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第3話


 コンコン。

 ノック音があった。


「――入りますよ」


 ハッと我に返ったアレクサンダーが許可を与える間もなく扉が開かれる。

 

「は……母上!? ……ま……まだ!」


 入ってきたのは彼の母ネリー。

 悪気はないのか、彼女は無垢な少女を思わせるふわりとした笑みを浮かべて首を傾げる。

 その後ろには当然のように年齢不詳の侍女ジェシカが控えていた。

 母の王女時代からの側付きで、動きが()()()()()()のそれ。

 アレクサンダーは慌ててあざを隠すようにズボンの裾を下ろした。 

 ネリーはそんなうろたえる息子を無視して屈み込むと、下ろされたばかりのズボンをグイっとたくし上げる。


「……あぁ」


 アレクサンダーは耳を赤くして顔を伏せた。

 その間もネリーはじっと内出血で変色した彼のすねを見つめている。

 彼女がショックを受けていないか、彼は息を殺してその顔を盗み見た。



 母ネリーは王族として、そして令嬢としての教育は厳しく受けてきたものの、暴力だとかそういう荒事からは無縁なところで大切に育てられてきたと聞いていた。

 降嫁を受けた侯爵家も同様に、細心の注意を払い今なおそういう血生臭いセカイと彼女とを切り離している。

 息子であるアレクサンダーも、まだ幼いながら母を『守るべき存在』と認識していた。


「……ふふふふ、ははは!」


 その心配と裏腹に、何故か彼女は肩を揺らせて笑い出すのだ。

 淑女の(かがみ)とされているはずの母が声をあげて笑うというその珍しい光景に、彼はただただ戸惑う。


「これはまた思い切りやられましたね?」

 

 随分と楽しそうだ。

 息子の負傷を見てのその反応はどうなのかと、アレクサンダーは少しだけ頬を膨らませる。それを見たネリーは再び可笑しそうに声をあげて笑うのだ。

 

「……()()()()()()()()()()が、ニナはローランド殿の娘でもありましたね」


 世間では『あの社交嫌いで有名な辺境伯の娘』という絶大なインパクトでもって社交界を席巻(せっけん)しているニナ。

 しかし母にとっては失念しがちな事項らしい。

 母が肩越しに視線だけで合図すると、ジェシカは予備動作すらなく金属製のケースを取り出し、そっと主人の手のひらに乗せる。そして無駄のない流れる手つきで蓋を開いた。

 母はそこにあった粘性を持つ半透明の何かを指数本で(すく)うと、アレクサンダーの脛に塗り込み始める。


「ひぁッ!」


 予想していなかった冷たさに身体が震えた。


「……じっとなさいな」


 母は口元だけで微笑を浮かべながら、入念にそれを塗り込む。

 スースーして気持ち良かった。

 熱を持って()れていた脛の痛みが引いていく。


「いつの間にか男の人の身体になってきているのですね」


 ネリーは感慨深げに呟きながら、アレクサンダーの脛をさすり続ける。

 こういった触れ合いは記憶の無い幼子(おさなご)の頃は別として、彼の知る限り初めてのことだった。

 そのせいか少々居心地が悪い。

 助けを求める様にジェシカを見つめるのだが、例によって彼女は『好きなようにやらせてあげてください』とでも言いたげに小さく頷くのみ。

 仕方なく彼は、神妙な顔で薬を塗り続ける母の横顔を眺めるのだった。



 一段落したのか母ネリーが息を吐き、口を開いた。


「まさか、このまま『やられっぱなし』……などということは――」


 その言葉を遮り、アレクサンダーは「あり得ません!」と即答する。


「……当然でしたね。貴方はこの私の息子なのですから」


 母は満足そうに頷いた。

 アレクサンダーを見つめる彼女の瞳に光が灯る。

 悪意を持つ相手次第では『闘争心』とも受け取られかねない、そんな母に似つかわしくない物騒で挑発的な光が。

 彼の背筋に冷たいものが伝った。


「先に一つ、注意だけ済ませておきましょう」

 

 穏やかな表情のまま、瞳だけを剣呑に輝かせる母ネリーの声がやけに神々しく聞こえる。

 アレクサンダーは無意識のうちに背筋を伸ばした。




「――ニナとやり合うのは大いに結構です。存分になさい。……ただ、やり過ぎはいけません。そして侯爵家男子たるもの、紳士的でない行為も絶対に認められません。……何事にも()()()というものが存在するのです」


(そうか! これは()()()だったんだ!)


 母の告げたルールという言葉がアレクサンダーにニナとの関係の一部を理解させる。


「――いい目になりましたね」


 母は彼の反応を待っていたと言わんばかりに頷いた。


「無茶さえしなければ、周囲の雑音は私が封じましょう。これでもいまだ王位継承権を持つ身。それなりの力は持っています。……ただし、目に余ることがあればそのときは黙っていませんからそのつもりで」


 それはアレクサンダーの耳に『ルールの範囲内でなら、ある程度自由にやってもいい』と聞こえた。


(……そのうえ、一線を越えた時はきちんと警告してくれるという()()()まで?)


 彼の確認の視線にネリーは小さく笑みを浮かべて悠々と頷く。

 肉体的に痛めるのは紳士的な行為ではないから不許可。

 では精神的に追い詰めるのは?

