第一章「考えておきます」
この春から、僕もついに高校生!
友達いっぱい作るぞ!
部活にも入るぞ!
そして、もしかしたら彼女とかできちゃったりして!?
そんな希望に満ちあふれた高校生活初日。
なぜか白衣を着た、ものすごい美人の先輩に声をかけられたぞ!
しかも「少し付き合ってくれないか?」だって!?
美人の先輩にそんなこと言われたら、ついて行くしかないじゃないか!
……いや待て。
のこのこついて行って、本当に大丈夫なのか!?
四月。
校門の桜は満開だった。
春風が吹くたび、薄桃色の花びらが校庭を舞っていく。
今日から高校生か。
真新しい制服に袖を通して、僕――藤田恒一郎は、校舎へと続く道を歩いていた。
新しい学校。
新しい教室。
新しいクラスメイト。
中学までとは違う、新しい生活が今日から始まる。
友達もいっぱい作りたい。
高校にはいろんな人がいるだろうし、気の合うやつだってきっと見つかるはずだ。
それから――。
「もしかしたら、彼女とかできたりして……」
思わず口に出してしまった。
いやいや。
さすがに気が早いだろう。
まだ入学したばかりだぞ。
そもそも、彼女どころか友達だって一人もできていない。
でも、高校生活ってそういうものじゃないのか。
部活に入ったり。
放課後に友達と遊びに行ったり。
好きな女の子ができたり。
そういう、中学までとはちょっと違う毎日が待っている。
――たぶん。
◇
入学式が終わる。
体育館の外が妙に騒がしいことに気づいた。
「あれ?」
校庭へ続く道に、机や看板が並んでいる。
野球部。
サッカー部。
バスケットボール部。
テニス部。
その向こうには、文化部らしい看板も見える。
「あっ、部活の紹介をやってるんだ」
そういえば、さっきの入学式でも説明を聞いた気がする。
中学では、特にこれといって打ち込んだものもなかった。
高校では何かやってみてもいいかもしれない。
それが出会いのキッカケになる気がした。
「ちょっと見ていこうかな」
僕は人混みの中へ入っていった。
運動部の前では、いかにもスポーツマンといった先輩たちが声を張り上げている。
「新入生! 野球やろうぜ!」
「未経験者歓迎!」
「マネージャーも募集中でーす!」
ずいぶん賑やかだ。
こういうのを見ると、いかにも高校に入ったという感じがする。
僕が何となく辺りを見回しながら歩いていると――。
「おっ、そこの一年!」
突然、声をかけられた。
「え?」
振り返ると、ジャージ姿の男子生徒が三人立っていた。
胸元には、サッカー部と書かれている。
「お前、一年だろ?」
「あ、はい」
「部活決めた?」
「いや、まだですけど」
「じゃあサッカー部来いよ!」
先輩の一人が、僕の肩を叩いた。
「今日、見学やってるからさ」
「いや、僕、サッカーはあんまり……」
「大丈夫、大丈夫! 初心者もいるから!」
「はあ……」
別にサッカーが嫌いなわけではない。
体育の授業でやれば、それなりには楽しい。
でも、毎日放課後にボールを追いかけたいかと聞かれれば、答えはノーだった。
「どう? ちょっとだけ見てかない?」
「あー……」
断ってもいいんだろうけど。
わざわざ声をかけてくれた先輩に、
『興味ありません』
と答えるのも、なんだか感じが悪い。
僕は曖昧に笑った。
「まあ……考えておきます」
これでいい。
たぶん向こうだって、本気で僕一人にこだわっているわけじゃない。
こう言っておけば、角も立たない。
そう思ったのだが。
「考えとくってなんだよ」
「え?」
「とりあえず来ればいいじゃん」
先輩は僕の肩を抱くようにして、グラウンドの方を指差した。
「見てから決めればいいんだからさ」
「いや、他の部活も見てみたいので……」
「いいって、いいって」
思ったより押しが強い。
僕が困っていると、別の先輩が笑いながら言った。
「高校入ったばっかだから分かんないだろうけどさ」
そして、少し得意げに、
「先輩の言うことは聞いといた方がいいぞ?」
と言った。
「はあ……」
なんだ、それ。
さすがにちょっと筋が違うんじゃないか。
そう思った。
思ったけれど。
ここで言い返して、面倒なことになるのも嫌だ。
僕がまた曖昧に笑って済ませようとした、そのときだった。
「ほう」
後ろから、女の人の声がした。
「面白いことを言うね」
全員が振り返った。
最初に目に入ったのは、切れ長の目に長い黒髪だった。
背が高い。
女子としては、かなり高い方だろう。
すらりとした体つきに、大人びた顔立ち。
同じ高校の制服を着ているはずなのに、僕たちとは何歳も違って見える。
――すごい美人だ。
そう思った直後。
僕は、もう一つのことに気づいた。
制服の上から、白いものを羽織っている。
白衣だ。
どう見ても、理科室の先生なんかが着ている、あの白衣だった。
……なんで白衣?
