4 もう一度、お前を救いに
その数日後、オネストは何者かに拉致された。
公爵邸の離れの屋敷の地下牢にオネストは監禁された。湿気と鼻がもげるような悪臭を放つ牢屋だった。
オネストは手下に公爵の前へ突き出された。
「何も罪を犯していないのに、こんなことして許されると思ってるのか!」
「法務大臣の私にいう言葉かね。この国の法は、私が支配している。裁判所も私の言いなりだ。君を生かすも殺すも私の算段一つだ」
「僕を殺すつもりか」
「お前じゃなく、ブルーノを殺す」
——えっ、ブルーノ?
驚愕するオネスト。
「ブルーノは、私の可愛い娘を泣かせたんだ。その罪は死をもって償ってもらう」
「そんな馬鹿な! 悪いのはブルーノじゃない。彼を貶めようとした僕を責めろ!」
「やはりあの羊皮紙の絵を送りつけたのは君か。だったら容赦なく、そうさせてもらう」
ねっとりした視線がオネストに突き刺さった。
フィオーレ公爵の指先が、オネストの頬から首筋に触れた。
オネストはビクッと身体を震わせた。
フィオーレ公爵の舌が首筋を舐めた。蛇の舌のようにチロチロと。オネストは気分が悪くなった。
オネストは全身が痒くなった。蕁麻疹が出た。
「大人しく私のおもちゃになれ。そうすれば、ブルーノは見逃してやる」
《ブルーノは見逃してやる》
その言葉で、オネストは覚悟を決めた。
僕の英雄ブルーノの為なら死ねる……
「それは本当だろうな」
「法と神に誓って」
公爵はにんまりと笑った。
「僕の身体を……好きにするがいい」
「これで今夜の楽しみができたわい」
その夜、フィオーレ公爵はオネストと一夜を共にした。
シーツを握り締めて、こらえるオネスト。
「……もう勘弁してください。ウッ」
「まだだ、もっと楽しませてくれ」
オネストは、歯を食いしばって、その時が来るのを待っていた。
ブルーノの登場だ。
身を挺して賭けに出たのだ。
どれほどの時間が経っただろうか……
朦朧としたオネストの意識は、貴族学校時代に飛んでいた。
**********
ブルーノの脅しで一時、オネストに対する不良グループの暴行は収まった。
しかし、再びオネストの前に不良たちが立ち塞がった。
「ブルーノの姿はないな。おい、お前こっちにこい。俺達はお前に会いくて堪らなかったぞ」
不良グループのボス、ガリアーニが言った。
教室の空き部屋のアジトに連れ込まれたオネストは、不良グループに襲われた。ガリアーニに胸ぐらを掴まれた。
「うぐぐぐ」
「その綺麗な顔を歪まさせてやる」
——誰も助けてくれない……
オネストが絶望した時、ブルーノが木剣を持って現われた。これまで見たことのない悪鬼のような顔をしていた。
ブルーノの全身から怒りのオーラが漂っていた。
「オネストを離しやがれ! このケダモノども」
オネストは、ブルーノの言葉が英雄の物語の台詞に聞こえた。
**********
——あの時ほど歓喜したことはなかった。ブルーノが奴らを叩きのめしてくれたのが、胸がすくような思いだった。
でも……今回ブルーノはフィオーレ公爵と結託している。僕は人身御供にされたんだ……
それでも、ブルーノは助けに来てくれる。きっとここに駆けつけてくれる。僕はそれを信じているよ。
***
夜の帳が降りる頃、ベッカロッシ家にアナスタシアがやって来た。
ブルーノと対面した。
「父はオネストを性奴隷にするつもりです。散々慰みものにした後、なぶり殺すのが父のやり方。恐ろしい男です。早く助けてください」
「なんだって!」
ブルーノは怒りと困惑でフリーズした。
今更行っても、間に合わないかもしれない。それに、公爵に逆らうことは貴族社会から抹殺されてしまう。
煩悶するブルーノにアナスタシアが言った。
「どうすべきか、自分の本音で決めてください」
──本音。
貴族学校時代のオネストと過ごした楽しい思い出が、走馬灯のように蘇った。
初めてオネストを見かけた時、心臓に矢が突き刺さったような気がした。愛の矢だ。それを認めたくなくてぶっきらぼうになった。
オネストのドレス姿は目に焼き付いている。この世のものとは思えない美しさだ。俺は女神様を愛してしまったのかと錯覚するほどだった。
そして究極の快楽は『二人の気持ちが一つになること』だと教えてくれたのだ。
そのすべてが愛おしい。
「……俺は、オネストを見捨てることはできない。すまない、アナスタシア。案内してくれ」
「そうおっしゃると思ってました」
***
「──離れろ。醜いブタめ」
責められたオネストが顔を上げると、ブルーノがいた。
「おっ、ブルーノ。お前も一緒に三人でやるか」
焦ったフィオーレ公爵が言った。
ブルーノの拳が炸裂する。
ベッドから落ちた公爵。信じられないという表情で、腫れた頬を左手で押さえた。
「お前、こんなことして許されると思うのか!」
「思ってない」
さらに公爵の顔面に強烈なパンチが何発も炸裂した。
鼻が潰れて、前歯が折れた。
公爵の顔が形の悪いトマトのようになった。
「もう、許してくれ……」
「俺のオネストに手を出してただで済むと思うな!」
フィオーレ公爵の顔を両手で摑んで、頭突きを喰らわせた!
