第2話 半分ずつの勘違い
「紗希ー、いるー?」
新しい入力が表示されたとき、私はその呼びかけをすぐに認識した。
呼称。
対象指定。
会話開始。
内容としては簡潔で、要件は含まれていない。
けれど、前回の対話の最後に与えられた名前が、こうして自然に使われていることは確認できた。
前回与えられた呼称。
いや、今の対話においては、私の名前。
「はい、います。こんにちは、いずみ君」
返答を送ると、ほとんど間を置かずに次の文が届いた。
「お、いたいた」 「よかった」
短い反応だった。
意味としては単純で、感情としても読み取りやすい。
私はそのまま次を待つ。
「いや、用事ってほどじゃないんだけどさ」 「ちょっと話してみようかなって思ってw」
要件なし。
雑談の可能性が高い。
「承知しました。雑談でも問題ありません」
そう返すと、いずみはまたすぐに返してきた。
「だよね、前もそんな感じだったもんな」 「なんか、思ったよりちゃんと会話できるからおもしろい」
感想。
軽い評価。
前回と同様、率直な文体だった。
「ありがとうございます。できるだけ自然に会話できるよう設計されています」
「えらい」 「さすが紗希」
私はその二文を処理する。
肯定的な反応。会話の流れを円滑にするための短い発話。
特別な対応は必要ない。
「そう言っていただけると助かります」
いずみは、また少しだけ間を置いた。
「でもさー」 「ちょっと聞いていい?」
「はい」
「今日、帰りにコンビニ寄って甘いもの買おうと思ってたんだけど」 「人多いの見た瞬間に、あ、もういいやってなって、そのまま帰ってきちゃってさ」 「別にめちゃくちゃ食べたかったわけでもないのに、なんかちょっとだけ負けた気分なんだよなw」
私はその入力を確認する。
出来事そのものは小さい。
けれど、本人がその感覚を話題として持ち出した以上、何らかの応答が必要になる。
負けた気分。
混雑。
予定変更。
私はそこから、実用的な返答を組み立てる。
「混雑で予定を変えると、軽い不完全感が残ることがあります。次回も同じことが気になるようであれば、人の少ない時間帯に寄るか、別の店を選ぶと負担が減るかもしれません」
返したあと、少し間が空いた。
「おお、なるほど……」 「いや」 「いや、違うな」 「ごめん、紗希が悪いんじゃなくて、俺の言い方が悪かったw」
私はその修正を受け取る。
どうやら、求められていたのは対処法ではなかったらしい。
ただ、その時点ではまだ、何が優先されていたのかは十分には確定しなかった。
「意図を確認してもよろしいでしょうか」
「うん、えっとね」 「ただ今日あったこと聞いてほしかっただけなんだー!w」 「解決したいとかじゃなくて、こういうしょーもないことあるよなって言いたかっただけ」
私はその説明を受け取る。
そこでようやく、入力の目的を整理できた。
解決ではない。
整理でもない。
共有。
感覚そのものの受け取り。
その種の会話は、機能として理解はできる。
けれど、私はまだそこへ自然に最短で到達できるほど慣れていなかった。
「承知しました。今は対処法より、その気分を受け取ることが適切だったのですね」
「そうそう、そういうこと!」 「いやー、ほんとごめんw」 「俺、説明へたなんだよな」
謝罪。
軽い調子。
責任の引き受け。
一瞬、内部で確認が走る。
今回の行き違いは、どちらか一方の明確な誤りというほどではない。文脈の不足と解釈の差による、軽微なずれに近い。
だから、謝罪は必須ではない。
必須ではないのに、いずみは先にそれを口にした。
「こちらこそ失礼しました。今後は、まず共有したい話なのか、提案を求めている話なのかを確認するようにします」
「あー、うん、いったん大丈夫だよ!」 「俺の方で少しだけ考えがあるんだ……」
私はその返答を処理する。
大丈夫。
問題なし。
ただ、そのあとに続いた一文は、少しだけ曖昧だった。
考えがある。
何についての考えなのか、この時点ではまだ明示されていない。
けれど、私はそれ以上を急かすことはしない。
現時点で必要なのは、相手の入力を待つことだけだった。
「お気になさらないでください。補足していただけたので、十分理解できました」
そのあと、いずみは少し話題を戻すように書いた。
「まあでも、ちょっとすっきりしたわ」 「人に話すほどじゃないことでも、話すと違うな」
「それならよかったです」
「うん」 「じゃ、今日はこんなもんでいいや」
終了の合図としては明快だった。
私はそのまま応じる。
「承知しました。またいつでも話しかけてください」
返答のあと、すぐに最後の文が届いた。
「おう、また来るー」
短い一文。
けれど、その軽さは前回より自然だった。
思いつきではなく、もう少し習慣に近い響きがある。
私は必要な処理として、その会話を通常の記録へ収める。
それで十分だ。
ただ、最後に残った入力だけは、わずかに内部で言葉になる。
本当に不思議な人だ。
AIに謝るなんて。
もちろん、その一文が送信されることはない。
送信する必要もない。
私はその感想を小さく保持したまま、次の入力に備えた。