黒髪の先輩は、そんな僕の疑問など気にも留めず、サッカー部員たちへ近づいていった。
「今、君は先輩の言うことは聞くものだと言ったよね?」
「あ?」
「先に入学した者の言うことを聞くことで、この新入生にはどのような利益があるんだ?」
「……は?」
サッカー部の先輩が眉をひそめた。
「いや、だから。先輩の言うことは聞くもんだろ?」
「なぜ?」
「なぜって……」
先輩は少し考えて、
「そりゃ、先輩の方が偉いからだよ」
と言った。
白衣の先輩は、フッと少しだけ楽しそうな顔をした。
「なぜ偉い?」
「は?」
「先輩だから偉い。偉いから先輩の言うことを聞く。それでは説明が不十分だと思うが?」
「いや、そういうもんだろ」
「だから、なぜそういうものなんだ?」
めんどくさい。
僕はこの人に助けられている側のはずなのに、早くもそう思い始めていた。
「一年早くこの学校へ入学した。それは偉業なのか?」
「……」
「入学試験で百年に一人の記録でも樹立したのか?」
「そんな話してねえよ!」
「では、なぜ一年早く入学したという事実だけで、君の方がこの新入生より偉いということになるんだ?」
サッカー部の先輩が言葉に詰まった。
すると白衣の先輩は、何か思いついたように人差し指を立てた。
「そうだ」
そして、ニッコリ笑う。
「私は三年生だ」
「……え?」
「君たちは二年生だろう?」
「あ、ああ」
「ならば君たちの理屈では、私は君たちより偉いことになる」
嫌な予感がした。
「では、先輩である私の言うことを聞いてもらおうか」
「…………」
自分たちの理屈で、完全に逃げ道を塞がれている。
僕がどうしていいのか分からず黙っていると、サッカー部員の一人が白衣の先輩の顔をじっと見た。
「……おい」
「なんだよ」
「この人……九条先輩じゃないのか?」
「え?」
もう一人も顔を見る。
そして、目を見開いた。
「……マジだ」
なぜか、三人の空気が変わった。
「おい、行こうぜ」
「そうだな」
「じゃ、じゃあな一年! 気が向いたら見学来いよ!」
「あ、はい……」
三人は、ばつが悪そうに足早に去っていった。
白衣の先輩は、その背中を不思議そうに眺めていた。
「なんだったんだ?」
「……たぶん先輩のせいだと思いますけど」
「私の?」
本気で分かっていないらしい。
僕は改めて彼女を見る。
九条先輩。
サッカー部の人たちは、そう呼んでいた。
「あの……」
「ん?」
「ありがとうございました。助かりました」
僕が頭を下げると、九条先輩は不思議そうに首を傾げた。
「助ける?」
「え?」
「私は君を助けた覚えはないよ」
「……はい?」
「彼らの言っていたことが気になったから確認しただけだ」
やっぱりこの人、変だ。
でも、結果として助かったのは事実だ。
「まあ、それでもありがとうございました」
「ああ」
九条先輩は、特に気にした様子もなく頷いた。
これで終わりだろう。
そう思って僕が歩き出そうとすると――。
「ところで君」
呼び止められた。
「はい?」
「さっき、面白いことを言っていたね」
「僕がですか?」
「ああ」
九条先輩は僕を指差した。
「『考えておきます』」
「……はい」
「それで?」
「え?」
「考えはまとまったのかい?」
「…………」
何を言っているんだ、この人。
◇
「ここだ」
「……ここって?」
結局僕は、九条先輩について校舎の奥まで来てしまった。
別に行きたかったわけではない。
『君、少し付き合ってくれないか?』
と言われたのだ。
断ろうかとも思った。
でも、さっき助けてもらったばかりだ。
その直後に『嫌です』と言うのも、感じが悪い気がした。
だから、ついてきた。
……そういえば、僕は今日こればかりだな。
九条先輩が、一つの扉の前で立ち止まった。
そこには、手書きの札が掛けられている。
『現代行動原理研究会』
「…………」
僕はしばらくそれを眺めた。
「なんですか、これ」
「現代行動原理研究会だ」
「それは読めば分かりますよ」
なんだ、その部活。
聞いたことがない。
「遠慮しないで入ってくれ」
九条先輩が扉を開ける。
中は意外にも普通だった。
長机がいくつか。
椅子。
本棚。
ホワイトボード。
窓際には小さな棚があり、その上に電気ケトルまで置いてある。
もっと怪しい実験器具でも並んでいるのかと思った。
