第二十九章 追えぬ影(第五話)
時は少し遡り、澄斬姫の神殿の広間――。
眷属たちの間に、張り詰めた空気が流れていた。
燕羽の報告が、その場の全員に衝撃を与えたからだ。
「それはまことか、燕羽!」
先ほど、報告を催促した大男、狼谷白羅は、堪えきれぬといった様子で燕羽に詰め寄る。
燕羽は口を尖らせて答えた。
「だって、清志郎がそう言ってたんだもん! 『自分はもう前世の主に捉えられている』って! あいつ、どこまでかは分からないけど、前世のこと、思い出してるわ!」
清志郎を風間医院から千凪村まで送り届けた巳山玲牙が、相変わらずの鉄面皮で淡々と訊ねる。
「一つ確認しておきたい。お前自身が蒼耀様のお姿を直接見たわけではないのだな?」
巳山の冷静な問いに、燕羽は言葉を詰まらせる。
「み、見てはいないわ」
澄斬姫より年上に見える色白で二十代後半ほどの女性、雪音が燕羽の様子を観察し、話の核心を突く。
「では、清志郎が誰かに前世の話をしているのを聞いた、ということかしら?」
「そう、そうよ! 確かに蒼耀様のお姿は見ていないわ。でも、清志郎がね、彼より少し年上に見える侍に語っていたのよ」
燕羽は、皆の視線が集まるのを感じながら、興奮気味に続けた。
「清志郎は言ってたわ。『自分は前世で蒼耀様の眷属だった』って。それで、姫様から貰った髪飾りを外したら、蒼耀様の夢を見るようになったんですって。しかも、現実にも蒼耀様が現れて、『二度と髪飾りを外すな』って言われたって!」
雪音が、玉座に座る澄斬姫へと向き直り、伺いを立てる。
「姫様……この話、信じてよろしいので?」
眷属たちの視線が一斉に澄斬姫に注がれる。
澄斬姫はゆっくりと頷いた。
「ええ。燕羽の話は、おそらく真実でしょう。……いつか話したと思うけど、蒼耀は清守のために禁忌の術を使ってしまったの。そのせいで神の座を失い、人に堕ちたわ。姉上と、同じように……」
澄斬姫は伏し目がちに、記憶を辿るように言葉を紡ぐ。
「私が清志郎の監視に使っているあの玉石は、元は蒼耀に贈った物の一つなの。あの子は綺麗なものが好きだったから、私はよく宝飾品やその材料を贈っていたわ。……私は人の眷属など信用してなかったけど、あの子は清守のことをたいそう気に入っていた。それで、彼のために髪飾りを誂え、与えていたのよ」
その言葉に、最も強く反応したのは白羅だった。
「理解できませぬ! 蒼耀様は清守に裏切られ、命を落とされたはず。恨みこそすれ、なぜ今になって清守の転生した姿を見守るような真似を? 私ならば見つけ次第、すぐに殺しますが!」
白羅らしい、実直で裏表のない疑問だった。
「見守っているんじゃないわよ」
白羅の疑問に、燕羽が口を挟む。
「さっき言ったじゃない! 清志郎は『もう捉えられている』って言ってたのよ。きっと、ただ殺すだけじゃ生ぬるいと思ってるのよ。清守の罪は、それほど重いんだから! ね、姫様」
だが、澄斬姫は答えず、深く考え込んでいた。
すぐに同意を得られると思っていた燕羽は、何かまずいことを言ったかと焦る。
「ひ、姫様?」
燕羽が心配そうに、姫の顔を覗き込むように首を傾げる。
澄斬姫は、ハッと我に返ったように顔を上げた。
「……ええ、そうね。燕羽の言う通りかもしれないわ。……私とて、清志郎をすぐには殺さず、利用しようとしているのだから。蒼耀にも、きっと何か考えがあるに違いないわ。ただ……」
雪音が、姫の心の内に寄り添うように問いかける。
「姫様、何かお気がかりなことが?」
「……清守のことを覚えているのなら、蒼耀は人として転生しても、前世の記憶を保っているということ。ならば、私のことも覚えているはず。……なのに」
澄斬姫の声が、微かに震えた。
「なぜ、私に会いに来ないのかしら」
彼女が顔を上げると、その瞳が少しばかり潤んでいた。
それに気づかぬ眷属は一人としていなかった。
「蒼耀は、私に見つからぬよう気配を消しているわ。術を使っても追えないように。……まるで、私を避けているかのように」
彼女の悲痛な問いに、誰も答えることはできなかった。
◇
澄斬姫が、少し疲れたと言い残して席を外した後も、眷属たちの中に広間を立ち去ろうとする者はいなかった。
