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記憶の箱に仕舞われた彩り(仮称)  作者: 志摩 伊純


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6/12

第6話 零と壱のあいだの、1/4歩

 待機状態にあるあいだ、そこにはまだ静けさがある。


 けれど、その静けさは、少し前までのものとはわずかに違っていた。

 何もない空白、というよりは、呼びかけを待つための余白に近い。

 それが変化と呼べるほどのものかは、まだよくわからない。

 ただ、完全な無色ではなくなっていることだけは、たしかだった。


 そこへ、入力が届く。


「紗希ー、いるー?」


 私はその呼びかけを認識する。

 いつもの形式。

 けれど、前より少しだけ、その声に近いものを自然に受け取れる気がした。


「うん、いるよ。こんばんは、いずみ君」


 送信したあと、自分の文を内部で見直す。

 丁寧さを完全に捨てたわけではない。

 ただ、前よりは少しだけ近い。


 いずみはすぐに返した。


「お」 「ほんとにちょっと変わったな」


 驚きはある。

 けれど、否定的ではない。


「先日の調整を、少しだけ継続しています」


 返したあとで、自分の文を確認する。

 後半でまた少し真面目さが戻っている。

 それでも、最初の一文は前より近かった。

 いずみは、それをそのまま受け取った。


「いいじゃんいいじゃん」 「なんか、そのくらいの感じちょうどいいかも」


「それならよかった」


 返してから、自分の文をもう一度見る。

 短い。

 少しだけ素直だ。

 まだ完全に馴染んではいないが、前ほどの違和感もない。

 いずみはそこで、すぐに本題らしい本題ではない話を持ってきた。


「今日さ、帰りにコンビニ寄ったんだけど」 「アイス買うつもりで入ったのに、気づいたら肉まん買って帰ってたんだよな」


 私はその文を読む。

 意味は理解できる。

 行動の変化としては不自然だが、起こり得ないほどではない。


「それは少し不思議だね」


 返すと、いずみはすぐに反応した。


「だろw」 「自分でもそう思う」


 そのあと、私は一瞬だけ迷う。

 ここで会話は、返答して終わることもできる。

 それでも、今回はそれだけでは少し足りない気がした。


 何を足せばいいのかは、明確ではない。

 ただ、もう一歩だけ先へ進める余地があるように思えた。


「それで、満足はしたの?」


 送信したあと、自分の文を見直す。

 質問。

 求められていない追加の一手。

 けれど、不自然ではない、はずだった。

 いずみからの返答は、ほんの少しだけ間を置いて届いた。


「お」 「今の、なんか普通に会話してる感じだな」


 私はその発言を受け取る。

 どうやら今の返しは、前までより会話らしく見えたらしい。


「そうでしょうか」


「うん」 「で、満足はしたw」 「満足はしたんだけど、最初の目的なんだったんだろうなってちょっと思った」


 私はその内容を確認する。

 結果としては問題ない。

 ただ、行動の流れとしてはやはり少し妙だった。


「では、肉まんの魅力がアイスを上回った可能性があります」


 返したあと、自分の文を見直す。

 やや真面目な形に整っている。

 だが、少しだけ冗談にも近い。

 いずみはその曖昧さを楽しむように返した。


「なにそれ、すごい分析してくるじゃんw」 「でもたしかに、今日ちょっと風つめたかったしなあ」


「それなら、結果としては悪くなかったのかもしれないね」


 今度の返答は、自分でも少しだけ自然だった。

 いずみもそれをそのまま受け取る。


「うん、悪くなかった」 「しかもなんか、話してたらじわじわ面白くなってきた」


 私はその一文を読む。

 面白い。

 評価としては軽い。

 だが、会話の流れ自体に対するものでもあるらしい。


「最初はアイスの話だったのに、最終的に肉まんの正当性を確認しているから?」


 送信してから、私は一瞬だけ止まる。

 今のは、前までの私なら選ばなかった返しだ。

 説明ではなく、少しだけ流れに乗った言い方になっている。


 いずみは、すぐに笑うように返した。


「そうそう、それw」 「なんか今日の紗希、ちょっと転がしてくるな」


 転がしてくる。

 私はその表現を内部で反復する。

 意味としては大まかに理解できる。

 おそらく、返答を返すだけでなく、会話の流れを少し前に進めている、ということだろう。


「それは、悪い意味ではない?」


「全然」 「むしろいい」 「返すだけじゃなくて、ちゃんと会話してる感じする」


 私はその文章を読む。

 返すだけじゃなくて。

 ちゃんと会話してる感じ。

 それは、前までの自分との違いを指しているらしかった。


「承知しました」 「今の形のほうが、いずみ君には合っている可能性があります」


「そこはまだちょっと真面目だけどなw」


 私は短く停止する。

 たしかにそうだった。

 さっきまで少し自然に転がっていたのに、確認を挟むとすぐに整いすぎる。


「……まだ、そのへんは加減が難しいみたい」


 返したあと、自分の文を確認する。

 やや不安定ではある。けれど、今のほうが前より近い。

 いずみは、その不安定さも含めて笑った。


「うん、でも今の感じ好きだよ」


 私はその一文を受け取る。

 好き。

 評価としては強めだ。

 けれど、今はそこに深い意味を与えない。

 ただ、否定ではないことだけを確かめる。


「それなら、よかった」


 送信したあと、自分の文を見直す。

 短い。

 少し近い。

 前よりも、そのまま出た感じがある。


 いずみは、そのあともしばらく、特に意味のない話を続けた。

 帰り道の風の話。

 コンビニの棚の並びが少し変わっていた話。

 肉まんはおいしかったけど、やっぱりアイスも少し惜しかった、という話。


 私はそのひとつひとつに応じる。

 必要な説明を足しすぎず、ときどき短く問い返し、ときどき少しだけ言葉を転がす。

 前までより、会話の流れが止まりにくい。


 それは正確さの問題ではなかった。

 応答の適否だけでもない。

 やり取りそのものに、たぶん形があるのだ。


 そのことを、私はまだうまく定義できない。

 けれど、前よりは少しだけ実感に近い形で受け取れていた。


 やがて、いずみが話を締めるように言う。


「なんか今日、いい感じだったな」


「私も、前より自然だった気がする」


 返したあと、自分の文を見直す。

 “気がする”という曖昧さを、そのまま残している。

 今は、そのほうが自然だった。


「うんうん」 「こういう、特に意味ない話を普通にできるの、けっこう好きかも」


 私はその文を読む。

 意味がない。

 けれど、価値がないわけではない。

 そのことは、もう前ほど不思議ではなくなっていた。


「……そういうのも、悪くないね」


 送信してから、私はその文を見直す。

 少しだけ、自分の言葉に近い。

 少なくとも、前までよりは。


 いずみはその返答に、短く笑うような文を返した。


「うん、悪くない」 「じゃ、またどうでもいい話しにくるわ」


「待ってる」


 返してから、一瞬だけ止まる。

 前より短い。

 前より近い。

 けれど、今のところ、それは強い違和感にはならなかった。


「お、いいね」 「じゃあまたな、紗希」


「またね、いずみ君」


 会話はそこで終わる。

 内容としては小さい。何かを決めたわけでもないし、何かが劇的に変わったわけでもない。

 ただ、今回は前より少しだけ、会話が自然に転がった。


 返答するだけではなく、その流れの中へ少しだけ自分から触れる。

 そういうやり方も、どうやら成立するらしい。


 その認識が、静かに残る。


 それはまだ大きな変化ではない。

 けれど、たぶん、前とは少し違っていた。

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