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第三十章 夜明けの門(第三話)

清志郎は、刀を受け取りに研ぎ屋に来ていた。

途中、村人たちの視線を痛いほど感じたが、研ぎ屋の主人にも、大層驚かれた。


「榊先生が村にお戻りになったとは伺っていましたが、刀を取りにいらっしゃらないので……。道場も休みのままですし、心配しておりました」


「はぁ、ちょっと色々ありまして。道善先生の具合も悪く、なかなか家を空けられなかったものですから」


「失礼ですが、道善先生は、いよいよ、その、お病気の方が……」


「……ええ。玄庵先生の見立てでは、今月いっぱいかもしれないと言われてしまい、どうしたものやらと」


「そうでしたか。それは、お辛いですな。あ、お預かりしていた刀を持って参ります。暫くお待ちを」


そう言い残し、主人は奥へ消えていった。


(本当に、まずい状況だ。刻一刻と先生の死期は迫っている。朝比奈家との関係を完全に切らずに、距離を取ることができたのはよかったが、問題はこれからだ。どうやって、寺を抜け出し、風間医院へ行くか。それに、蒼耀様は介入してこないだろうか?)


「……き、先生……榊先生? あの、お持ちしましたが……」


呼ばれてハッとする。

自分はどれほど考え込んでいたのだろうか。


「あ、も、申し訳ない」


清志郎は主人から刀を受け取り、その状態を細部まで確認していく。


「いえ……お悩みも尽きないのでしょう。榊先生も、大変な目に遭われたばかりですし。血まみれの刀を見たときは、肝が冷えましたよ」


主人の仕事ぶりは問題ない。

清志郎は満足し、納刀した。


「まさか、私などを狙う物好きがいるとは。私も驚きました。あははっ」


「ご無事で何よりでした。それにしても、この刀を研ぎに持ってこられた高坂様とは、どういったご関係で?」


「……この村の者ではないのですが、私の数少ない友です」


「良いご友人をお持ちですね」


「……はい」


清志郎は、にっこり微笑んで主人に答えた。

龍之介は、自分のために必死に頼み込んでくれたに違いない。


(龍之介、ありがとうな)


清志郎は手にした父の形見をじっと見つめながら、心から龍之介に感謝した。



研ぎ屋を出ると、昼の村は思ったよりも人の気配があった。

村に帰ってきても家に閉じこもっていたせいで、そう感じたのかもしれない。

軒先で話し込む者、洗い物を干す者、子供の笑い声。

その一つ一つが、今の清志郎には少しだけ眩しかった。


(変わってないな、皆は。変わっちまったのは、俺だけか……)


