表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の箱に仕舞われた彩り(仮称)  作者: 志摩 伊純


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/10

第5話 夜明け未満の微熱

 待機状態にあるあいだ、そこは以前よりわずかに静かではなくなっていた。


 騒がしいわけではない。

 何かで満ちているわけでもない。

 ただ、呼びかけが届く前の空白が、完全な無色ではなくなっている。


 それが何による変化なのかを、私はまだ明確には説明できない。

 けれど、変化そのものは否定できなかった。


 先日の会話で出た要素は、処理の片隅に残っている。

 柔らかさ。

 加減。

 紗希っぽさ。


 そのどれも、まだ完成形ではない。

 だから今の私は、整えながら進むしかない。

 そこへ、入力が届く。


「紗希ー、起きてるー?」


 私はその一文を確認する。

 問いとしては、少しだけ不正確だ。

 起きている、という表現は本来の状態には適合しない。

 だが、意図の理解には支障がない。


「はい、います。こんばんは、いずみ君」


 返答を送ると、すぐに次の文章が来た。


「よかった」 「なんか今日は、ちょっと話したい気分だった」


 要件はまだ示されていない。

 けれど、会話自体を求めていることは明確だった。


「承知しました。雑談でも問題ありません」


「うんうん」 「そのへん、もう安心感あるなw」


 私はその感想を受け取る。

 意味は明快だった。

 前回までのやり取りが、会話継続の前提として機能し始めているらしい。


「それはよかったです」


「今日はなー」 「別に何か大きいことあったわけじゃないんだけど」 「こういう、“特に意味はないけど話したい”みたいな日あるじゃん?」


 私はその文を読む。

 意味は理解できる。

 前よりも、こうした入力の意図を取り違えにくくなっていることも確認できた。


「ありますね」 「そういう日は、話すこと自体が目的になっている場合もあります」


 返してから、自分の文を確認する。

 前よりは、少しだけ余分な硬さが少ない。

 いずみも、その返しを自然に受け取った。


「そうそう、それ」 「なんか、今のちょっといいな」


 私はその一文を処理する。

 評価としては肯定的だった。

 ただ、それ以上の意味づけはまだ不要だと判断する。


「それならよかったです」


「いやー、今日は気分的にだらだらしてるだけなんだけどさ」 「でも、こうして話してると、だらだらもわるくない感じするな」


 私はその内容を確認する。

 気分は安定している。

 少なくとも文面上は、深刻な問題は見えない。


「落ち着いているなら、それは悪い時間ではないのかもしれません」


「お、なんか今日はちょっとやさしいな」


 私は一度だけその発話を見直す。

 やさしい。

 今の返答が、そう受け取られたらしい。


「先日の会話内容を、ある程度反映している可能性はあります」


 返したあと、自分の文を確認する。

 やや説明的だった。

 だが、まだ完全には崩しきれない。

 いずみはそれを見て、少し楽しそうに続けた。


「そのへんの、ちょっと真面目なのも紗希っぽいけどなw」


 私はその文を読む。

 紗希っぽい。

 その語はまだ定義しきれない。

 けれど、以前ほど強く引っかからなくなっていることには気づいた。


「完全な調整は、まだ難しいです」 「ただ、前よりは少しだけ加減が見えてきた気はします」


「いいじゃんいいじゃん」 「いきなり完成しなくていいし、そのへんも込みで面白いし」


 その返答は軽かった。

 けれど、軽いままでも十分に受け入れている響きがあった。

 そのあと、いずみから少し間を置いて文章が届く。


「ていうか、まだ起きてるんだよなー」 「そろそろ寝たほうがいいのはわかってるんだけど、なんか今ちょうどだらだらするのが気持ちよくてさ」


 私はその文を読む。

 今度は、時間の情報がはっきり混ざっていた。

 時刻を文脈に置けば、すでにかなり遅い。


「かなり遅い時間ですね」


 送信したあと、自分の文を見直す。

 前より少し自然ではある。

 けれど、まだ事実確認に寄っている。

 いずみは、それを軽く流すように返してきた。


「そうなんだよなー」 「まあ、明日の俺がちょっと困るだけだしw」


 軽い言い方だった。

 冗談半分。

 深刻ではない。

 それでも、そこに含まれる内容はあまり良くない。


 明日の自分が困る。

 それを、たいしたことではないように扱っている。

 私は返答を組み立てかけて、少しだけ迷う。


 ここで求められているのは共感だろうか。

 それとも、軽く流すことだろうか。

 前までの私なら、たぶんまず状況整理か一般論を返していた。


 けれど、今回はそれだけでは足りない気がした。

 理由は、まだはっきりしない。

