青空
朝方、ミモザは街外れの道を歩いていた。この辺りには誰も居ない。まずミモザは、拳銃から弾丸を抜き取り、それらを道の排水溝に捨てた。弾丸の数は何発だったか。誰か、傷ついただろうか。
それからミモザは更に歩き、別の排水溝の前で立ち止まると、その場で拳銃を分解した。それは誰の銃であったか。バラバラになった銃の部品は、やはり排水溝へと捨てられた。
ミモザは空を見上げ、今日は晴れそうだと思う。そして彼女は一つ、息を吐いた。それは、どのような種類の吐息だったか。ミモザは帰路に就く。彼女の帰りを待つ者は居るのか。居るとしたら、何人であろうか。
日曜の、人々の生活が始まる。街の中心部では鐘が鳴り響き、朝の到来を告げていた。
教会では礼拝が行われる。神父が戦争に付いてスピーチしていた。
「隣国との戦争にも、一区切りが付きました。私たちが次にすべき事は何でしょうか。隣国の根絶? イエス様は、そうは仰らないでしょうね。
イエス様は十字架によって、自らを犠牲にする事で、憎しみの連鎖を断ち切りました。報復のエスカレートは世界の破滅へと繋がります。『汝の敵を愛せよ』ともイエス様は言われました。
目の前で大切な人の命を奪われれば、復讐に走りたくなるでしょう。しかし、それでも、どうか人を愛してください。その行為こそが、世界を滅亡から救う、希望の道なのです……」
教会からは聖歌が聴こえる。雨は天からの恵みなのだと歌っている。その歌詞に反発する者も居るかも知れない。雨が悲しみの涙にしか見えない者も、きっと居るのだろう。
どうであれ、人は前へと進んでいく。時に過ち、罪を犯しながら。その罪を裁く事も必要なのだろう。しかし罪を赦す事も、また必要なはずだ。
ある晴れた青空の日に、きっとミモザは、いつか教会へ行く。熱心な信者ではないから、一人で訪れる事は、まず有り得ないだろう。しかし隣に、あるいは両隣に誰かが居れば、話は別だ。
ミモザを挟んで、例えば片方には不器用な母親が居て。そして、もう片方には、やはり不器用な娘が居る。互いに向き合おうとし過ぎて、上手く行かなかった親子だ。
二人暮らしが上手く行かない親子には、ミモザという仲裁者が必要になるだろう。親子に誘われ、ミモザが教会へ行き、三人で笑い合って帰路に就く。そんな未来が、無いとは誰にも言えないのである。