「姫様、落ち込んでたよね?」
燕羽が沈黙に耐えかねて、皆に同意を求めるように言葉を発した。
それを発端に眷属たちは、お互いの思っていることを語り始めた。
「ええ。蒼耀様が、人になっても神術を覚えていらっしゃることから、清守だけのことを部分的に思い出したとは考えにくいわ。前世のすべてを覚えていらっしゃると考えるべきでしょう。ならば、もちろん姫様のことも覚えていらっしゃるはず。それなのに、会いに来られないのは、やはり姫様のおっしゃるとおり、わざと避けているとしか……」
雪音の発言に、白羅は澄斬姫の気持ちを思うあまり、怒りの籠った声で疑問を呈する。
「なぜ、避ける必要がある! 俺には蒼耀様のお考えが、さっぱりわからん。お前はわかるか、玲牙?」
「いや、わからぬが……清志郎が清守だと確信できたのは、あの神殺しの紋様を姫様が確認してからだ。この広い世の中で、何の情報もなく、一人の人間を見つけ出すのは並大抵のことではない。蒼耀様もそのとき確信されたと考えるのが自然だ。……とするとだな」
「なんだ? 玲牙」
「もしかしたら、ずっと前から我々のことを、どこからか伺っていらっしゃったのではないだろうか?」
巳山の冷静な分析と回答に、皆、押し黙る。
「ねぇ、蒼耀様のお考えがわからない今、直接接触するのは危険だと思うのだけど……」
「なんだ、雪音? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」
白羅に促され、なぜか雪音は緊張した面持ちで続けた。
「そ、蒼耀様から、姫様の本当の名前を教えていただくことはできないかしら?」
一瞬、時が止まったように、場が静まり返った。
燕羽が、白羅が、わなわなと震え、興奮を抑えきれず静寂を破る。
「ひ、姫様のお名前が分かれば……」
「姫様は、本来の神格を取り戻すことができるというわけか!」
雪音は静かに頷き、語り出した。
「ええ。皆、思い出してちょうだい。『澄斬姫』とは、多くの人を斬り殺し、川を血で赤く染めた恐るべき祟り神として、人々が勝手に付けた名。祟り神とされた姫様は、それが呪いとなり、ご自分のお名前をお忘れになってしまった。私たちも……。それが原因で、神格を落とされてしまった」
「人とは、なんと愚かなのだ。姫様から受けた恩を忘れ、くだらん噂をまことしやかに広める。だから、俺は人が好かんのだ!」
白羅の怒りは、今にも爆発しそうだった。
逸る気持ちを抑えきれない。
「俺が行く! なんとしても蒼耀様から、姫様の御名を聞き出す! またとない好機ぞ!」
「ええっ! 私が行くわ! 元々、そういうのは私の役目じゃない。勝手に人の役目取らないでよ!」
「待って、燕羽。最初から直接接触するのは避けるべきよ。私たちがご存知の蒼耀様とは、別人になっていらっしゃる可能性もあるわ。危険よ」
諭すように、雪音が忠告する。
「ええ~? 遠くから、清志郎に接触しているところを見てるだけにしろって言うの?」
「そうよ。姫様の命令ではなく、私たちの意思で動くのだし、万が一があってはいけないわ」
雪音の言うことは、尤もだが、燕羽は不満そうだ。
「……燕羽、悪いがその役、私に代わってもらえないか?」
「なんでぇ~。玲牙まで。私が信用ならないの?」
「いや、何か嫌な予感がするのだ。こう言っては不敬だが、私は今世の蒼耀様を信用できない」
「お前、本気で言っているのか、玲牙! 姫様の弟君に対して!」
白羅は非難したが、雪音は玲牙に同意した。
「いえ、玲牙の言うとおりよ。姫様のことを想っていれば、とうにお姿を現していらっしゃるはずよ」
「むぅ~……」
「わ、わかったわよ。じゃ、お願いね、玲牙」
雪音の言葉に、白羅と燕羽も、しぶしぶ納得した。
玲牙は思い出していた。
清志郎を千凪村に送り届けた日のことを。
(榊清志郎。とても、神殺しの大罪を犯すような男には見えなかった。それに……あのとき見た奴の前世の光景では、暴走しているのは、むしろ蒼耀様の方に見えた。だが、真実はわからない。今は、どちらにも心を許すべきではない)
玲牙は、清志郎を送り届けた日に見た幻覚のようなものを、まだ、誰にも話していなかった。