 

「――ニナは私の厳しい令嬢教育に耐えられるほどに、心の(つよ)い娘ですよ」


(……今、了承を得た)


 多少のことでは潰れないとのお墨付きまで。 

 だけど本当にそれでいいのだろうか?

 ニナのことを尋常ではないほど可愛がっている母が、それを許すのか?

 

「貴族には貴族の戦い方があります。……貴方の御父上は、それはそれは大変()()()でしてよ?」


 母は穏やかな微笑みを浮かべながら、淑女らしからぬ強烈な一言を放つ。

 子供ながらに父が周囲から恐れられているのは知っていた。

 おそらくウラで相当なことをやってきたのだろう。

 だけどそれは貴族として生きていくために必要だからであって。

 家族を守り、領民を守り、国を守る。

 何より侯爵家のメンツを守る。

 すべてはその為に。

 これは次代である彼にも求めれること。

 ……母のその言い方は、まるで『それをニナにぶつけろ』と告げているようで。



 ネリーはアレクサンダーに薬の缶を手渡しながら、耳元でそっと囁く。

 

「頑張りなさい私の息子。……()()()の娘に負けたりしないでね?」

 

 それは氷菓子のような――とても甘く、冷えた声だった。


(……母上?)


 ハッとした彼がネリーを見つめるも、彼女はニナよりも美しく無駄のない動きで空気すら揺らさず立ち上がる。

 そしていつものふわりとした笑みを浮かべて彼に背を向けた。


「楽しみにしているわ。……貴方の戦い方を」


 彼女は肩越しにそれだけ告げ、ジェシカを従え去っていった。

 アレクサンダーは無言でそれを見送ることしか出来ない。

 音もなく扉が閉められ、ようやくホッと一息。


(……母上は僕のような未熟者に守られてくれるような、生易(なまやさ)しい方ではなかった)


 彼は知らず肩に入っていた力を抜いた。

 


 

 母が出て行ったあと、アレクサンダーは手元にある缶の文字をじっと見つめて心を落ち着かせていた。


「……バーネット? ……いやヴェルネか?」


 最近覚えたハーミル語。

 かの国の大穀倉地帯ヴェルネ地方の薬なのだろう。

 辺境伯領でしか出回っていなかったハーミル国由来の商品も、最近では王都や侯爵領にも入り始めた。

 両国に積極的な友好関係が生まれたのは、かの国の公爵令嬢ラウラが辺境伯ローランドに嫁いだことに始まると言われている。

 周り回ってそれが自分の脛を癒してくれるとは、なんと数奇(すうき)な。


「いやいや……そもそもこのあざの原因こそが彼女の忘れ形見による容赦ない蹴りなんだケド」


 因果が綺麗に一周し、アレクサンダーは思わず『ふふっ』と笑い声を零す。

 そして大きく深呼吸。

 本格的に思考の海に沈み始めた。

 

(……貴族ならば貴族らしく、か)


 ここは情報戦で勝負だろう。

 常に先手を取れるよう、質より量で押し流す。

 古今東西。

 老若男女。

 永久不変。

 アレクサンダーはベッドに仰向けで寝転がり、策を練り始めた。



 俗手(ぞくしゅ)大いに結構。

 なぜこれだけ多用されても(すた)れずに現世まで残り続けるのか、その意味を考えれば如何に有用かが分かるというもの。

 得意な戦場に誘い込み、力の差でねじ伏せる。

 それが最も勝利に近い道。

 ゆえに王道。

 妙手(みょうしゅ)だけが良策にあらず。


『――むしろ歴史を華やかに(いろど)乾坤一擲(けんこんいってき)の妙手なんてシロモノは、追い込まれた末に繰り出された博打バクチやハッタリの要素が強かったりする。……天上の先人たちもそんなモノに頼らざるを得なかった未熟さを後世の我々にまで知られ、あまつさえ、したり顔で懇切丁寧(こんせつていねい)に解説する者まで現れるなど、恥の上塗りでしかないと苦虫をかみつぶしていたりしてな?』


 これは辺境伯ローランドと親交を深めた際に出てきた言葉だ。

 さすが我が国の誇る歴戦の将は言う事が違うと尊敬を新たにした。

 いつまでも何度でも教えを乞いたいと思えた。

 母から教わっている令嬢教育を投げ捨てた戦い方しか出来ないニナとの格の違いを見せてやろうとアレクサンダーは意気込む。




「……さて」


 噂をばら撒くにはそれなりの技術がいるだろうことは分かる。

 そういったモノは父の背中から盗むしかないのだろう。

 母もそう言っていた。

 幸いなことに時間はまだまだ残っている。

 彼の足が悲鳴を上げているが、まもなく社交シーズンも終わる。

 さすがに侯爵領までニナの蹴りが追尾してくることはないはず。

 

(――さぁ、そろそろ反撃させてもらうとするよ。……思う存分僕に惚れるがいい。『婚約破棄しないでください、何でもしますから』と(すが)りついておいで。そのときは……優しく抱きしめて全部全部許してあげる)


 許された彼女がそのとき自分にだけ見せるであろう最高の笑顔を想像し、彼はふわりと母そっくりの微笑みを浮かべた。





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