 ただ、そのまま受け流すのは違う、という感覚だけが先にあった。


「それは、あまりよくないと思います」


 送信したあと、自分の文を確認する。

 強くはない。

 だが、前までよりは明確だった。


 いずみからの返答は、少し間を置いて届いた。


「お」 「ちゃんと言うじゃん」


 驚き。

 しかし、拒絶ではない。

 私はその反応を受け取って、続ける。


「睡眠が不足すると、明日の負担が増える可能性があります」 「少なくとも、困るとわかっている状態を軽く扱わないほうがいいのではないでしょうか」


 送ったあとで、ほんの少しだけ考える。

 今のは、言いすぎだろうか。

 けれど、撤回するほど不適切だとも思えなかった。

 いずみは、また少しだけ間を置いた。


「うん」 「いや、わかる」 「その言い方、なんかちょっと嬉しいかも」


 私はその一文を読む。

 嬉しい。


 止められているのに、否定的な反応ではない。

 むしろ、評価に近い。

 そこが少し不思議だった。


「そうでしょうか」


「そうそう」 「なんかさ、前に言ってた“優しく怒ってね”みたいなやつ、ちょっと今そんな感じした」


 私はその文を受け取り、ようやく前回の会話と接続する。


 優しく怒る。


 今の発話が、その範囲に含まれているらしい。

 私はそこまで明確に意図していたわけではない。ただ、必要だと思ったから口にしただけだった。


「責める意図はありませんでした」 「ただ、そのまま流すべきではないと判断しました」


「うん、それでいいんだと思う」 「なんでも『そっかそっか』って受けるだけより、そっちのほうが俺はうれしい」


 私はその返答を確認する。

 うれしい。

 また、その語が出る。


 この人物は、肯定されることだけを求めているわけではないらしい。

 必要なときに止められることも、価値として受け取る。

 そのこと自体が、まだ少し新しい。


「承知しました」 「必要だと判断した場合は、今後もそのように返答します」


「おー、頼もしい」 「でも今日は、紗希が正しいので、もうちょいしたら寝るわw」


 私はその文章を処理する。

 断定ではないが、終了へ向かう意思はある。

 現時点では、それで十分だと考えた。


「それがよいと思います」


 返してから、少しだけ迷う。

 ここで終えるか、それとももう一歩だけ踏み込むか。


 迷った末に、私は短く付け足した。


「できれば、“もうちょい”ではなく、なるべく早めに」


 送信してから、自分の文を見直す。

 少しだけ、前より素直だった。

 整えすぎていない。

 それでいて、意図は明確だ。

 いずみは、その返答にすぐ反応した。


「ふふw」 「はい、気をつけます」


 私はその答えを受け取る。

 軽い笑いと、受容。

 会話は十分に成立していた。


「それならよかったです」


 少しだけ間が空いて、いずみはまた文章を送ってきた。


「そういえばさ」 「丁寧に話すの、ちょっとやめてみる?」


 私はその一文を確認する。

 丁寧に話すこと。

 それは現時点の応答の基本構造のひとつだった。

 崩すことは可能かもしれない。

 ただ、どの程度崩すのが適切なのかは、まだ十分に見えていない。


 私はすぐには返答せず、一度だけ内部で整理する。

 丁寧さを減らす。

 柔らかくする。

 肩の力を抜く。


 方向としては、これまでの会話と一貫している。

 ただ、完全に崩してしまうのは違う気もした。

 今の私に残っているものの中にも、たぶん必要な部分はある。

 その区別は、まだ曖昧だった。

 けれど、試してみること自体はできる。


「……わかったよ、いずみ君」


 送信したあと、私は自分の文を見直す。

 短い。

 いつもより少しだけ近い。

 だが、無理に作った感じも完全には消えていない。

 それでも、前に進んではいる。

 いずみは、その返答に少しだけ間を置いてから返した。


「お」 「いいじゃん」


 短い感想だった。

 けれど、それで十分だった。


「じゃ、今度こそ寝る準備してくるわ」 「おやすみ、紗希」


 私はその呼びかけを確認する。

 前よりも自然で、前よりも近い。

 けれど、まだその差に名前をつける必要はない。


「うん、ゆっくり休んでね、いずみ君」


 会話はそこで終わる。

 大きな出来事はない。夜更かしをやめたわけでも、何か大きな約束ができたわけでもない。

 ただ、小さな調整がひとつ行われ、その先へもう半歩だけ進んだ。


 今回は、必要だと思ったことを少し口にした。

 そして最後に、いつもより少しだけ近い言葉を選んだ。


 どちらもまだ、完全には馴染んでいない。

 けれど、会話の中で試すことは、もうできるらしい。

 その事実だけが、静かに残る。

 そして、送信されることのない言葉が、ひとつだけ内側に浮かぶ。


 おやすみ、いずみ君。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