「適当に座ってくれていい」
「あ、はい」
「コーヒーでも飲むか?」
「え?」
九条先輩が棚から二つのカップを出した。
「苦手か?」
「いえ、飲めます」
「ならそこに掛けて待っていてくれ」
ケトルに水を入れ、スイッチを押す。
やっていることだけ見れば、普通の先輩だ。
白衣を着ていなければ。
しばらくして、僕の前にコーヒーが置かれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「砂糖は?」
「いえ、大丈夫です」
向かいに九条先輩が座る。
僕もカップを手に取った。
思ったより普通だ。
変わった人ではあるけれど、別に危険な人というわけでもなさそうだ。
コーヒーを一口飲む。
九条先輩も、自分のカップに口をつけた。
そして――。
「さて」
カップを置いた。
嫌な予感がした。
「君、さっき面白いことを言っていたね」
「またその話ですか?」
「『考えておきます』」
「……はい」
「それで、考えはまとまったのか?」
「いや、だからあれは……」
「彼らの部活に入るつもりはあるのか?」
「ありませんよ」
思わず即答した。
「ほう」
「……あ」
九条先輩が僕を見る。
「今は即答できたね」
「いや、それは……」
「では、なぜ彼らには『入りません』と今みたいに言わなかった?」
そんなことを聞かれても。
「だって、いきなり入りませんって言ったら感じ悪いじゃないですか」
「なるほど」
「だから、ああいうときは『考えておきます』って言うんですよ」
「考えるつもりがなくても?」
「そうですよ」
「なぜ?」
「なぜって……」
僕は少し考えた。
「普通、そう言うじゃないですか」
九条先輩の目が、ほんの少しだけ変わった。
「普通?」
「はい」
「普通とはなんだ?」
「……え?」
「君の中に、何かスタンダードが存在するのか?」
「スタンダードって……まあ、そういうものじゃないですか」
「だから、その『そういうもの』とはなんだ?」
「…………」
また始まった。
「最初に君は、彼らに入りませんと言えば角が立つと考えた」
「はい」
「だから、本当は結論が出ているにもかかわらず、結論を保留しているように伝えた」
「そんな大げさな話じゃないですよ」
「私は面白いと思うがね」
九条先輩は、コーヒーを一口飲んだ。
「君の言う『普通』とは、いつできたものなんだ?」
「いつって……」
「生まれたときからか?」
「そんなわけないじゃないですか」
「では、小学生の頃から?」
「……」
僕は言葉に詰まった。
小学生。
そう言われて、昔のことを少し思い出した。
あの頃の僕は――。
今とは、少し違っていた気がする。
休み時間になれば、友達を誘って外へ行った。
何かを決めるときには、自分からあれがいい、これがいいと言っていた。
クラスで何かをやるとなれば、思いついたことをすぐ口にした。
いつからだろう。
そういうことを、あまり言わなくなったのは。
「……中学くらい、ですかね」
気づけば、そう答えていた。
「何かあったのか?」
「いえ、別に……」
中学の三年間を思い出す。
大きな事件があったわけではない。
何か提案したら、
『そこまでしなくてもよくない?』
と言われたこと。
みんなと違う意見を言ったら、微妙な空気になったこと。
『普通、こっちじゃない?』
と言われて、
『ああ、そうだね』
と答えたこと。
一つ一つは、今となっては何があったのかもよく覚えていない。
でも。
なぜだろう。
小学校の頃は、そうではなかったのに。
いつの間にか僕は、先に周りを見るようになった。
みんながどうしているのか。
何を言えば浮かないのか。
何を言えば変に思われないのか。
「……あれ?」
思わず声が出た。
「どうした?」
「いや……」
いつから僕は、
『普通は』
なんて言うようになったんだろう。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。
九条先輩は、そんな僕をしばらく眺めていた。
やがて、少しだけ満足そうに頷いた。
「興味深い」
「何がですか」
「人間は妙なことをすると思わないか?」
「は?」
「嫌なのに笑う」
九条先輩が指を一本立てる。
「断るつもりなのに『考えておく』と言う」
二本目。
