第三十章 夜明けの門(第四話)
「すみません。先生に荷物なんか持たせてしまって」
「この量を鈴ちゃん一人じゃ大変だろ。村の様子も見て回りたかったし、ついでだよ。それにしても、ずいぶん買ったな。客人でも来るのか?」
「はい。何人いらっしゃるか、よくわからなくて……つい、たくさん買ってしまいました」
鈴は買い物の途中だったらしく、見るからに荷物は重そうだ。清志郎は散歩がてら、半分持ってやることにした。
「ご家族に変わりはないか?」
鈴の家族とは、昔は家族ぐるみの付き合いだった。
紗世と鈴は互いの家によく遊びに行き、清志郎は紗世の迎えに行ったものだ。
紗凪が亡くなり、道善が病に伏せってからは自然と距離ができてしまったが、鈴が女子でありながら道場に通ってくれているのも、朝比奈家との付き合いがあってのことだろう。
「はい。家族皆、元気にしております」
「そうか。それはよかった」
清志郎は、にっこりと微笑んだ。
鈴の家族には、直接会う回数は減ったとはいえ、何かと世話になっている。
朝比奈家は今、踏んだり蹴ったりだが、鈴の家だけは平和であってほしかった。
そして──多分もう、自分では幸せにできない紗世の支えになってほしいと願っていた。
「あ、でも……」
「ん? 何かあったのか?」
「……ぜんぜん大したことではないんです。ただ、ちょっと気になって。最近、父のお酒の量が急に増えたというか……酔っ払って、そのまま布団まで行かずに寝てしまうことが多くて」
「お父上、何か悩み事でも?」
「わかりません。父に聞いても、母に聞いても、『放っておきなさい』って言うだけで……何も教えてくれないんです」
鈴は困ったように、小さく笑った。
「そうか。俺に思い当たる節はないけど……きっと、鈴ちゃんに心配かけたくないんだろう。喜兵衛さんは昔から、優しい方だったからな」
鈴の家、篠原家は米の仲買を主とする、問屋寄りの農家だった。
村の内情にも詳しく、顔もきく。
金回りも安定しており、村の中では比較的、裕福な家だ。
(どこかの家と揉めでもしたのか……。帰ったら、宗真に聞いてみるか)
そう考えを巡らせていたとき、唐突に鈴が問いかけてきた。
「先生も、悩み事があると……お酒を飲んだりするんですか? お酒を飲むと、気が紛れるものなのでしょうか?」
「……へ?」
思わず場にそぐわぬ声が出てしまい、清志郎は内心で慌てた。
「あっ……やだ、ご、ごめんなさい! せ、先生はお酒を嗜まれないんでしたね」
「そ、そうだな。俺の場合、気が紛れるどころか、確実に心配事が増えるからな。あはは……」
清志郎は、村に帰ってきた初日の失態を思い出し、苦笑するしかなかった。
◇
篠原家が目の前に見えてきた頃、鈴がふと足を止めた。
それに気づき、清志郎も立ち止まる。
「……鈴ちゃん?」
鈴は俯いたまま、小さな声で言った。
「……先生、紗世のこと……『紗世』って呼ぶようになったんですね」
突然の問いに、清志郎は面食らう。
「えっ……あ、ああ……」
「いつから……なんですか?」
「村に戻ってきた、次の日からかな。敬語は禁止だって言われてさ。……それが、どうかしたか?」
「……いえ。何でもありません。すみません、変なことを聞いてしまって」
「いや……敏感だな、鈴ちゃんは」
「誰でも気づくと思いますよ」
「そ、そうかな?」
「そうですよ」
鈴は小さく微笑み、再び歩き出した。
清志郎もそれに続く。
ほどなくして、篠原家の門の前に着いた。
「先生、本当にありがとうございました。紗世のお見舞いの件、お願いしますね」
「ああ。紗世も鈴ちゃんに会いたいだろうから、なるべく早く連絡するよ」
「先生も……早く、紗世と仲直りしてくださいね」
「う、うん。努力する」
荷物を渡し、別れようとしたそのときだった。
「あ、父上!」
鈴が門の内側に立つ父の姿を見つけ、声を上げた。
「清志郎先生、本当に生きていらっしゃったの! 荷物を運ぶのまで手伝ってくださったのよ」
明るく報告する鈴に、喜兵衛が門へと歩み寄ってくる。
「喜兵衛さん、この度はご心配を――」
清志郎が挨拶をしようとした瞬間、喜兵衛はそれを遮った。
「これは榊先生。ご無事で何よりですな。心配など、これっぽっちもしておりませんでしたので――そんな無駄な時間を使わず、首を斬り落とす稽古でもなさったら如何ですかな」
その言葉に、清志郎も鈴も凍りついた。
何を言われたのか、理解が追いつかない。
先に声を上げたのは、鈴だった。
「父上! なんてことを! 先生に失礼じゃない! お酒でも飲んでいるの?」
「黙れ! お前はさっさと中に入れ!」
「きゃっ!」
喜兵衛は鈴の腕を掴み、乱暴に引き寄せると、そのまま屋敷の中へ引きずり込んでいく。
「き、喜兵衛さん……?」
「この人殺しどもめ!」
吐き捨てるように言い放ち、篠原家の門は乱暴に閉ざされた。
一瞬だった。
だが確かに、清志郎は見た。
喜兵衛の瞳の奥に宿る、はっきりとした殺意を――。
清志郎は、その場に立ち尽くしたまま、しばらく動くことができなかった。




