【第5章】レンズの向こうに広がる景色
生活に少しだけ余裕とリズムが生まれたある日、SNSのタイムラインに流れてきた広告が目に留まった。
それは、街の小さなスタジオで開かれている『初心者向けのカメラ・写真教室』の案内だった。
スマホでの日常の切り取り方から、一眼レフの基礎までを楽しく学べるというもの。
以前おじいちゃんが使っていたカメラを貰ったものの、イマイチ使い方が分からずそのまま面倒くさくなり、インテリアとして置きっぱなしのカメラが視界に入った。
いつもなら「私なんてお洒落な趣味は似合わない」とスルーしていたはずだったが、なぜかその日は、自分の直感を信じて申し込んでみ
た。
「よろしくお願いします……」
初めてスタジオの扉を開けたとき、心臓はバクバクと鳴っていた。
でも、そこにいたのはプロのモデルでも華やかなイケメンでもない。
年齢も職業もバラバラな、カメラを首から下げたごく普通の大人たちだった。
講師に教わりながら、スタジオの隅に置かれたアンティークの置物や、窓際のグリーンにレンズを向けてシャッターを切る。
構図を変えるだけで、見慣れた日常の景色がまったく違ったドラマチックな世界に生まれ変わる瞬間が、たまらなく面白かった。
「あ、それいいアングルですね」
隣の席で同じように四苦八苦していた、少し日焼けした眼鏡の男性が声をかけてくれた。
名前は健太さん。
近くの設計事務所で働いており、休日に建物の写真を撮るのが好きだという。
利害関係も、背伸びをする必要も一切ない。
ただ「写真を撮る楽しさ」を共有しながら、お互いの写真を見せ合って「いいですね!」と盛り上がりながら撮影をしていく。
そんな何気ない会話の心地よさに、私は胸が温かくなるのを覚えた。
そして、チケットの有効期限が完全に切れたその日の夜。
スマホの画面をもう一度開いてみたが、あの怪しいサイトのページは綺麗に消え去り、ただの検索履歴だけが残っていた。
もう未練はない。私は自分の足で、この現実を歩いている。
鏡の前に立つと、劇的にモデルのような体型になったわけではないけれど、姿勢は以前よりまっすぐになり、表情には自然な血色と自信が宿っていた。
会社の事務仕事でも、自分のペースを守ることでミスも減り、最近では後輩から
「みずきさん、これどうすればいいですか?」
と頼られることが増えた。
週末は写真教室に通い、自分で切り取ったお気に入りの風景をカメラの液晶で眺める。
そして、そこで出会った健太さんとは、今度一緒に写真を撮りに出かける約束をしている。
背伸びをせず、笑いたいときに笑い、困ったときは困ったと言える関係がそこにはあった。
完璧じゃなくていい。
モデルのような特別さはなくても、今の等身大の自分を愛して、毎日を少しずつ面白がっていく。
私は深く深呼吸をして、新しい朝の光に向かって晴れやかに微笑んだ。