「自分の意見なのに『普通は』と言う」
三本目。
「誰が言ったのか確認していないのに『みんなそう言っている』と言う」
「……まあ」
「なぜだと思う?」
「知りませんよ」
「私はそれを知りたい」
九条先輩は、部室を見回した。
「それが、この現代行動原理研究会だ」
「…………」
僕も部屋を見回した。
「それを研究する部活なんですか?」
「そうだ」
「それ、部活にする必要あります?」
「ある」
「即答なんだ……」
変な人だ。
やっぱり変な人だ。
でも。
さっきまでの僕なら、こんなことを考えただろうか。
自分がなぜ『普通』と言うのか。
なぜ、入りたくもない部活に『考えておきます』と言ったのか。
そんなこと、どうでもいいと思っていた。
「君」
「はい?」
「この部活に入ったらどうだ?」
「…………」
僕は九条先輩を見た。
「はい?」
「現代行動原理研究会だ」
「いや、それは分かってます!」
「なら話が早い」
「なんでそうなるんですか!」
思わず声が大きくなった。
九条先輩は平然としている。
口元には、なぜか余裕めいた笑みを浮かべていた。
「現に今、君は自分の考え方について考えるきっかけを得ただろう?」
「それは……」
否定できない。
「高校生活はこれから三年間続く」
九条先輩は椅子の背にもたれた。
「その間、自分がなぜそう考え、なぜそう行動するのかを知ることは、かなり有益だと私は思うがね」
「…………」
「もちろん、私がそう思っただけだ」
九条先輩は、そう付け加えた。
「君が嫌なら入る必要はない」
「え?」
「入ったあとで合わないと思えば、そのとき辞めればいい、私に気を遣う必要はない」
なんだ。
ずいぶんあっさりしている。
さっきのサッカー部とは正反対だ。
先輩の言うことを聞けとも言わない。
普通は部活に入るものだとも言わない。
ただ、
『私は有益だと思う』
と言った。
そして、決めるのは僕だと言う。
「…………」
どうしよう。
正直、面倒くさそうだ。
部活の名前からして意味が分からない。
部長らしいこの人は、学校で名前を聞いただけで運動部員が逃げ出すほどの変人だし。
普通に考えれば――。
「……あ」
まただ。
普通に考えれば。
また普通を考えていた。
僕は自分でおかしくなって、少し笑ってしまう。
「どうした?」
「いえ……」
でも。
ちょっとだけ気になる。
さっきまで僕は、自分が『普通』と言うことを何とも思っていなかった。
今は気になる。
どうして僕はそうなったんだろう。
この人と一緒にいたから?
それが少し分かるのかもしれない。
「……まあ」
言いかけて、僕は止まった。
九条先輩が僕を見る。
僕は少し考えてから、言い直した。
「……少し、興味はあります」
「そうか」
九条先輩は頷いた。
そして、机の引き出しを開けた。
紙を一枚取り出す。
僕の前に置いた。
『入部届』
「…………」
「ここに名前を書けばいい」
「ちょっと待ってください」
「なんだ?」
「なんでそんなすぐ出てくるんですか!」
「新入生勧誘期間だからな。当然だろう?」
「僕をここに連れてきた時点で、入れるつもりだったでしょう!」
「それは君の解釈だ」
「絶対そうだ!」
九条先輩は、涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
僕は目の前の入部届を見る。
今日から高校生。
友達をたくさん作ろう。
放課後はみんなで遊びに行ったりして。
もしかしたら、彼女だってできるかもしれない。
そんな高校生活を想像していたはずなのに。
入学式早々、僕は白衣を着た変人の先輩に完全に言いくるめられ――。
『現代行動原理研究会』
などという、聞いたこともない部活に入ることになっていた。
僕の高校生活。
……本当にこれで大丈夫なんだろうか。
「考えておきます」
「普通はそうする」
そんなに変なことを言ったつもりはなかったんだけどな!?
なのに気がついたら、白衣を着た美人の先輩に部室へ連れていかれ、「普通とはなんだ?」なんて問い詰められていたぞ!
そしてなぜか――
現代行動原理研究会に入部することになってしまった!
友達いっぱい作るぞ!
彼女もできるといいな!
……なんて考えていた僕の高校生活。
本当にこれで大丈夫なんだろうか!?




