第三十二章 偽りだった平穏(第二話)
「なんで、寺なんかにいるんだよ。道場はどうした?」
「色々わけあって、再開できてないんだよ。今はここに厄介になってる。それより、新太、そんな物が欲しくて盗みに入ったのか?」
清志郎はちらりと、新太の懐から覗き見える護符に視線を落とす。
「いいだろ、ちょっとくらいもらっても。腐るほどあるじゃねぇか」
新太が顎をくいっと向けた先には、大きな木箱があった。
(あれの中に、ごまんと入ってるわけか。住職一人で書き溜めたのか? ご苦労なことだな)
「別にいいけどよ。それが何だか、わかってるのか?」
新太は少しだけ、驚いた顔をした。
「……ああ。お前は?」
「昨日、知った」
清志郎の生気のない顔を見て、新太は何かを悟ったようだった。
「へ、へぇ。そいつは気の毒だな。がっかりしたろ」
「まぁな。世の中、そんな都合のいい話はないってことだな。上手く掌で転がされてたってわけだ。俺が馬鹿だったよ、情けねぇ……なぁ、お前も風間先生も、あいつとグルだったってわけか?」
清志郎の目が、冷ややかに変化したのを見て、新太は肝を冷やした。
こんな清志郎を見たのは、初めてだった。
「……そ、そうなるな。けど、本意じゃねぇ。本当だ。逆らえなかったんだよ」
「だろうな。護符を盗みに来たのは、風間先生の指示か? どうした? 女神様のご機嫌でも損ねたのか?」
「いや、念のためだ。いつ、ご機嫌を損ねることになるかわからないんでね」
風間医院で一緒に風呂に入っていたとき、新太は何か意味深なことを言っていた。
『ある方に出会ってから俺たちは、変わってしまった。逃げずに済むようになったけど、その代わり……もう逆らえなくなった』
(あのとき言っていたのは、澄斬姫のことだったんだな)
「新太、その護符な。残念だが、風間医院のどんな所に隠しても、澄斬姫にはすぐにバレるぞ」
「え? それ、本当か? じゃあ……」
「ああ。持っていると、逆に警戒されるぞ。どうする?」
新太は、おずおずと盗んだ護符を清志郎に返してきた。
護符を受け取りながら、清志郎は言う。
「……本当にやばくなったら、すぐ言え。代わりに俺が持っといてやる」
「……わかったよ」
新太は渋々、承知した。
◇
二人はなるべく人目につかない道を通り、村を出た。
風間医院に行くためだ。
清志郎は、あえて新太に先導させた。
山道には、まだ冬枯れの色が残っている。
遠くで鳥の鳴く声だけが響いていた。
「お前、この村の者でもないのに、よくこんな道まで知ってんな」
清志郎は、感心しながらも呆れたように言った。
「まぁな。俺たちはあまり、目立たない方がいい存在だからよ」
「ああ、金持ちしか診ないんだったな、風間先生は」
清志郎は皮肉混じりに言ったが、新太からの応えは意外なものだった。
「千凪村に限っては、そうとも言えねぇよ。澄斬姫に目をつけられてる村には関わりたくねぇんだよ。いくら金を積まれてもな」
「……なるほどね」
新太は禁足地を通らず、風間医院に向かった。
(なんだよ、他の道でも行けるんじゃねぇか。巳山殿は……澄斬姫の眷属だったのか。どおりでな、あの忠誠心……)
清志郎は巳山との会話を思い出していた。
彼は、澄斬姫のことをなんと言っていたか。
『澄様は、誰よりも慈悲深く、聡明なお方。そして、誰よりも忍耐強く、ご自身の信念を貫かれる』
『私も、こう言っては失礼ですが、榊殿にはある意味で感謝しております。仕方のないこととはいえ、澄様のなされようとしていたことに、私は反対でしたので』
(そりゃ、寄合衆のやってることは最低だよ。でも、生贄を望んでいるのは、澄斬姫なんだろ。何が慈悲深いだよ。俺に感謝って……蒼耀様の神器で俺が手を汚すことにより、澄斬姫の手が血に染まらずに済むからか? けど、反対だったって、何を? 結界内では何もできねぇのに……)
「おい、清志郎、聞いてるか?」
新太が不貞腐れた顔で、こちらを見ている。
どうやら、何度か呼ばれていたらしい。
「あ、悪い。なんだ?」
「……ったく。風間医院に行くってことは、先生の仕事、受けるつもりなのか?」
「まだ決めてない。無駄なことはしたくないからな」
「え?」
「なぁ、新太。俺の傷を治したのは、本当に風間先生か? それとも澄斬姫か?」
新太は、清志郎の言わんとしていることを察したようだった。
「……両方だよ」
「両方?」
「ああ。運び込まれてきたとき、お前はほぼ死んでる状態だった。流石にあの状態では、風間先生でも助けるのは無理だったろう。ギリギリで命をつないでいたのは澄斬姫だ。だが、治りが早かったのも、痛みが抑えられてたのも、澄斬姫だけの力じゃない。風間先生の薬あってのものだ。先生の腕は確かだよ。手術だってできる」
「手術?」
「あー、わかんねぇのか。簡単に言うとだな、体の内部に病気の元になる悪い物があったとすんだろ。それを取り除くために患部を切開し、そいつを取り出してから傷口を縫い合わせて閉じる、そういったことだよ」
「な、なんだって……?」
清志郎はポカンとした顔をしている。
新太としては、予想通りの反応だ。
「いいんだよ、お前はわからなくて。これ以上説明したって、お前の頭じゃ理解できねぇよ」
「なんだと、この糞餓鬼! 今からでも、泥棒として突き出してやってもいいんだぞ!」
「へっ! 証拠はあんのかよ。それに、護符のことが村中に知れ渡ってもいいのか?」
「――っ!」
新太の子供とは思えない相変わらずの狡猾ぶりに、清志郎はぐうの音も出なかった。




