだった。
ただ、不思議と小崎次郎に結びつくものだと棒太郎は感心していた。新宿御苑では久我正孝という小崎次郎の舎弟に挑まれて、それを破っている。
そして今度は愛華の別夫が、小崎次郎と友人であったということなのである。これも何かの因縁だろうか。秋葉原での決闘が尾を引くように小崎次郎が棒太郎について回っている。
「そこでお伺いいたしたいことがございます」
両膝の上に、愛華は手を置いた。
「うん」
夕暮れだというのに、やかましく鳴いている蝉の声を、棒太郎は耳にとめていた。
「わたくしめもこれより、オタ芸の道を志とう存じます。そのこと、いかがにございましょう」
「いかがとは・・・・?」
そのようなことかと、棒太郎はなんとなくめんどくさいなと思っていた。
「叶えられる望みでありましょうか、天下に知られるオタ芸演者、石垣さまにお伺いいたしとうございます」
物怖じすることなく、愛華は棒太郎の目に見入った。
「オタ芸を志すのは愛さんの自由じゃないかな、でも途中で挫けるんじゃないかなぁ」
棒太郎は、小さく首を振った。
「挫けませぬ」
「いや、間違いなく挫けるよ」
「何ゆえにでございますか」
「オタ芸の道を極めるところまで行き着くことは難しいからだよ」
「わたくしを未熟者と、見通された上でのお言葉にございましょうか」
「いや、愛さんに限らず、女性には叶えるのは無理じゃないかな、女性はオタ芸の道を極めることは難しいだろうね」
「どうしてでございましょう」
「女性はそもそもオタ芸の道には向かないよ、向き不向きなるものが、何より重要だからね」
「女性は非力なるがゆえに、おっしゃられますか」
「天分、才能、力量に加えて、オタ芸には体力というものが絶対必要なんだ、女性の場合そのような体力はないんじゃないかなぁ」
「おっしゃるとおり、体力はあまりございません。日々、練習をつみ鍛錬を重ねることにさえ、耐えられぬやもしれません」
「さらに女性には自分の理想像を通して相手を見る性癖があるからね。アイドルと相対したときに冷静でいられるでしょうか」
「憧れのアイドルが目の前におられれば舞い上がってしまうでしょう」
「オタ芸の基本を教えます、まず最初に自分は石のように動かず、次にアイドルの呼吸を見極める眼光は
鋭くスポットライトのように、さらにアイドルの動きに応じては薄いカーテンのように柔軟に対応する。女性がこのような無の境地に置かれることは、至難の業といえますね」
「おっしゃるとおりにございます」
「女性がオタ芸演者なりえません」
「仮にわたくしめが石垣さまとの立ち会いに臨もうとも、わが一振り石垣さまに及びませぬか」
「さて、いかがでしょうね、こればかりはやってみなくてはわかりませんね」
棒太郎の目がふと凄みを増すように暗く沈んでいく。
「いくつものご教示、ありがとうございます」
愛華は、笑顔に戻っていた。
棒太郎はあくびをして、愛華との問答にようやく終わったかと安心した。なにか意味がありげなことを、愛華が言ってくるのではないかと思っていたがそんなことはなかった。
しかし、愛華に妙な下心があるはずがない。嫁いだ相手の冨永清治が小崎次郎の友人であったというだけで愛華には関わりのないことだろう。
棒太郎と愛華を結ぶ糸はほかに一本もなかった。冨永清治はすでに離縁している。いまさら別れた夫の友人の敵などと、愛華が深く考えたりはしないだろう。
愛華が怪しげなことをたくらむ対象に、棒太郎はなり得ない。オタ芸の趣味がある女が思いついて、身近にいる棒太郎にあれこれと質問してみただけなのだ。
他意は、ないだろう。いまの愛華は、父親と共に難波に住まいする細工師の娘である。藤田兵庫も愛華も、棒太郎が井上社長の客同然の身として、天王寺に逗留していることを知っていた。
棒太郎に失礼があってはならないと、父娘は気遣っているくらいなのだ。それに愛華は女性である。
一人の女性がいったい、アイドルオタクに対して何ができるのかと、棒太郎は胸のうちで苦笑いしていた。