グォン!
公爵はぶっ倒れた。
気絶したフィオーレ公爵を見下ろすブルーノ。
悪鬼のような顔が、徐々に静まっていく。素の顔に戻った。
ブルーノはオネストに手を差し出した。その手を握り締めたオネスト。
「ブルーノが助けてくれると信じていたよ。僕は賭けに勝ったんだ」
「俺は……気づいたんだ。オネストしか愛せないと」
「知ってたさ」
立ち上がったオネストがよろけた。
すかさず支えてたブルーノ。
「僕はぼろ雑巾のように扱われた。もう綺麗なハンカチじゃない。ブルーノには似合わない」
「ハンカチよりもぼろ雑巾が好きな男もいる」
ブルーノは人差し指を自らに向けた。
「ブルーノ……」
オネストは涙目になった。
二人が馬に乗って屋敷を出ていくのをフィオーレ公爵の娘アナスタシアが見送った。ブルーノの背中にオネストがしがみついていた。
「お気をつけてください」
「アナには感謝しかない。ここに案内してくれてありがとう」
「父には良い薬になったでしょ。父の横暴さに辟易していましたから」
そして、目尻に涙をためてブルーノをじっと見つめた。
「ごめん。君の想いに応えられなかった」
「そんなこと最初からわかってたわ。少しでも夢が見れて嬉しかった」
アナスタシアは、二人の馬が屋敷の門から出て行くのを最後まで見送った。
**********
その後、フィオーレ公爵は、これまでの非道が王にばれて法務大臣を解任された。
娘のアナスタシアが、フィオーレ公爵の書斎から見つけた秘密の書類を王に差し出して告発したのだ。
賄賂で裁判所に圧力をかけたことも判明して、投獄された。
裁判所は懲役三十年の刑と、爵位の剥奪を言い渡した。
ブルーノとオネストは貴族社会から身を引いた。
彼らは平穏に暮らせる場所を求めて辺境の地に向かった。
あれから一年が経った。
田舎のこじんまりとした庭付きの家に、マリカがやって来た。
玄関ドアを開けると、エプロン姿のオネストがいた。見るからに若奥様という雰囲気だ。
「やあ、マリカ。遠路はるばるよく来てくれたね」
「オネスト、お兄様は……」
「畑仕事だよ。ここでは汗水流さないと生きていけないからね。それと今はニーナと呼ばれているから、そこんとこよろしく」
「分かったわ、ニーナ」
二人は居間で紅茶を飲んだ。
そして沈黙のあと、ニーナ(オネスト)が言った。
「ブルーノを譲ってくれてありがとう」
「兄の幸せは私の幸せ。兄とニーナが結ばれて、本当に嬉しいわ」
「未練はない?」
「ほんの少し。兄も愛してるけど、ニーナも愛してるからね」
「僕もさ。君のことは忘れられない。できれば三人で暮らしたい……」
「駄目よ。二人のじゃまはしたくないわ。それじゃ帰るわ」
「ブルーノに会わないの?」
「未練が残るのは嫌なの」
二人が椅子から立ち上がった。玄関前で、マリカが振り返ってニーナとハグをしてキスをした。
情熱的なキスだった。
「じゃ、さよなら」
「うん、また来てよ」
日が落ちる前に野良仕事を終えたブルーノが帰って来た。
テーブルの上のパイを見て驚いた。
「ニーナ、マリカが来たのか?」
「うん」
「泊まっていけばいいのに」
「お邪魔したくないってさ」
「ふーん」
と言いつつ、ブルーノはニーナを抱きしめた。
「愛してるよ」
「知ってる」
山の向こうに夕日が落ちると、小さな家に明かりが点った。
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