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第8話「上位存在の視線」

 “見られている”。

 それは感覚ではなく、確信だった。

 視線というにはあまりにも曖昧で、だが逃れようのない“参照”。目で捉えられているわけじゃない。にもかかわらず、自分という存在が、どこか遠くの何かによって“読み取られている”。

 そんな不快感が、全身にまとわりついていた。

 空間が、静かに沈んでいく。

 いや、沈んでいるのは俺たちの認識か。

 さっきまで見えていた“構造の線”が、徐々に遠ざかっていく。消えたわけじゃない。むしろ増えている。だがその密度が上がりすぎて、ひとつひとつを認識できなくなっている。

 情報量が、桁違いだ。

「……来てるな」

 思わず呟く。

 白峰 澪は、何も答えない。

 ただ、空間の奥――いや、“奥という概念すら曖昧な方向”を見つめている。

「見える?」

 短く問う。

「……いや」

 正直に答える。

「でも、分かる」

「それで十分」

 淡々とした声。

 だがその奥に、ほんのわずかな緊張が混じっていた。

 初めてだ。

 こいつが、“構えている”。

「……あれが、“上位”か」

「うん」

 即答だった。

「正確には、“上位の処理単位”」

「……処理単位?」

 言葉のスケールが、現実から離れすぎている。

 だが、《アナライズ》はそれを否定しない。

 むしろ、肯定する。

 ――対象:未定義

 ――階層判定:上位領域

 ――接触リスク:極大

「……笑えねえな」

 喉が乾く。

 逃げるべきか?

 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。

 だが――

 足は動かない。

 いや、違う。

 動く必要がないと理解している。

 ここで逃げても意味がない。

 あれは、距離で避けられる存在じゃない。

「……来るぞ」

 澪の声が、わずかに低くなる。

 その瞬間。

 空間が、“反転した”。

 上下が逆転したわけじゃない。

 内側と外側が入れ替わるような、そんな感覚。

 世界の“裏側”が、こちらに露出する。

「――っ!」

 息が詰まる。

 視界が、塗り潰される。

 色はない。

 形もない。

 だが“ある”。

 巨大な“何か”が、そこにある。

 認識しようとした瞬間、頭が拒否反応を起こす。

 理解してはいけない。

 見てはいけない。

 そんな本能的な警告。

 それでも。

 《アナライズ》は、止まらない。

 ――対象:照合不能

 ――定義取得:失敗

 ――代替処理:観測継続

「……くそ……!」

 膝が揺れる。

 立っているのがやっとだ。

 だが、隣の澪は違った。

 一歩も動かない。

 ただ、じっとそれを見ている。

 いや、“受け入れている”。

「……お前、平気なのかよ」

 掠れた声で問う。

「平気じゃない」

 即答だった。

「でも、理解できる」

 その言葉に、背筋が冷える。

 理解できる?

 こんなものを?

「……何なんだよ、あれ」

 視線を逸らしながら言う。

 直視できない。

 見続ければ、何かが壊れる。

「“処理”」

 澪は短く言った。

「この領域を管理してる」

「管理……?」

「そう」

 少しだけ間を置いてから、

「あなたみたいな“例外”を検出するための」

 その瞬間。

 空間が、こちらを“捉えた”。

 逃げ場はない。

 隠れる場所もない。

 完全に認識された。

 《アナライズ》が暴走する。

 ――検出:対象識別

 ――照合:一致率上昇

 ――権限確認:開始

「……っ!」

 頭に直接、何かが流れ込んでくる。

 言語じゃない。

 感情でもない。

 ただの“確認”。

 ――お前は何だ。

 そう問われている。

「……知らねえよ……!」

 思わず叫ぶ。

 だがその声は届かない。

 言葉という形式が、ここでは意味を持たない。

 その代わりに。

 “情報”が返される。

 ――未定義

 ――例外

 ――再照合

「……橘」

 澪の声が聞こえる。

「応答して」

「は?」

「言葉じゃない」

 すぐに続く。

「“構造で”返して」

 意味が分からない。

 だが、《アナライズ》が反応する。

 ――応答手段:構造干渉

 ――推奨:簡易定義提示

「……ふざけてるな」

 笑いが漏れる。

 こんなやり取りが成立するのか。

 人間と、“あれ”の間で。

「……なら」

 意識を集中させる。

 さっき見えた“線”。

 あれを思い出す。

 触れる。

 選ぶ。

 定義する。

 ――“人間”

 頭の中で、言葉ではなく“構造”としてそれを組み立てる。

 曖昧で、不完全で、だが確かな輪郭。

 それを、そのまま投げる。

 空間へ。

 “あれ”へ。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間。

 何かが、止まった。

 圧が消える。

 視線が緩む。

 空間の歪みが、わずかに収まる。

 ――識別:暫定承認

 ――分類:人間(例外個体)

 ――処理:継続監視

「……は?」

 呆然と呟く。

 今、何が起きた?

「通った」

 澪が静かに言う。

「最低限の識別はされた」

「……それでいいのかよ」

「良くはない」

 即答だった。

「でも、消されるよりはマシ」

 その言葉に、背筋が凍る。

 つまり今のは――

 消去の判断だった可能性がある。

「……冗談じゃねえ」

 息を吐く。

 だが状況は終わっていない。

 むしろ、ここからが本番だ。

「……で、どうする」

 視線を戻す。

 “あれ”はまだいる。

 ただ、さっきほどの圧はない。

 観測状態に移行した。

 そんな感じだ。

「進むしかない」

 澪は迷わず言った。

「ここで止まれば、また照合される」

「……面倒だな」

「だから先に行く」

 シンプルな理屈。

 だが正しい。

 ここは“処理の場”だ。

 留まること自体がリスクになる。

「……分かったよ」

 小さく息を吐く。

 覚悟なんて、もうとっくに決まっている。

 ここまで来た時点で、引き返せる場所はない。

「行くぞ」

 一歩、踏み出す。

 空間がわずかに揺れる。

 だが今度は、崩れない。

 “許可されている”。

 そんな感覚。

 澪も無言で続く。

 二人並んで、さらに奥へ。

 未確定の領域の、その先。

 処理の中心へ。

 背後で、“上位”の視線がわずかに動いた。

 だが、もう止められない。

 俺たちは、既に“内部”に入っている。

 そして。

 この先にあるものは、もう――

 ダンジョンの崩壊なんてレベルじゃない。

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