第二十四章 虚ろな瞳(第三話)
まるで魂が抜け落ちたかのようだった。
龍之介がどれだけ呼びかけても、清志郎の瞳は虚ろに宙を彷徨うばかりで、その体はぐったりと重い。
酒のせいだけではないことは明らかで、龍之介は得体の知れない不安を感じながら、彼を引きずるようにして運んだ。
「はぁ……いい加減、もう少し自分で歩いてくれんか。重いぞ、清志郎」
「……」
龍之介は、清志郎を家まで運ぶのに四苦八苦していた。
何を言っても反応がなく、足取りはおぼつかない。
ずり落ちそうになる体を何度も抱え直し、半ば引きずるようにして、なんとか縁側までたどり着いた。
(儂の方が体格で勝っていて良かったわ。これが逆だったら、運べたものではなかったぞ)
清志郎と龍之介の部屋は縁側に面している。
ここから上がり込めば、泣き濡れていた紗世に鉢合わせすることもないだろうという、龍之介なりの配慮だった。
「ほら、草履を脱げ」
「……」
「……ああっ、もう!仕方ないのう」
どこまで手間を掛けさせるつもりだ。
文句の一つも言いたいところだが、今の彼に何を言っても響かないことはわかっている。
龍之介は諦めて溜息をつくと、清志郎の草履を脱がせ、二人で転がり込むように部屋へ入った。
「あ〜……疲れたぞ、儂は」
龍之介は堪らず、はあはあと息を切らせながら、畳の上に清志郎と並んで寝転んだ。
隣の清志郎に目をやると、虚ろなまま、ただ天井を見つめている。
「清志郎。一体どうしてしもうたんじゃ。酒を呑ませた儂も悪かったが、酒のせいだけではなかろう?」
禁足地で再会したときは、何も変わっていないように見えた。
ただ、帰り道で何があったのかと尋ねても、清志郎は一貫して口が重かった。
何をそんなに話したくないのか、龍之介にはさっぱりわからなかった。
「いつまで黙っとるつもりじゃ?いい加減にせんか。なんとか言え」
「……世話を掛けて悪かった」
清志郎はようやく一言呟くと、また押し黙った。
「それだけか?まだ、他にあるじゃろう」
「……放っといてくれ」
(やっと口を開いたかと思えば、この馬鹿!一発、頭を叩いてやりたいわ!)
怒りがこみ上げるが、このまま寝かせるわけにもいかない。
清志郎の着物は泥で汚れており、夜はまだ冷える。
(まずは着替えさせるか……)
龍之介は重い腰を上げ、行灯に火を灯した。
そして、押し入れから清志郎の着替えを適当に見繕い、引っ張り出した。
「とりあえず、着替えろ、清志郎。そのままでは部屋も布団も汚してしまうぞ」
寝転んだままの清志郎に着替えを突きつけたが、案の定、受け取る気配はない。
その瞳は、やはり虚ろなままだ。
「子供か、お前は!儂は、お前のお守りではないぞ。まったく、いい大人が情けない」
大きく溜息をつき、龍之介は渋々、自らの手で清志郎を着替えさせることにした。
途中まで脱がせれば、さすがに自分でやると言い出すに違いない。
そう高を括っていたのだ。
だが、袴の紐を解いても、清志郎は人形のようにされるがままだ。
先に袴を剥ぎ取るのは気が引けたので、ひとまず上着の襟に手をかけ、そっと開いた、その時だった。
「――!」
龍之介の手が、ぴたりと止まる。
行灯の揺れる光が、清志郎の腹に奇妙な痕を浮かび上がらせていた。
清志郎と出会った初日、一緒に風呂に入ったが、こんなものはなかったはずだ。
「……せ、清志郎……これは……何じゃ?」
「……何だよ?」
億劫そうに答える清志郎に、龍之介は思わず詰め寄った。
「この腹の傷は、何だと聞いておるんじゃ!」
その言葉が引き金になった。
「――あっ!」
清志郎は、今までの体たらくが嘘のように俊敏に上体を起こすと、龍之介の手を払い除け、上半身を汚れた着物で覆い隠した。
先程まで虚ろだった瞳は大きく見開かれ、行灯の火のようにゆらゆらと揺れている。
傷を見られたことへの動揺が、ありありと見て取れた。
「やられたのか?腹を……どういうことだ?」
清志郎は目を泳がせ、言い淀む。
「こ、これは……その……」
龍之介は、その傷の異様さに言葉を失いかけた。
(腹を貫かれたなんぞ、致命傷ではないか。普通なら死んで……)
そのとき、食事をしていたときの酔っ払った清志郎の言葉が、脳裏に蘇る。
『……というか、こりゃもう死んだと思ったね。へへへっ』
あれは、三人に囲まれて必死に切り伏せ、生き延びた清志郎の心情を表した発言だと思っていた。
しかし、それは間違っていたのかもしれない。
(こいつ、本当に致命傷を負ったのか?もう助からないと死を悟ったのか?)
だが、生きている――。
その傷は塞がっており、彼は今、目の前に確かにいる――。
『生きてんのか、死んでんのか……何が本当で、何が嘘なのか……全部、ぐちゃぐちゃだ……』
龍之介は、初めて清志郎の精神の片鱗に触れた気がした。
「もう一度、よく見せてみろ!清志郎!」
さっきは怒鳴られても殴られそうになっても、何の反応も示さなかった男が、今は怯えた獣のように後ずさる。
龍之介がその手首を掴み、もう一度傷を確認しようとすると、清志郎は必死に抵抗した。
だが、体格で勝る龍之介の力は強く、振り解けない。
「やめっ、やめろ……離せっ!離してくれよぉっ!」
「せ、清志郎……」
それは、悲鳴に近かった。
弱々しく、だが必死に懇願する声に、龍之介は思わず動きを止めた。
「頼むから、ちゃんと説明するから……少しだけ、もう少しだけ、待ってくれよ!……頭ん中が、ぐちゃぐちゃで……話したくても、どう話せばいいか、わからないんだ……」
「……」
今度は、龍之介が黙る番だった。
彼は、掴んでいた手から、そっと力を抜いた。
「わかった」
それだけ言うと、龍之介は小刻みに震え、子供のように縮こまる清志郎から目をそらし、黙って彼のために布団を敷き始めた。