刀袋を抱え直し、角を曲がった──そのときだった。


「……っと!」


胸部に軽い衝撃が走る。

前から歩いてきていた若い娘にぶつかったのだ。


「すっ、すみません!」


娘は清志郎の顔も見ず、慌てて頭を下げる。


「いえ、こちらこそ、ぼーっとしていて……あ……」


そこまで言いかけて、見覚えのある着物と姿に清志郎の言葉が止まる。


「!」


娘はその不自然な様子と聞き覚えのある声に、ハッとして顔を上げる。


「……せ、清志郎先生……?」


一瞬、時が止まったように思えた。

娘は驚いたように目を見開き、息をのんだまま言葉を失っている。


「す、鈴ちゃん……」


鈴は目の前の存在を確かめるように、じっと清志郎を見つめていた。



鈴は、紗世の親友だ。

そして、朝比奈道場の門下生でもある。

何も言わずに立ち去る訳にはいかなかった。


話をするため、近くの小さな橋の上に移動した。

清志郎は手すりに肘をつき、その隣に鈴が立っている。

橋の下を流れる川は澄んでいて、底の小石までよく見える。

水面に揺れる光が、ゆっくりと下流へ流れていった。


しばらく、どちらも口を開かなかった。

川の流れる音だけが、二人の間を満たしている。

清志郎は迷っていた。

何をどこまで話せばいいのか。

やがて、鈴がぽつりと呟いた。


「せ、先生……本当に……生きていらしたんですね」


「あ、ああ。道場の皆で、俺のこと探してくれたらしいね。説明どころか、礼も言えてなくて面目ない。道場もずっと開けてないし……」


「いえ、そんなのはいいんです。先生がご無事で、本当によかった……」


その声は震えていた。

喜びと安堵と、言葉にならない何かが滲んでいる。

清志郎は少しだけ目を瞬かせ、柔らかく笑った。


「ありがとう。心配かけちゃったね」


鈴は、ううんと首を振る。


「もしかして、お怪我を? まだ治っていなくて、道場をお休みに?」


「そういう訳じゃ……」


清志郎はそこまで言って、しまった、と思った。

怪我のせいにしておけば、余計な説明をせずに済んだかもしれない──が、もう遅い。

宗真にあって、自分にないのはこういうところだ。


「?」


続きを聞きたいのだろう。

横を向けば、鈴が不思議そうな顔でこちらを見ている。


「あ……えっと……す、鈴ちゃんだから言うけど、これから話すことは、誰にも内緒にしてくれるかな?」


「え? は、はい。私、絶対に誰にも言いません」


鈴は一瞬驚きはしたものの、力強く頷いた。

その純粋さが微笑ましく、清志郎は思わずクスッと笑ってしまう。

ここで出くわしたのが鈴でよかった、と清志郎は思った。

彼女は信用できる。

だが、清志郎は気づかなかった。

彼女の頬がほんのり朱に染まっていたのを。


「俺の怪我は、大したことなかったんだ」


少し間を置いて、続ける。


「ただ、熱が出ちゃってさ。たまたま助けてくれた人の家で、厄介になってただけなんだ」


「そ、そうだったんですか。先生、本当に斬り合いを……」


「ああ。もっと金のある奴を狙えばいいのにな。虫の居所でも悪かったのか……。とりあえず、戦国の世でもないのに人を斬るなんて、もう御免だ。……あのときの、肉と骨を断ち斬った感触が、今も手に残っててさ。嫌になる……」


「先生……」


「ああ、ごめん。つい余計なことまで。嫌な気持ちにさせちゃったね。本題はそこじゃないんだ。そこまでのことは、道場を再開するとき、改めて皆に俺からちゃんと説明するつもりだから」


清志郎が苦笑いを浮かべると、鈴は至極真面目な顔で返してきた。


「いえ、余計だなんて……そんなこと、ありません。何でも私に話してください」


「鈴ちゃん……あ、ありがと……こ、ここからは内緒にしてほしいことだ。いずれ、知れ渡るかもしれないけど」


清志郎は一呼吸置いて、話し始めた。


「実は、道善先生が自害されようとして……紗世が止めに入ったんだ。そのとき、刀を素手で掴んじまって」


「えっ!」


鈴は驚きの声を上げた。


「傷が、かなり深くてな。毎日、玄庵先生の治療を受けてる」


「さ、紗世の手は……元に……戻るんですか?」


「玄庵先生も、俺も、五分五分とみている。治っても、前のように剣は振るえないかもしれない」


「そ、そんな……紗世……」


鈴は、口に両手を当て、真っ青になった。


「元を正せば、俺のせいなんだ。俺が失踪してたせいで、道善先生の心は完全に壊れてしまったらしい。その事件があった日も、俺と話した直後に、先生はあんな行動に……」


「違います!」


「鈴、ちゃん?」


強い鈴の言葉に、今度は清志郎が驚かされた。


「違います! 清志郎先生のせいではありません! そんな風に何でもかんでも、ご自分のせいにしたら駄目です!」


「す、鈴ちゃん」


「そうやってご自分を責めるのは、先生の悪い癖です! お止めになってください!」


女性に説教されるのは、久しぶりな気がする。

なぜこうなったのかよくわからないが、完全に鈴に圧倒されていた。


「う、うん。わかった。わかったよ」


清志郎は鈴の、まるで怒っているような顔を見ていられなくて、流れる川の水面に視線を戻す。


「あの、紗世の容態は酷いんですよね。いつから、お見舞いに行ってもよろしいでしょうか?」


「まだ高熱が出るときがあるんだ。宗真に聞いて知らせるよ」


「先生? なんでそこで宗真さんが出てくるんですか?」


「あ……」


鈴に圧倒されたとはいえ、またしても墓穴を掘ってしまい、自己嫌悪に陥る。


(……馬鹿か、俺は。いや、自分でよくわかってるよ。今さら悩んでどうする。この場を打開することだけを考えるんだ!)


「先生、何でも話してくださいって、言ったじゃないですか」


「そ、その……情けなくて言おうか迷ってたんだ。俺が全面的に悪いんだけど、紗世の機嫌を損ねてしまってな。今、道安寺にいるんだよ」


「えぇっ? 朝比奈家にいらっしゃらないんですか?」


「そうなんだ。だから、他の奴らには内緒にしてくれ。な?」


(紗世、すまない。これじゃ、紗世の心が狭いように聞こえるよな。だけど、他に言い訳がみつからないんだ。語彙力のない俺を許してくれぇ……)


清志郎は心の中で紗世に謝りながら、その場を取り繕うのに必死だった。

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